「過去を復元する」

過去を復元する―最節約原理、進化論、推論

過去を復元する―最節約原理、進化論、推論


本書は科学哲学者エリオット・ソーバーによる生物の系統推定にかかる最節約法についての哲学的な論考をまとめたもので,かなり特殊な専門書である.原題は「Reconstructing the Past」,原書出版は1988年,邦訳は1996年に蒼樹書房から出版されたが,同社の廃業に伴い事実上絶版になっていたところ,今回勁草書房より復刊の運びになったものだ.

1970,80年代には生物分類を巡って,表形学派,進化的分類学派,分岐学派の間に非常に激しい論争があった.その中でいわゆる分岐学派は,系統的近縁性こそが分類の基礎であるとし,単系統群を重視した体系を主張し,その方法論として最節約法をよりどころにした.本書は,そのような激しい論争において最節約法を巡って様々な主張が行われたことを背景とし,その議論の整理を試みているものである.


最節約法とは,乱暴に要約すると,生物の系統推定において,観察データの元でもっともホモプラシー(非相同的な複数回進化,収斂や平行進化)の回数が少ない系統樹を選ぶという方法論だ.
ソーバーはまず,議論の前にいくつかの概念整理を行っている.最初は系統推定を巡って,観察される形質パターンとその背後にある進化プロセスを分けて考えるという整理だ.この作業により進化プロセスの仮定こそが,推定方法論と深い関係にあることが理解される.
続いて分岐学的最節約法と表形主義者が採用する類似度法の重要な違いが,共有原始形質と共有派生形質の区別にあることを指摘している.


ソーバーの最初の議論は最節約法がなぜ適切なのかという時によく持ち出される,理論は単純な方が良いという「単純性」,「オッカムの剃刀」の問題だ.この議論はいかにも哲学的で大変面白いものだ.
それは,「自然は(あるいは世界は),再現可能,あるいは斉一で,単純な法則に支配されている」という信念の元では正しいということになるのだろうが,ここを哲学者は様々に議論しているようだ.*1 ソーバーの主張は(私の理解では)「最節約的な方法が適切だと主張するには,自然についてあるいはプロセスについての何らかの前提があるはずだ.(そしてそれをはっきりさせることが議論においては有用だ)」という常識的なものだが.その細部の議論は読んでいてなかなか面白い.ソーバーはこの前提は大域的なものというよりローカルなものであり,その細部の吟味が系統推定で重要なのだという立場に立つ.私にとってとりわけ面白かったのは,ニュートンの時代には「神の存在」あるいは「神のデザイン」こそが,自然の斉一性の根拠だったというくだりだ.そして「神」が自然科学から説明原理として消滅した後に,なかなか興味深い問題が残ったということなのだろう.また議論の中で必要条件と十分条件の区別にこだわるソーバーの姿勢も印象的だ.論争においてはここが混乱していることが多いのだろう.


続く本書の中盤部分は,前述した論争における様々な立場の様々な主張を吟味して徹底的に批判していく構成を取っている.(ソーバーは本書で,論争における最節約法擁護派の主張,最節約法批判派の主張を双方ともに取り上げて批判している.激しい論争で勇み足が多かったと理解すべきことなのだろう)この部分は現代の読者にはやや読みづらい部分かもしれない.
まず枝ごとの進化速度がばらばらであるなら最節約法は適切でないという(ある意味当たり前の)事実を示して,「最節約法の採用に何ら前提条件はない」という主張を打ち砕く.次に「ある方法が適切と主張するためにはそれが濾過(screen off)能力を持たねばならない」という主張を,攪乱変数をおいた例を持ち出して批判する.
さらに「データとの相関があっても仮説自体のもっともらしさがなければ,結論は適切なものにならない」ということを主張し(この部分で持ち出されている哲学的な議論はなかなか秀逸だ),あるデータからある仮説を選ぶのは,尤度という観点が重要であることを主張する.そしてそこからこのフレームで見た場合の解釈を解説していく,それは(私の理解では)事前確率,データの当てはめ,事後確率というベイズ的な構造で理解しやすいということなのだろう.


