「The Greatest Show on Earth」 第13章 この生命の見方には荘厳なものがある その2

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


ドーキンスによる「種の起源」最終段落へのオマージュ.

the most exalted object which we are capable of conceiving, namely, the production of the higher animals, directly follows.*1


ダーウィンはここで高等動物の出現を,想像しうる限り最も高尚なものだと書いている.ドーキンスはちょっとふざけて,もっとほかにも高尚なものはあるだろうと茶々を入れている.

Most exalted? Really? Are there not more exalted objects? Art? Spirituality? Romeo and Juliet? General Relativity? The Choral Symphony? The Sistine Chapel? Love?

ドーキンスの趣味がうかがえて面白い.シェイクスピアを偉大だと考えているのはほかのところでもわかるが,最高傑作は「ハムレット」ではなく「ロミオとジュリエット」と考えているということなのだろうか.音楽について英国の作曲家を持ってこずにベートーベンの「合唱」を持ってくるのもちょっと面白い.また科学法則ではニュートンよりアインシュタインがお気に入りということもわかる.*2


ここでドーキンスがいいたいのは,ダーウィンは単に高等動物の出現を説明したかっただけではないということだ.彼はヒトの心,さらに芸術や科学を含むヒトの心の産物も説明しようとしていただろうということだ.
ドーキンスダーウィン的な世界観は.まだ芋虫がヘビに擬態していることの説明ほどうまくヒトの心について説明できていないかもしれないが,基本的にはヒトの心をも説明することに成功しているのだといっている.


ドーキンスは次に述部の「directly follows」を解説する.
これは高等生物の出現は,自然の闘争や飢饉や死から直接的に導き出されるということをいっているのだ.ダーウィンを理解すればそれがわかる.19世紀までは誰も理解できなかったし,今でも多くの人は理解できない.しかしよく考えれば,「ヒトという存在」ということこそ生涯をかけて熟考すべき非常に驚くべき事実のひとつなのだということがわかるとしている.


having been originally breathed


ダーウィン種の起源は第6版まで改訂が行われている.1859年の初版は前回示した通りにhaving been originally breathed into a few forms or into one; となっているのだが,実は翌年1860年の第2版以降は having been originally breathed by the Creator into a few forms or into one;という具合に by the Creator という語句が入り込んでいる.
ドーキンスはThe God delusionで初版から引用したために,この重要な語句を意図的に省略したのではないかという怒り狂った読者の非難の手紙を数え切れないほど受け取ったそうだ.


ドーキンスは,自分は「種の起源」を引用するときには必ず初版から引用するのだといい,その理由として,初版こそが科学史を書き換えた重要な版だからだといいながらも,1つには自分はその貴重なたった1250部の1部を所有しているからだと(かわいらしく)自慢している.
ドーキンスは,ダーウィンは宗教的に迎合してもともと正しかった主張を後退させたのであり,それを後悔していただろうと指摘し,フッカーに宛てた手紙で「しかし,私は公衆の意見に服従したことや,聖書の創造にかかる言葉を使ったことを後悔している.私が言いたかったのは,「生命はなお知られていない過程によって出現した」ということだったのだ.」と書いていることを紹介している.*3


この句についてのドーキンスの2番目のコメントは「吹き込まれた」という言葉についてだ.
生命の化学的な本質が知られていなかった当時には「エラン・ヴィタール」*4とか「プロトプラズマ」という言葉で,生命にだけある何か特別の本質を表現していたことを紹介している.要するにそのような一般の理解の中でダーウィンは「吹き込まれた」という言葉を使ってしまったのだろうと(ここでもダーウィンに成り代わって)言い訳しているということなのだろう.


では生命の本質の現代的な理解とは何か.ドーキンスはそれは「情報」であるとコメントし,その本質は「自分を複製せよ」という指令だといういかにもドーキンスらしい見解を披瀝している.
ドーキンスはDNAの指令,免疫系,脳内の記憶,文化的な記録と4つの情報形態を説明し,これらすべての記憶システムはすべてノンランダムなDNAの生存にかかるダーウィン過程から生みだされたものなのだとまとめている.(ミームについてはコメントしていない.この言葉の創作者の見解というのも興味深く,そこはちょっと残念なところだ.)

*1:ドーキンスはこの節の題名にはconceiving,までしか使っていないが,内容はfollowsまで含むものになっている

*2:垂水雄二訳では何故か「一般相対性理論」を抜かしている.(たぶんちょっとした不注意ということだろう)

*3:この手紙の背景についてドーキンスは「Darwin was writing to thank Hooker for the loan of a review of a book by Carpenter, in which the anonymous reviewer had spoken of....」と説明している.垂水雄二訳では「ダーウィンがフッカーにカーペンターの本についてのある書評を借りたことへの礼状として書いていた・・・その書評では匿名の評者が・・・」と訳しているが,書評を借りるというのは変だし,the anonymous reviewerと定冠詞が付いていることから見て,この匿名の評者はフッカーであり,自説をカーペンターに批判されたことについてフッカーが反論してくれたことへの礼状という意味だと思われる.(2010/2/10追記,evorinさんのご指摘によりwww.darwinproject.ac.ukを確認したところ,これはまったく私の間違いで,垂水雄二訳こそ正しいということがわかりました.失礼いたしました.反省も込めてこの注記はそのままにしておきます)

*4:ここで「エラン・ヴィタール」がいかに空虚な概念であるかを看破したジュリアン・ハクスレーの「もしこれが正しいなら機関車は「エラン・ロコモティーフ」によって進むのだろう」という皮肉たっぷりの言葉を紹介している.(2010/2/9evorinさんのご指摘により訂正しました)