「The Rational Optimist 」

The Rational Optimist: How Prosperity Evolves

The Rational Optimist: How Prosperity Evolves


本書は進化生物学まわりで活躍するサイエンスライター,マット・リドレーの最新刊である.*1 これまでの本とは少し傾向が異なり,ここではヒトが成功してきた理由を考え,それが今後も続いていくだろうということが主題になっている.
リドレーの主張は大きくまとめると以下の2つになる.

  1. ヒトの成功の理由は,もの(特に非耐久消費財とサービス)*2 とアイデアの交換により,分業とが生じ,それが効率化と技術進展をよび,経済成長と豊かさにつながったことにある.そしてこのプロセスは現在情報技術の進展により加速しており,近い将来このような利点が失われるとは考えられない.
  2. インテリは悲観的でなければ馬鹿だと思われるし,成功した人はノスタルジーから悲観的だ.しかしきちんと考えれば,そして歴史を見るなら,楽観主義こそ合理的なのだ.


リドレーはまずここ200年の状況の改善ぶりを見る.世界人口の大半の人々にとっては現在は過去よりずっと良いものになっている.実質所得の向上による生活水準の向上,感染症の劇的な減少,教育機会などにそれは現れている.不平等ですら,中国とインドの成功により世界的には縮小しつつある.
リドレーはここでいくつかの議論をしている.「幸福は金で買えないし,年収15000ドルを超えると幸福感は収入と無相関になるから政策目標は経済成長にすべきではない」という意見に対し,それならそもそも病気や苦しみを減らそうという目標そのものの意味が無くなってしまうと反論している.確かに進化心理的にいっても幸福は周りの人々との相対感によるところが大きい.しかし幸福と収入がまったく関係がないわけではないし,より豊かな生活を政策目標にするのはむしろ当然だ(問題はその方策とコストにある).リドレーは経済成長を目の敵にする議論について本書のなかで繰り返し反論している.
2番目にもちろん世界には様々な問題があるが,その解決に一番効果があるのは成長だと主張し,地産地消運動や自給自足を賛美する風潮を批判している.世界を持続可能にするのは自給自足による貧困化ではなく相互依存による成長だという主張だ.自給自足の閉じた経済では生活水準は下がり,近隣社会との紛争も増加する.これは大恐慌後の世界がブロック経済に走り世界大戦を引き起こす遠因となったこととも符合する考え方だ.
なおリドレーはここでジェフリー・ミラーの「Spent」の冒頭の狩猟採集社会賛歌ともとれる一節*3について噛みついている.ミラーの意図は,「ヒトのディスプレー傾向は不変なので現代の消費者中心主義の贅沢品によってディスプレー効率がよくなっているわけではない」というものだから,全体の社会の良さについて議論しているわけではなく,ちょっと論点がずれているようだがリドレーにとってはノスタルジーが過ぎているように見えたのだろう.


そこからリドレーはヒトの歴史を振り返る.
リドレーによるとヒトの歴史のおける最大の転換点は,ホモ・ハイデルベルジェンシスからホモ・サピエンスへの移行において,遺伝的変化より速い技術変化が生じるようになったことだ.リドレーの推測では,これは交換による分業が非常に広く行われるようになったためだ.*4 そして交換(交易)があってこそ分業と特殊化が生じ技術革新が生じるようになる.*5 *6 リドレーはこのような技術革新のためには,交易のネットワークの大きさが重要だとし,タスマニアの例をあげている.
また「グループ間の交易は,相手との信頼関係を重要なものにし,商人道徳を生みだす」とも指摘している.ここでは,英国ではウェッジウッドのような商人が最初に奴隷反対派になったこと,最近のインターネット上の信頼を巡る話題なども取り上げていて面白い.また法制度やルールもここから生まれてくるという議論を行っている.(リドレーは発生メカニズムについて文化と遺伝子の共進化を示唆しているが,このあたりはもっと精査が必要だろう)
リドレーはここで世界はノンゼロサム的で,その状況を利用した交易こそが豊かさの根源なのだが,人々の意識がゼロサム的なので,資本主義や商業についての誤解を生んでいるという議論をしている.*7  交易こそが成長を生み,結果的に自由を拡大し,マイノリティにとってもよい結果を生むという主張だ.ここでは若くて成長する企業がいかに社会に善をなしてきたかも強調されている.例としてはフォードやウォルマートやグーグルがあげられている.


