「The Greatest Show on Earth」 第13章 この生命の見方には荘厳なものがある その1

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


さて本書も最終章だ.
進化の証拠を挙げてきたドーキンスは,ここで本書がダーウィンの「種の起源」に捧げるオマージュであることを強く打ち出している.この本の最終章を「種の起源」を締めくくる有名な文章を引用し,それに対する現代的な理解を踏まえたエッセイを綴っていくという趣向だ.


この部分についてはドーキンスは結構思い入れがあるようで,ここを2009年の無神論者インターナショナルのバーバンク大会で自ら朗読している.
http://youtube.com/watch?v=woqLMocWU6I
なおhttp://richarddawkins.net/articles/4629%20においては720Pのクイックタイム動画がダウンロードできる.

ダーウィンのオリジナルな文章はこうだ.

Thus, from the war of nature, from famine and death, the most exalted object which we are capable of conceiving, namely, the production of the higher animals, directly follows. There is grandeur in this view of life, with its several powers, having been originally breathed into a few forms or into one; and that, whilst this planet has gone cycling on according to the fixed law of gravity, from so simple a beginning endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.

ちょっと私なりに訳してみると以下のようになる.

かくして,自然の闘いから,そして飢餓や死から,想像しうる中でもっとも高尚なものが直接生じる.それは高等動物の出現だ.この生命の見方には荘厳なものがある.生命は,原初いくつかの力とともに,1種類,あるいは数種類の形態に吹き込まれたのだ.そしてこの惑星が不変の重力の法則に従って回転しているあいだに,単純な始まりから,最高に美しく素晴らしい,尽きることのない多様な形態に進化し,そして今も進化しつつあるのだ.


八杉訳もあげておこう

このようにして自然のたたかいから,すなわち飢餓と死から,われわれの考え得る最高のことがら,つまり高等動物の産出ということが,直接結果されるのである.生命はそのあまたの力とともに,最初わずかなものあるいはただ1個のものに,吹き込まれたとするこの見かた,そしてこの惑星が確固たる重力法則に従って回転するあいだに,かくも単純な発端からきわめて美しくきわめて驚嘆すべき無限の形態が生じ,今も生じつつあるというこの見かたの中には,壮大なものがある.

最近出された渡辺訳

つまり,自然の闘争から,飢餓と死から,われわれにとってはもっとも高貴な目的と思える高等動物の誕生が直接の結果としてもたらされるのだ.この生命観には荘厳さがある.生命はもろもろの力とともに数種類あるいは1種類に吹き込まれたことに端を発し,重力の不変の法則に従って地球が循環するあいだに,実に単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し,なおも発展しつつあるのだ.

垂水雄二訳

かくして,自然の戦いから,飢饉と死から,われわれの思い浮かべることができるもっとも崇高なことがら,すなわち高等動物の誕生が,直接導かれるのである.生命が最初はわずかな数の,あるいはたった1つの種類に,そのいくつかの力とともに,吹き込まれたのだという見方,そして地球が不変の重力法則に従って周回しつづけているあいだに,かくも単純な発端から,はてしない,きわめて美しくきわめて驚くべき種類が進化してきたのであり,今も進化しつつあるという,この生命観には壮大なものがある.


この部分の直前にはやはり有名な「生い茂った土手」にかかる以下の文章があって上の文章のThusという言葉と文脈としてつながっている.ついでにあげておこう.

It is interesting to contemplate an entangled bank, clothed with many plants of many kinds, with birds singing on the bushes, with various insects flitting about, and with worms crawling through the damp earth, and to reflect that these elaborately constructed forms, so different from each other, and dependent on each other in so complex a manner, have all been produced by laws acting around us. These laws, taken in the largest sense, being Growth with Reproduction; Inheritance which is almost implied by reproduction; Variability from the indirect and direct action of the external conditions of life, and from use and disuse; a Ratio of Increase so high as to lead to a Struggle for Life, and as a consequence to Natural Selection, entailing Divergence of Character and the Extinction of less-improved forms.


ドーキンスはこの有名な文章を少しずつ引用しながら進めていくのだ.


from the war of nature, from famine and death,

ここではドーキンスは前章の神義論の議論を引き継ぎながらエッセイを始めている.ダーウィンは慈愛深い神が芋虫を生かして内部から喰わせるヒメバチのようなものを作るとは納得できなかった.(これはエイサ・グレイに宛てた手紙が有名だ)
そして種の起源の第7章では,そのような残酷性,カッコウのヒナの残虐,奴隷を作るアリ,芋虫を麻痺させて生きたまま幼虫に食べさせる寄生蜂などは,大きな一般的な法則の結果に過ぎないとコメントしているのだ.ドーキンスは,この「単純な法則から自然の苦痛への無関心が生まれる」という見方も1つの「壮大なもの」だろうと指摘している.


ここでドーキンスキリスト教神義論に戻り,神学者はこのダーウィンの議論はよく知られた「苦痛は自由意思の冷酷で不可避の結果だ」という議論に似ているのでたじろぐのではないかと指摘している.自由意思を讃える議論が進化を讃えることにすり替えられるのが困るということだろうか.
前章でも議論した苦痛の生物学的な機能から見て,生物学者はそれを冷酷とは考えないかもしれないともコメントしている.*1


またダーウィンが同じく「種の起源」の生存競争の章でこのように書いていることも紹介している.

すべての生物は生存競争を戦っている.私達がこのことを考えるときに,自然の戦いは常にあるわけではないこと,恐怖は感じられていないこと,死は通常素速いものであること,もっとも元気よく健康なものが幸福にも生き残り繁殖することを信じることによって慰めを得ることができる.

ドーキンスは,ダーウィンは片方で自然の法則からくる無関心という壮大なものの見方に引かれつつ,このように書いて自然の冷酷さとのバランスをとろうとしたのではないかと推測している.
原文のDarwin was bending over backwards to console... について垂水雄二訳は「どうにかしてそこに慰めが見いだせないか必死だった」としているが,ドーキンスは,ダーウィンの意図について読者にあまりに冷酷なイメージを与えたことのバランスをとろうとしたのだと考えていたのではないかと思う.実際この段落は「種の起源」を読んでいると唐突であり,その他のトーンとあわない.「壮大なものの見方」とあわない記述についてのドーキンスの,(ダーウィンに成り代わっての)いわば「言い訳」と見るのがいいと思う.


そしてドーキンスは,「進化の考えが冷酷さを助長する(あるいはヒトを道徳的に堕落させる)から,進化という考えは間違いだ」という議論について「Shooting the messenger」(悪い知らせをもたらした使者に,その悪の原因を転嫁すること)という言葉を使って非難している.「仮にそうだとしてもそれは進化が間違いであるということにはならない」という単純なことが何故理解されないかと嘆いている.これは実に多く見られる誤謬なので「argumentum ad consequentiam」(Xは,私がその結果を好きだから,正しい)という名前までついているそうだ.



関連書籍


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*1:ここで「If animals aren't suffering, somebody isn't working hard enough at the business of gene survival」とあるのを垂水雄二訳では「もし動物が苦しみを感じていないのなら,誰かが,遺伝子の生き残りという仕事を一生懸命に続けていない者がどこかにいるのだろう」としている.「誰かが」という主語が重複しているということを別にしてもちょっとわかりにくい.「動物が痛みを感じていないのなら,遺伝子の生存のために働くはずの誰かがサボっているのだ.」というほどの意味だと思う.