ソーバーはこのように最節約法を理解したときに,それはポパー的な理解とどのような関係にあるのかを次に解説している.ソーバーの主張は,ポパーの世界は反証のみ可能な演繹的手法を前提としたものだが,最節約法による系統推定は「弱い」支持,「弱い」不支持の両方が可能な別の体系(アブダクション)であるというものだ.


ソーバーはさらに細かな議論も行っている.それは攪乱変数の理解,ある遷移確率を持つ確率という概念が適切か,最良事例法はいかなる弱点を持つか,統計学的一致性はどのような意味を持つかなどの問題だ.この部分は難解な表現や,当たり前としか思われない主張(ある変数がある確率値を持つ確率を考えることに問題があるとは思えない.尤度概念が一致性を持たないとしても有用であれば使って問題ないのは当然だろう)などが混じっていてやや理解が難しい.過去の激しい論争がしのばれる部分だろう.


ソーバーは最後にいくつか自身の主張を行っている.まず最節約法はホモプラシー自体が少ないこと(あるいは原始形質から派生形質への遷移確率は逆の遷移確率より大きい)が必要条件として前提になっているということはないという主張だ.これは当時大きな論争点だったのだろう.ソーバーは遷移確率の不等性を前提としなくても,形質の期待頻度を前提とすることにより,最節約法が適切であり得ることを示している.(私の理解では,より最近の派生形質の期待頻度が小さくなるので同じ効果が得られるということなのだろう)もっともソーバーの挙げるモデルは形質が0と1の二値のみで議論されており,やや極端なものだ.DNA塩基ではなく通常の形質を問題にするなら実際には(それが必要条件でないとしても)遷移確率の不等性を前提としてもそれほど問題があるようには思われないところだ.(もっとも当時の激しい議論の背景には,実体としてホモプラシーはまれではないという批判が多かったようだから,このソーバーの議論は意味があるということなのだろう)
次にどうやってある形質が共有原始形質か共有派生形質かを決定するのかという問題を扱っている.ソーバーは外群比較法が尤度的な判断として問題ないものだとしている.
最後に過去の論争を振り返り,方法論を明確にするということにとらわれてその方法論の正当化が後回しになったこと,ある方法を弁護しようとして出された議論にはしばしば欠陥があったことを指摘している.そして,何らかの経験的な前提がなければどんな推定法も正しいと議論できないことを強調して本書を終えている.


読みながら私が感じたこともいくつか記しておこう.

  • この議論においては最節約法は広い意味の最尤法の特殊なバージョンの1つということになるのだろうか.
  • ソーバーは上記の観点を含め最尤法についてはあまり語っていないがなぜなのだろう.
  • 本書の議論はおおむね表現型形質を念頭においているが,DNAデータを念頭におくと趣が変わってくるのだろうか.例えばSINE法のように共有原始形質と共有派生形質がかなり明確に異なるものはより最節約法的前提が妥当して,単純な塩基の変異においては遷移行列を元にした最尤法が美しいということになるのだろうか.


全体として,所々に明晰な哲学的な議論があり,所々過去の激しい論争を背景にしたトリビアな議論が仕込まれ,時に興味深く,時に難解な,複雑な書物だ.系統推定と最節約法の細かな議論は現代のDNAデータ中心のすさまじいマシンパワーの時代にはやや歴史的な色が濃いものになっているのかもしれないが,最初の「オッカムの剃刀」の哲学的な議論はいまでも十分読むにたるものだろう.いずれにせよ名著復刊を喜びたい.



関連書籍


訳者三中信宏による関連書

まずは系統と分類について書かれたこの大著.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060822

生物系統学 (Natural History)

生物系統学 (Natural History)


やや一般向けに書かれた本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060730

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

その姉妹編というべき本.系統樹思考と対をなす分類思考について書かれている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091014

分類思考の世界 (講談社現代新書)

分類思考の世界 (講談社現代新書)



分子データを用いた系統推定にかかる手法ついてはこの本が詳しい.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060919

分子進化と分子系統学

分子進化と分子系統学

*1:昔,物理法則が時間とともに変わっていく可能性がある,つまり不変でないとすればどうなるかというSFを読んだことがあるが,これを考え始めると,確かにすべての基礎が崩壊するような感覚に襲われる