次の転換点はもちろん農業だ.リドレーは,きっかけとしての気候の安定化を指摘した後,農業が始まった動機についても,グループ間の交易の結果,分業により入手可能になった新しい財を手に入れるための余剰生産物の生産ではなかったかと推測している.
その後はアイデアの交換による農業技術の進展が振り返られている.ここではリドレーは農業技術の進展により単位面積あたりの収量が増えたのは,自然環境保全のために非常に良いことだったと強調している.そして有機農業推進やGM反対という議論を強く非難している.合成肥料や遺伝子技術を否定することには根拠がないし,それは収量を下げ,救えるはずの多くの人々を不幸にし,より自然破壊につながる(さらに遺伝子技術否定は農薬使用量増加につながる)という主張だ.ここはリドレーの怒りがストレートに伝わってきて迫力がある.確かにGMに闇雲に反対する人々の主張は本当に非合理的だと思う.


次の転換点は都市の形成だ.リドレーによると,都市こそ交易のために生まれ,(小さな面積に大きな人口が住むために)世界を自然破壊から救った偉大な発明だという.時に官僚制や皇帝などの寄生者にたかられることもあるが,都市は全体として交易を進め人類に善をなしてきた.
歴史的には,活力を持っていた都市が帝国に併合されると活力を失うという現象がしばしば生じる.これは大きな帝国は通常安定を望み,独占擁護的,技術革新抑制的になるからだ.ローマ帝国は比較的交易を守ったので繁栄を続けることができた,帝国崩壊後ヨーロッパが再び繁栄するにはイタリア商人都市の興隆を待たなければならなかったというのがリドレーの歴史観ということになる.


では過剰人口による崩壊現象はどう考えるべきなのか.
リドレーは,まず,ヒトの場合にはほかの動物と異なって分業を進めることによる効率化により人口増加の圧力を軽減できることを指摘する.そして実際に歴史を見ると単純に人口増加のためというより分業の縮小による崩壊の危険のほうが大きいことがわかる.典型的には搾取が大きすぎたり農業収量が下がることにより経済が自給自足的になり,文明が崩壊するという過程をたどる.
もちろん巨視的に見れば人口増加により限界収量が下がって停滞することは生じうる.ヨーロッパは1300年頃からは人口増加に対して収量が増えずに頭打ちの経済になりつつあった.リドレーの解釈では,ここで戦争やペスト禍により人口が一時的に大きく減少したことにより,労働力に希少価値が生じ,資本の蓄積と技術革新が進み,さらに化石燃料が発見され,産業革命につながったということになる.
では今後はどうか.確かに世界人口がどんどん増え続ければどこかで非常に厳しいことになる.しかしヒトは豊かになると出生率が下がるということが18世紀のフランス以降普遍的に観察されている.リドレーは理由を考察しながらもよくわからないと認め,運がよかったのだろうともコメントしている.現在の予測によると,このまま世界が豊かになれば,人口は92億人で止まる.リドレーはここで「消費と商業と市場が人口増加抑制に効果があるというのは,反資本主義で自制主義のインテリには受け入れたくない事実かもしれない.しかし経済的自由と出生率に非常に強い関係があるのは事実だ.」とコメントしている.インテリ面をしている悲観主義者への強い反発が見えるところだ.
リドレーは,また産業革命について,よくその暗黒面が批判されるが,農村の貧しい人々から見れば,その労働環境は農村にとどまるよりはるかにましで希望に満ちたものであったことを忘れてはならないと強調している.そして化石燃料は,エネルギー効率の向上により豊かさをもたらしたとともに,(牛馬の飼料用の開墾や,木材の伐採が防げ)自然環境の保全にも大きく役だったのだという主張を行っている.そして「西洋文明がまさに発展する時に石炭が利用可能になったのは信じられないほどの幸運だったのだ.そうでなければバビロンのように大規模な環境破壊が生じ周辺地域が荒廃しただろう.」とコメントし,バイオ燃料に強く反対している.これは貧しい人々を飢餓の危険にさらすだけでなく,大規模な環境破壊につながるものだという主張だ.これはなかなか説得力のある話だろう.


リドレーの次の指摘は発明と技術革新についてだ.この発明センターは歴史とともに動いてきた.リドレーは発明センターが永続しない理由を「成功が捕食者と寄生者を招き寄せるためだ」と表現している.
では発明そのものは何によって生じるのか.産業革命の技術を見てもそれらの発明はビジネスマンによってなされていて,科学者によるものではない.資本は重要だが,大企業の財務官僚は保守的で阻害要因であることが多い.多くの発明は特許権があろうが無かろうが関係なくなされている.むしろ現在のパテント制は発明阻害的ですらある.*8 リドレーは,アイデアの交換による知見の集積を要因として挙げている.情報は交換によって減ることが無く効用は上がり続けるのだ.


