「Spent」第11章 一般知性 その2

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


一般知性の概念整理が終わったところで,ミラーはそのディスプレーについての議論を始める.もっとも顕著な一般知性のディスプレーは『学歴』だ.


ミラーはここで,「IQテストは既に時代遅れで偏向していて使えない」とか「IQとは別の認知指標がある,社会知性,実務的知性,感情知性,創造性,知恵などだ.」などのIQを否定するような主張はほとんどハーバードとエールの教授からなされていると指摘し*1,こう問いかける.「これは偶然だろうか」
いかにもFreakonomics的な問いかけで,答えはもちろん「偶然ではない」のだ.


ミラーのいかにもシニカルな解説によると,大学は,消費者の一般知性ディスプレー市場において,独自の高くて時間がかかり信頼できない知性測定製品(つまり学位のこと)をプロモートして,安くて信頼できるIQテストと競争しているということになる.

16万ドルもかけて取得する学位はIQ保証書だ.大学はこれをアンダーカットされたくないのだ.だから大学は偽善的で愛憎入り交じった態度をIQに対して取る.
卒業生たちも,どの大学出身かは口にしても,IQテストやSATの点数は口にしないという社会規範を保とうと必死だ.「ハーバードの秋の紅葉は美しかった」というのは「僕のSATスコアは720以上でIQは135以上で,誠実性,安定性,開放性もそれなりにあるよ,さらに僕は紅葉のことに気がついている」といっているのと同じだ.

いかにもコミカルに大学をこき下ろしているが,しかし良く考えてみると,ミラーのこれまでの主張からすれば,信頼できるディスプレーにはコストが必要なはずだ,だから学位取得に16万ドルと数年間の努力がかかるとしても,信頼性を持たせようとするならそれはディスプレーにとって必要であり,大学が簡単にアンダーカットされることはないだろう.むしろ前節で指摘したような教授自身のパーソナリティディスプレーによるものだと考えた方が説得的な気がする.


ミラーはさらに舌鋒鋭くETSを批判している.ETSとは(私は知らなかったが)大学での学業成績を予測できるテストを行うテスト業者であり,従業員2500人博士号取得者250人という大企業で,事実上市場を独占しているそうだ.
要するに,この業界に対しては,政治的な正しさという偏見から,安くて信頼できるIQ測定は禁止され,さらにテスト結果は人種や性別間で点数差があってもならないという制限がかかっている.つまり正確な測定は不可能と言うことだ.ETSはこのような環境をうまく利用して,不正確でコスト高なテストを行って利益を得ている.ミラーに言わせるとこれは偽善とタブーにかかる吸収剤であり,IQの社会的非難から大学を守る役目を持っているからできるということになる.


日本では大学入試に対する予想テスト業者はあっても,大学進学後の学業成績予測テスト業界なるものは(私の知る限り)ないようだから,ちょっと理解が難しい.また日本ではインテリあるいはリベラルによるIQへの敵視傾向もアメリカほどきつくはないように思う.


さてミラーは,「もし大学の学位がIQ保証書の役目を果たしているのなら,卒業生の社会的地位や経済的成功は,大学で何を学んだかより,入学時のSATの点数の方が良く予測できることになる.」と指摘している.これはまさに日本でもよく指摘されていること(入学後何を学んだかではなく,どこに入学できたかが問題になる)と同じだろう.
ミラーはさらに,このようなIQ保証書は,競争者に対してどれだけ優れているかを示すもので,経済学者が"positional good"位置財と呼ぶものだと指摘している.そしてこの"positional good"は通常ランナウェイ的な競争を引き起こす.アイヴィリーグの大学卒業者が巷にあふれれば,次はそのMBA, MD, PhDが,さらに足りなくなるとそのうちのTrium Global Executive MBAが問題になるということになる.


