「樹木と文明」

樹木と文明―樹木の進化・生態・分類、人類との関係、そして未来

樹木と文明―樹木の進化・生態・分類、人類との関係、そして未来


英国のサイエンスライター,コリン・タッジによる「樹木」についての2年ほど前の本だ.樹木のことが本当に好きな著者が膨大な調査と経験の上で書き上げた渾身の一冊.原題は「The Secret Life of Trees: How They Live and Why They Matter」(なおこれは英国における題で,アメリカでは「The Tree: A Natural History of What Trees Are, How They Live, and Why They Matter」と改題されて出版されている)樹木についての総合的な科学啓蒙書と言えるもので,樹木とは何かについて丁寧に解説している.確かに全500ページのうち最後に50ページほど地球温暖化や樹木をより利用した今後の世界のあり方などが書かれているが,決して「樹木と文明」について書かれている本ではない.そういう意味ではこの邦題はミスリーディングだ.文明論を期待した読者はがっかりするだろうし,本来のターゲットである植物好きの読者の目に触れる機会はあまりないのではないだろうか.(私自身,出版当時は邦題だけ見て樹木を主題にした文明論の本かと思い手に取ることもなかった.「ザ・リンク」に関連して調べているうちにこの本の中身について知り,今回読んでみたというわけだ.*1


本書はまず「樹木とは何か」というところから始めている.ここではあまり厳密な定義は与えずに「中心の棒状の部分を持つ大きな植物」だとまとめて,そのような形態が進化的,生態的にどういう意味を持つのかを簡単に解説している.また「樹木は何種類あるのか」という問題に絡んで「種」問題も扱っている.ここは動物と異なって栄養生殖や倍数体の問題などなかなか面白いところになる.また標本,命名,分類などの問題も扱っている.いずれも著者の並々ならぬ意欲が伝わるところだ.


ここからは進化系統樹的に様々な樹木を紹介していく.これは320ページにわたって語られる本書の中心部分である.しかし単純な羅列的な説明ではなく,分岐分類に親和的に進行し,進化的な視点や興味深い樹木のエピソード,著者の個人的な経験などが語られていて飽きさせない.


最初に生命の起源から陸上植物の登場までをさらっと解説してから,まず小葉植物(ヒカゲノカズラなど),そしてシダ植物,次に針葉樹以外の裸子植物(ソテツ,イチョウ,グネツム)と解説は進む.
ここで一旦木部とは何かという解説が入って,次に針葉樹に進む.針葉樹の大まかな分類(よく見かける針葉樹は大まかに言ってマツの仲間,ヒノキの仲間,イチイの仲間と分けられるようだ)も面白いし,あのような形が何に対する適応かという話題(タッジは尖塔のような形は高緯度地域で日光を横から受けるのに有利だという主張をしている)にも触れている.


被子植物たる樹木も分岐的な順序で解説される.モクレンクスノキ,カネラ,コショウという原始的な双子葉植物,そして単子葉植物,さらに真正双子葉植物という順序になる.ブナ,ナラ,クリ,クルミ,ハンノキ,カバノキ,トネリコあたりのヨーロッパによく見られる広葉樹の部分は著者の思いがよく伝わる良い文章になっている.またあまり聞いたことも見たこともない南方の樹木の話も楽しい.


分類群ごとの紹介の後は,生態を巡る様々な話題になっている.水分,土壌の問題,菌類との共生などのおなじみの話に混じって,マングローブが金属を蓄積するという話題が興味深かった,この適応的な意義はまだよくわかっていないそうだ.
また樹木がどのように情報を扱っているかという話題も詳しい.オーキシン,サイトカイニン,エチレンなどの化学的な伝達物質,光周期性の仕組みなどだ.動物と異なって中枢神経系はないのだが,情報を扱った方が有利であれば様々な仕組みが利用可能だということがよくわかる.
また地理的な分布については起源大陸がどこかという話題と並んで取り上げられていて,南方起源が多いことに驚かされる.多様性についての話題も詳しい.タッジのお気に入りは氷河期の繰り返しによって北方の森林の多様性が減少したという仮説のようだ.
特定ニッチへの適応物語については北方の厳しい環境に適応したヤマナラシ(aspen),火事に適応したバンクスマツ,アメリカ大陸太平洋岸に適応したセコイアが紹介されていていずれも興味深い物語に仕上がっている.
当然ながら送粉,種子分布にかかる動物との共進化も扱われている.ここではイチジクとハチの共進化の最近の知見が詳しく取り上げられていて読み応えがある.従来言われていたような完全な1対1の関係ではないこと,果実の大きさに関する様々な要因にかかる分析などが取り上げられている.*2
何故紅葉するのかという興味深い問題も扱っている.タッジは葉緑素を分解して樹木に取り込む作業による損傷を避けるためにアントシアニンを作るのだという説明を支持している.ここでは対アリマキ耐性のハンディキャップシグナルだというハミルトン仮説は取り上げられていないのがちょっと残念だ.


本書は最後に現在の温暖化の問題について触れ,樹木に大きな影響を与えるものであることを訴え,また農業について現在は草本性の植物主体だが,樹木性のものに切り替えていくことが望ましいのではないかと主張している.後者の主張はちょっと面白いが,経済的な分析がないのが説得力に欠けているところかもしれない.


全体として大変な力作で,非常に充実した本だと評価できる.私は樹木図鑑を手元に置いて,ネットで検索もしながらゆっくりと読み進めたが,大変楽しい時間となった.



関連書籍


手元に置いて眺めた図鑑.世界の樹木が紹介されていてなかなか楽しい.

樹木 (知の遊びコレクション)

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原書

The Secret Life of Trees: How They Live and Why They Matter

The Secret Life of Trees: How They Live and Why They Matter

同米国版

The Tree: A Natural History of What Trees Are, How They Live, and Why They Matter

The Tree: A Natural History of What Trees Are, How They Live, and Why They Matter


同じスタンスで書かれた鳥についての本

The Secret Life of Birds: Who they are and what they do

The Secret Life of Birds: Who they are and what they do

同米国版

The Bird: A Natural History of Who Birds Are, Where They Came From, and How They Live

The Bird: A Natural History of Who Birds Are, Where They Came From, and How They Live


タッジの最新刊,私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091210

ザ・リンク―ヒトとサルをつなぐ最古の生物の発見

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*1:出版社はこの方が売れると考えたのだろうか.浅はかな判断のように思う

*2:ここでは,果実の中にハチのメスが複数はいると,(1)送粉すべき次世代の性比がオスに傾くというハミルトン則からイチジクにとっては(単位果実あたりではなく)単位種子あたりで送粉効率が落ちること(オスは送粉しない)(2)ハチに寄生する線虫にとっては,複数メスの場合には次世代において系統間競争が生じてより毒性が強くなり,やはり送粉効率が落ちる,という2つの問題が生じるので,果実の大きさは小さい方が有利であるように見える.しかし種子分散効率から果実は大きい方が良いというトレードオフ問題を扱っている.