ここまで歴史を振り返った後,リドレーは「悲観主義の歴史」を見る.これはなかなか皮肉が効いていて面白い.化学合成物質による癌の蔓延,核の恐怖,人口爆発,大気汚染,遺伝子技術へのフランケンシュタイン的恐怖,エヴォラなどの新興感染症2000年問題などを次々と取り上げて,インテリはいかに一貫して過度に悲観的だったかを示していく.さらにそれほどまでに悲観的でも実際の災いが予測できなかった例(ヒトラー毛沢東,アル・カイーダ,サブプライム)もあげていて手厳しい.リドレーは1970年代の英国で悲観論のまっただ中で育ち,実際に1980年代1990年代と物事が好転していくのを見て,悲観主義者のでたらめさに怒りを覚えたと述懐している.


最後にリドレーは将来について,これまでの条件には変化が無く,人口は抑制されつつあり,片方で知識の集積はなお一層加速的に進んでおり,今後も人類はうまくやっていけるだろうと「合理的楽観主義」の立場を説明する.そして現在憂慮されている2つの厄災「アフリカ問題」と「地球温暖化問題」についてコメントしている.


まずアフリカ問題.確かにアフリカには問題が山積している.リドレーはしかしそれは解決不能ではないという.うまくボトムアップで制度を整えて交易を盛んにする方策を組み立てられればいいのだ.ポイントは規制の撤廃(特に農業部門と貿易)と所有権の保証だ.そしてボツワナのうまくいった例を紹介し,携帯電話が非常に有用なチャンス(市場機能,決済インフラ)を与える可能性があると指摘している.可能性は確かにあるだろうが,腐敗した政府のなかでどうすればいいかについてまでは触れていない.このあたりはアフリカ諸国の政治過程の暗黒面をどのように評価するかと言うところなのだろうか.


温暖化はどうか.リドレーは,本当に温暖化が進むのかについても議論はあり得るが,ここではIPCCの予測通りに温暖化が生じるとして人類はそれに対処できるかどうかを考えてみようとしている.
リドレーはまず,温暖化した方が降水量は増え,空中の二酸化炭素濃度上昇により植物の生育条件はよくなるだろうし,海水面上昇の影響は小さく(現在の予想では世界中の港湾がつかえなくなるほどではない),人々の健康には寒いより温かい方がよいと指摘している.(気候の変動やハリケーンの強度が上がるという証拠は無いともある)
生態系は影響を受けないわけではないが,絶滅はむしろローカルな条件の方が圧倒的に重要だと主張する.(珊瑚礁やシロクマがよく引き合いに出される.リドレーは「珊瑚礁の白化は水温の絶対値よりも変化速度が問題だし,数年で回復しうるものだ.」「温暖化すれば,全体では珊瑚礁が可能になる地域は増えるだろう.」「またシロクマの多くの個体群は影響を受けていないし,一部の個体群では夏に氷がない条件に行動適応し始めている.それをいうならバイオ燃料によるオランウータンの苦境の方がはるかに深刻だ」と指摘している)

現在主張されている温暖化対策は,経済の成長を犠牲にし,大幅に自然破壊を進めることになる.すると,「豊かで温暖化した世界」と「貧しくて自然環境が破壊された温暖化されない世界」を比べることになるが,人々の厚生からいっても自然環境からいっても前者の方がより良いということになるのではないかというのがリドレーの主張だ.
リドレーは今すぐに温暖化対策が必要だとする議論は,また効用の時間的割引率についても間違っていると指摘する.現在の温暖化対策が待ったなしだという議論の前提条件を見ると,温暖化予測の前提になっている経済成長に対して効用の割引率が著しく低い.この計算では100年後の世代の所得が7/8に減るのを止めるために現在の世代の所得の100%を対策に回すべきだということになる.また様々なエネルギー技術が今後開発されることがないとしているのも問題だと指摘している.有望な技術はたくさんあるというのだ.
これは大きく分けると現在提案されている温暖化対策のコストパフォーマンスが悪すぎるという議論で,ロンボルグの議論に近いものだろう.*9 この主張の是非について私に論評する能力はないが,十分筋の通った議論であるように思う.少なくともバイオ燃料についてはリドレーの指摘は説得的だ.