そしてアメリカではいまや500ドルと最短7日で学位をくれるオンライン大学が300もあるそうだ.(最貧国ではこの500ドルが十分なハンディキャップコストになるとミラーは指摘している)そしてもっとすごいのは50ドルで偽の学位証明書を売るオンラインサイトまであるそうだ.ここまで来るとたんに犯罪に過ぎないが,これまたすさまじい.
日本でもこのような現象はあるのだろうか.昔から通信制の大学というのはあるし,放送大学もある.そしてオンライン大学も最近あるようだ(たとえばhttp://bbt.ac/)が,さすがに最短7日というのはまだ聞かない.


大学の学位が単なるIQ証明書の位置財だという見方に対してはもちろん異論もある.ゲイリー・ベッカーは高い教育はヒューマンキャピタルだと主張しているそうだ.簡単に言うと教育により人は賢くなるので価値が増すという考え方だが,ミラーは,問題は賢くなる方法は大学だけではないというところだと指摘している.コムキャストでは1年間550ドルで450時間の講義が受けられ,ディスカバリーチャンネルナショナルジオグラフィックチャンネルもついてくるプログラムがあるというわけだ.日本でも放送大学の講義を聴くだけなら非常に簡単だ.


ミラーは位置財だという見方についてさらに補強証拠を挙げている.もし大学教育に付加価値を求めているなら,学生は学位を取るのにもっとも容易な道(例えば物理や生物をとらずに文学や社会科学を取るなど)を選ぶようにはしないだろうが,現実にはそうしているというものだ.

このような怠惰戦略はほとんどの学生にとっては合理的なのだ.そして今後のキャリアに関係なさそうな学位のほうがよりスノッブ的で価値が高い.スタンフォードロースクールは,おそらく,州立大学の法律学科生よりアイヴィリーグの歴史学生の方を好むだろう.BBCはノッチンガム大学のメディアコースの学生より,オックスフォードの英文学科卒をより採用する.
そして採用側のそういう選好も合理的なのだ.何年か機械的に何かを記憶させられていることより,一般的な知性の保証の方が,その後のパフォーマンスのよい予測になるからだ.

アメリカではラテン語などの教育を受けてきたというスノッブ的なディプレーが有効だというのは面白い.ミラーはラテン語を取ってラテン語由来の接頭辞,接尾辞について知っていることはSATにとって有利だという事情があるとも解説している.(ここでちょっと興味があるのは,BBCは同じオックスフォードの学生でも,メディア専攻生より歴史専攻生を選ぶかということだ.もしそうならそのスノッブ的なシグナル価値はなかなかのものだ)


このあたりは日本では実学主義が強いのでちょっと異なっている.おそらく明治当初の実学主義からの経緯により実学的な学部の方が入学が難しく,IQ保証書としての価値が高いのだろう.業種にもよるが,同じ大学であれば,文学部で古文や漢文を学んでいるよりは,法学部や経済学部卒業のほうがやや就職に有利になっているのではないかと思われる.そもそも怠惰戦略という観点からいうと,学部間にあまり差はないという事情もあるかもしれないが.


ミラーは最後に学歴のハンディキャップシグナルぶりをこうまとめている.

もし自分の有酸素活動能力を誇示したいとしよう.それは裸でトラックを走ってタイムを計測してもできるかもしれない.しかしziggurat ascensionの一員になってマーチバンドのなか刺繍された絹のローブを羽織り,たいまつを持って1時間に40回神殿を登り降りした方が優雅だ.そしてそれは壮大な無駄であり,景気刺激的だ.
今日の大学教育はziggurat ascensionによく似ているのだ.ばかげたほど高額で,時間浪費的だ.

*1:ハーバードはハワード・ガードナーの本拠であり,彼は8つの多元知性説の提唱者.(ちなみに8つとは,言語,論理-数学,空間,音楽,運動感覚,対人関係,自己との関係,自然)またエールは感情知性の提唱者ピーター・サルベイ,そして3つの知性(学問,社会,実務)の提唱者ロバート.スターンバーグの本拠だと指摘している.