日本生態学会参加日誌 その7 (完)

 
第57回日本生態学会(ESJ57)参加日誌 その7
shorebird2010-03-31
 

大会最終日(3月20日)の午後は東大本郷の安田講堂での公開講演会だ.


第13回 日本生態学会 公開講演会 「なぜ地球の生き物を守るのか?―生物多様性条約が守る自然の価値―」


今年2010年は生物多様性条約締約国会議(COP10)が開かれるということで,それを主題とした公開講演会だ.総合司会は午前中の保全生態学研究会に引き続いて鷲谷いづみ先生.一般からの参加者には本日の後援者による講演内容を先取りして本にした図書「なぜ地球の生き物を守るのか?:生物多様性条約が守る自然の価値」が配られる.
やや肌寒いとは言いながら本郷キャンパスの午後は春の気配だ.私はかなり早く会場入りしたので気づかなかったが,一般参加者は大入りで受付にはかなり長い列ができたそうだ.


なぜ地球の生き物を守るのか? 矢原徹一


生物多様性の保全について一般向けの講演.


まず地球の生物の種の多様性について説明.特に種の多様性が見られるのは植物と昆虫であり,植物と昆虫のあいだの補食防御とからめて「植物の多様性の上に動物の多様性が乗っているのだ」と表現していた.植物が専門の矢原らしいコメントだ.


生物多様性の危機について
生物多様性の危機はどれほど深刻なのか.まず有名な北極海の氷域の減少,次にサンゴの白化が取り上げられる.サンゴについては海中の炭酸塩濃度と気温の関係がこれまでの洪積世のデータから乖離しており,単なる水温上昇だけの問題ではない(それならば単に分布域が移動するだけ)と指摘していた.熱帯林の破壊速度について最近アジアがアマゾンを抜いたこと,農業肥料としての窒素の土壌投入の量が桁外れであることを説明し,最後に生物多様性指標がここ40年でどれだけ低下しているかをグラフで見せ,多くの絶滅危惧種があることを強調した.


生物多様性危機の歴史
まずヒトの出アフリカの歴史.一度10万年前にスエズ地峡を通って進出して失敗した後の2回目の出アフリカについて,ソマリア北の南ルートであり5万2千年前と言うことがほぼ確実になってきたと解説していた.(年代についてはトバ噴火火山灰の下の遺跡などという話もあるのでちょっと意外な断定振りだった.)また拡大スピードはネアンデルタール人がいるところよりいない地域の方が速かったと述べ,両者のあいだに生存競争があったと示唆していたところも面白い.
その後各地で大型動物が絶滅したこと,完新世に入って農業が始まったことを説明.ここで栽培化された植物の多様さに触れながら,ヒトの特徴として,雑食性であり,多くの種類の動植物を食べることをあげていた.確かにトウモロコシだけの写真より多種多様な木の実や果実があった方がおいしそうだ.


生物多様性の価値
議論に価値が絡むのを避けられないところが単なる自然科学ではない保全生態学の特徴だろう.矢原はまず経済的価値について食料,飼料,木材,線維,動力,薬,嗜好品を上げ,特に化石燃料を使うようになるまでは,飼料はエネルギー源としても重要だったのだと指摘している.しかし化石燃料使用が安価に行えるようになるとこれらの市場価値は下落した.
次に新しい「生態的サービス」の概念について.なお重要な食糧供給(魚についてはタラの例をあげつつ自然からの恵みを説明),昆虫による送受粉サービス,大気,水,土壌の調整サービス,文化的な豊かさなどを説明していた.


生物多様性の危機に対して何ができるのか
片方で,温暖化,森林減少,種の絶滅に対して条約などの政治的取り組みがあるが,身近に市民1人1人が取り組むことができることとして矢原は5つ上げていた.

  1. たくさんの旬の地元のものを食べよう.
  2. 子供と一緒に自然に親しみ,子供を自然のなかで育てよう.
  3. たくさんの生物の名前を覚え,絵,写真,日記,俳句に記録しよう.
  4. 多様性の観察,調査,保全活動に参加しよう.
  5. 多様性保全に貢献している企業の製品を選ぶようにしよう.


まず名前を覚えようというのはいかにも植物学者らしくて面白い.ファインマンのエッセイで生物の名前を覚えることはその生物を理解することにはならないと書いたものがあったように思うが,でもやっぱり名前を知ってこそ様々な関心が始まるのは真実だと思う.それはおそらく狩猟採集民としてのヒトの進化心理に根ざしているのであり,名前を覚えることでより生物多様性を深く知り,生物多様性がもつヒトを心理的に幸福にしてくれる機能に気づけるようになるのだろう.


講演後の質疑では人口問題についてどう考えるのかという質問があった.矢原は,「地域が豊かになると人口増加が止まり減少することはわかっている.問題は開発途上にある国では人口が増加することだ.そして豊かになった後のためにも森林や生物多様性を残しておくことが大切で,先進国はそのお手伝いをすべきなのだ」とさわやかに答えていた.
この問題は論じ始めるとなかなか難しいが,まずこう整理しておくと言うことだろうか.E. O. Wilsonもいずれ人口は減少に転じるので,ここ100年ぐらいが正念場だというような議論をしていたように思う.