リドレーは最後に合理的楽観主義の主張を要約して本書を終えている.リドレーの本だから進化生物学的な話題が多いだろうと思って読み始めたが,それは期待ほどではなく,どちらかといえば,人類の歴史,そして将来についての考察にかかる本になっている.(面白い観点としてはヒトの悲観主義的傾向にかかるものがあるが,これについての進化的な考察がないのはちょっと残念だった.)
そういう意味ではロバート・ライトの「NonZero」やマイケル・シャーマーの「The Mind of the Market」に近い本になっている.全般的に統一感のある視点から叙述がなされていて,人類の歴史についてのボトムアップ的な解説が好きな人には大変面白い書物になっていると評価できる.
地球温暖化については(Superfreakonomicsとはまた異なる主張で)議論を巻き起こしそうな主張がなされているが,筋は通っていて読んでいて刺激的だ.特に都市や化石燃料や合成肥料があったからこそ自然環境が広く残ったという指摘はよく考えてみるに値するだろう.昨今の日本では1970年代の英国もかくやというばかりの悲観論が横溢しているが,そういう閉塞的な雰囲気のもとで読むにはなかなか清涼感のある一冊だった.



関連書籍


ロバート・ライトによるノンゼロサムゲーム状況への解決策として発展した人類の歴史.本書の主張と重なるところが多い.

Nonzero: The Logic of Human Destiny

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マイケル・シャーマーによる資本主義と自由市場を進化心理学的視点から語っている本.これも本書の主張と重なっているところがある.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100725

The Mind of the Market: How Biology and Psychology Shape Our Economic Lives

The Mind of the Market: How Biology and Psychology Shape Our Economic Lives


最近邦訳された,レヴィット,ダブナーコンビによる「超ヤバい経済学」私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100610

SuperFreakonomics: Global Cooling, Patriotic Prostitutes, and Why Suicide Bombers Should Buy Life Insurance

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邦訳本

超ヤバい経済学

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ロンボルグによる温暖化の議論.コストパフォーマンスから見てほかにやるべきことがあるというのが基本的な主張.


マット・リドレーの本.


いずれも進化生物学をテーマにしたもので面白かった.The Red Queenは性淘汰にかかる議論を扱っている.The Origins of Virtueは道徳の進化的起源,Genomeはヒトの遺伝子についての面白い知見を染色体ごとに記述したもの,Nature via Nurtureは遺伝か環境かという誤った議論を,遺伝子が環境を条件にして発現していく様を丁寧に追って総括しているものだ.


The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature

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The Origins of Virtue: Human Instincts and The Evolution of Cooperation

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Genome: The Autobiography of a Species In 23 Chapters

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Nature Via Nurture: Genes, Experience, and What Makes Us Human

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邦訳

赤の女王―性とヒトの進化 (翔泳選書)

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徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

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ゲノムが語る23の物語

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やわらかな遺伝子

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*1:前作Nature via Nurtureの出版が2003年だから7年ぶりの新刊ということになる.

*2:マット・リドレーは今回のサブプライムリーマンショックの際にノーザンロックの社外取締役(non-executive chairman)として大変苦労したようである.金融機関がサイエンスライターを社外重役に迎えるというのもいかにもアングロサクソン的だが,リドレーは「市場については引き続き楽観的だが,それは交換されるものが,すぐに消費されるものやサービスの場合であり,資産の市場については問題が生じることがあることがわかった」と述懐している

*3:なかなか面白い一節になっている.http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100222参照

*4:リドレーはそもそも交換と分業が始まったのは料理に関してだというランガムの主張を採っているが,それがより広く行われるようになったのはサピエンスになってからだとしている

*5:リドレーはここで交易と互恵的利他の違いを明確化している.交易はその場で交換すること,互恵的利他は時間的な前後があるということになる.

*6:またリドレーは比較優位の法則がありながら,ヒト以外の動物で血縁関係以外で交換による分業が生じなかったことこそ謎だという言い方をしている.同種非血縁個体間でのその場の交換という現象が何故動物界にないのか,利他性の進化に関してはこれも面白い観点だろう.基本的にはそのような生態条件が難しかったという解答になるのだろう

*7:ここでリドレーは1930年代にアメリカが全体主義に陥らなかったことを僥倖だと表現している.

*8:リドレーはここでパテントトロールの例を挙げている

*9:最近主張を変えたとも伝えられているが,私にはフォローできていない