「Spent」第6章 適応度の見せびらかし その1

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


前章でミラーは私達が買い物をしてディスプレーに走るのはマーケターに乗せられているのだという議論を行った.本章ではなぜそんなに簡単に乗せられるのかという話になる.


ミラーはまず生物学における信号理論を紹介する.ミラーによればこれは政治における共産主義の崩壊と並ぶ90年代の2大革命なのだそうだ.この2つは同じ洞察の上に乗っている.つまりヒトはグループのために働くのではなく,自分を見せびらかすために働くということだ.アズマヤドリは自分の優秀性をメスに見せびらかそうとするし,ウクライナの農民もステイタスシンボルを買うために働くのだ.


生物学における信号理論のポイントはなぜそれが信用できるものになり得るのかというところだ.それはザハヴィのハンディキャップ理論をグラフェン数理モデル化して受け入れられた.
ここはヒトの多くの形質が性淘汰によって進化したものだという議論を行っているミラーにとっては力の入るところだろう.ミラーはまずこう言っている.

適応度インディケーターは主張するだけでなく,その内容について保証していなければならない.だからコストがかかりフェイクしにくい信号は注目を集めるのだ.そのよい例はクジャクの尾やライオンのたてがみだ.ヒトの外観にも多くの性淘汰による信号がある.顔,声,髪の毛,肌,歩き方,身長,女性の胸,尻,ウェスト,男性のヒゲ,ペニス,上半身の筋肉量などだ.メンタルな特徴にも性淘汰信号はある.言語能力,ユーモア,芸術,音楽,創造性,知性,親切さなどだ.

信号理論は文化にも当てはまる.文化も同じようなコストのかかる贅沢品を生みだす.あなたはハマーH1を盗めるかもしれないが,それは維持するだけでも金がかかる.


ミラーはさらに印象的な例として偽造通貨を持ち出している.
1990年代からデジタル技術で偽造紙幣は容易に作れるようになった.各国の通貨当局は,巨額の費用がかかる印刷や,正確にコピーしにくい精巧なデザインを使った新しい紙幣を発行して対抗している.つまりコストと精巧さが重要だと言うことだ.(正確に言うと精巧さもそれを作り出すコストの問題になるはずだがミラーはとりあえずそれを分けて議論している.)


当然私達も配偶者を選ぶときに信号のコストと精巧さに注意する.
ミラーはフェイク時計,人工宝石,偽造絵画を例を出して説明している.

  • ロレックスは最近アジアの偽造者達とアームレースを繰り広げている.本物なら30,000ドルするロレックスの1,200ドルの偽物は同じスイス製ムーブメントを使い,ダイヤルのエッチングも,18金ケースも,サファイヤガラスも,同じように細工されたリューズも,2.5倍のビューワーも,ルミノックスのアワーマーカーも,ロレックスのホログラフシールまで備えているのだ.同じ問題はすべての高級時計メーカーが抱えている.
  • ダイヤの模造品も歴史が長い.1940年代の二酸化チタンに始まり,1980年代にジルコニア,1990年代にはモアサナイトが現れた.モアサナイトの屈折率や光沢はダイヤを上回る.(ジルコニア鑑別用の熱慣性テスターでは鑑別できず,ループによるダブリングのみが鑑定の決め手になる)チャールズ&コルバートはダイヤの代替品ではなく,男性から重い感情付きで手渡されることなく女性が自由に気軽に楽しめる宝石として売り出している.さらにルビーやサファイアについては,まったく同じ鉱物であるコランダムをむらなく人工的に合成できる.しかし天然物は入手しにくいという理由だけで何千倍も高く取引されている.
  • レンブラントは生涯700あまりの絵を描いたが,市場には3000以上のレンブラントがある.レンブラントと信じて買った絵を眺めて楽しんだ後,それが偽造だとわかったら,その絵は何も変わらないのに価値は何千分の一になる.それは「本物」ではないからだ.本物はまったく異なる需給になっているのだ.


ここでミラーは所々面白いコメントを入れている.
まず生物界で当初はフェイクとして始まった信号が,独自のコストを持つようになって真の信号になったことがあるのだろうかという問題を考察している.そしてユーモアはそのようにして始まった信号かもしれないとほのめかしている.
「本物」であることの価値は最後にはそのコストであるはずだ.だとするとフェイクがあふれるようになってそのコスト構造が明るみに出ると,本物のプレミアムが失われることが生じうるだろうとコメントしている.そして場合によっては本物の方がコストがかからずにぼろもうけになっているものもある.それはブランド維持コスト,操作の問題になる.


この「本物」の価値はなかなか微妙なところだ.なかなか入手しにくい「希少性」はそれを手に入れるためにコストがかかっていればよく,作成するのにコストが必要かどうかは問題にならないだろう.しかし見分けがつかない偽造品が安く作れるようになると,区別がつかないためにシグナルのコストは劇的に下がってしまうのだろう.



ロレックスのレプリカサイトとしてReplicagod.comがあげられている.行ってみたが,おそらく私には本物とレプリカの見分けがつかないだろう.ミラーは偽造と本物はアームレースを繰り広げ,消費者がプレミアムの価値に疑問を抱くようになると本物の価値が失われると言っている.おそらく現在は,まだ違いがわかる人にとってはそのコストの差がわかるということで,このプレミアムは存在するのだろう.


偽造やフェイクの問題は信号理論とコストを考えることにより理解が可能になるのだ.




関連書籍


The Evolution Of Animal Communication: Reliability And Deception In Signaling Systems (MONOGRAPHS IN BEHAVIOR AND ECOLOGY)

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動物の信号理論はこの本が最もお勧めだ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071113