エゾジカの順応管理を通してみた生態系管理の原則 梶光一


エゾジカの個体数管理事業についての講演.ニホンジカの増えすぎによる問題は「世界遺産をシカが喰う」という本で読んでいたが,実際の苦労話はなかなか興味深かった.
冒頭でニホンジカの系統と生物地理が簡単に紹介され,北海道におけるエゾジカ(ニホンジカの亜種)の歴史(当初狩猟で乱獲され,絶滅危惧状態に,その後オオカミが根絶され,永らく禁猟を行ったりして保護していたが,1970年代から急速に増加して各種の被害を出すようになった),現在の被害状況などが説明される.
どう管理すべきかがわからず,松田裕之先生を招いて勉強会を開いたことがはじめだったこと.個体数すらわからないなかで,しかし何をするか決めなければならず,逃げられないという状況(梶は行政官でもあった)だったこと,個体数を推定し,目標を定め,実際の狩猟実績が個体数推定値にどう影響を与えたかを見て管理手法にフィードバックする仕組みを作ったこと,途中で推計値が過小評価だったことに気づき(行政として)誤りを認めて公表したこと,1998年には8万頭を狩猟し,個体数は減少に転じたが,批判もあったこと,しかしその後狩猟者の減少とともにまた増え始めていること,現在はむしろ林産物として利用管理するという視点で対策を考えていることなどが語られた.

狩猟者が減少中なのでなかなか対策は大変そうだ.(シカ側の対狩猟行動の変化もあるだろう)
個人的にはオオカミの再導入が無理ならば,生物多様性維持,農水産物被害対策のため行政の事業としての狩猟を行い続けるしかないと思う.オオカミの再導入についてはなにも語られなかったが,行政のスタンス,生態学者としての意見はどういうところにあるのだろうか.住民に危害が及ぶ恐れがあるので行政としては問題外ということだろうか,外来生物の導入にはネガティブということだろうか,それとも生態学的に見てもうまくいかないと考えるべき理由があるのだろうか.


里山に見られるモザイク状の生息地と生物多様性 宮下直


里山の生物多様性についての入門講座のような講演.
里山は水田,雑木林,ため池,畑,草地などの様々な微小環境がモザイク状になっている.このそれぞれの生息地の多様性に加えて,それらが組み合わさって始めて定着可能な生物があって多様性が増加する.またヒトの手による適度な攪乱も重要.またモザイク状になっている空間スケールも重要だというような話だった.



なぜ,どのように,湖沼や池の生き物を守るのか? 高村典子


湖沼やため池の生物多様性の危機について.
湖沼の例として釧路湿原の湖,ため池の例としては兵庫県のため池群が取り上げられて様々な具体例が語られた.
釧路湿原では畜産酪農の糞尿による富栄養化が生じアオコ発生などによる多様性減少が生じている.これには沈水植物の非線形メカニズムがあって,一旦臨界値を越えると一気に多様性減少する.
ため池ではブルーギル,ザリガニなどの外来生物による多様性減少の影響が大きい.根絶は難しく,仮に池単位で根絶できても水源のダムから再侵入が生じる.またブルーギルを減らせばザリガニが増えるというメカニズムもある.
ため池ごとに種構成が異なることが多いので,面積よりも池の数が重要.
最後に農業利用を続け,排水を入れず,林を保ち,外来種を排除していくことが望ましいとまとめていた.


アマモ場の生物多様性:沿岸生態系におけるその役割 仲岡雅裕


種子植物である海草類について
日本の砂地の海岸には多くのアマモ場がある.これは生産性も高く,多くの生物が住む多様性の源にもなっている.ということでアマモの自然史が楽しく語られた.
生態系としては,アマモは窒素をため込んで,最終的には,根に蓄積したり,ちぎれて流れていくので,富栄養化を是正する機能があること,(日本も含め)世界中で減少中であること,保全に当たってはアマモ種の構成や多様性も重要であることなどが解説されていた,



この後環境省,IUCN日本委員会からもプレゼンがあり,COP10について,そこへ出す日本提案(「SATOYAMAイニシアチブ」として,一旦8年前の目標は未達であったことを認め10年.20年,50年後の目標をそれぞれ定めようというもの)などが説明された.


最後に総合質疑.


この中で面白かったのは,保全事業の裏側の本音の話.
行政と生態学者の関わりについては,行政はとにかく議会対策が重要で,短期的な成果を求めてくる.生態学者は不確実なことは言いたくないということでかみ合わないことが多い.よく相互不信になるが,そこで本音でぶつかって互いの信頼感を作るのが重要になるとのことだった.
また古いタイプのNGOはとにかく何でも開発反対ということで,そうなると行政側も萎縮して判断が遅れることにつながることがあるそうだ.もちろんそんなNGOばかりではないとフォローも入った.(ニホンジカ対策で千葉ではNGOはもっと狩猟すればよいという意見で,地元の狩猟団体は,狩猟頭数を上げるとよそからハンターが来て危険だから嫌がっているという話もあった)


地中海のクロマグロについて直接話は出なかったが,生態学的には絶滅危惧は間違いなく(ワシントン条約に乗せるかどうかはともかく)禁漁は当然だったが,ああいう政治的な変な決まり方をしたというニュアンスだった.COP10も最後10月には外交官同士による政治的なものにしかならないので,来週の名古屋の会議が生態学者が何か建設的な意見を言える最後の機会ということだそうだ.




というところで講演会は閉会となり生態学会も公式行事すべて終了ということになった.
大きな学会で,なかなか啓発的な話がたくさん聞けたように思う.この場を借りて主催者の皆様に感謝申し上げたい.




関連書籍


講演会の講演要旨の代わりにきちんとした本に仕上げている.



Biodiversityを世間に広めたのはやはりこの著作の貢献が大きいだろう.

ウィルソンは人口問題と環境保全についてこの本で議論している.


衝撃的なシカによる生態破壊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060409