Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その15


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


Nowakたちによる一次元円環モデルを使った包括適応度理論の批判は,ハミルトン則攻撃に寄り道した後,本丸の「包括適応度の脆弱な前提条件」の問題にたどり着いた.前回書いたように私としてはハミルトン則への寄り道は全くの失敗であるという評価だが,問題の本丸はどうだろうか.ここから包括適応度の前提条件が成り立たない場合の議論がなされている.これは論文の本文にはない部分であり,Supplementary Informationにおいて「包括適応度理論が失敗するとき」というこれまた挑発的な章題になっている.


<When inclusive fitness fails>
Supplementary Information,Part A "Natural selection versus kin selection"


ここではまず制限的な前提のない一般的なモデルでは血縁度は使えないものであることをこれから説明するとある.そしてその後の一文がふるっている.

Ultimately we recognize that ingenious theoreticians working in the area of kin selection might try to redefine ‘relatedness’ in new ways that allow them to see the cases below as ‘obvious’ inclusive fitness models. However, here we want to show that there are clear limitations to inclusive fitness theory, if the Rj in (18) should still resemble a meaningful relatedness.


血縁淘汰領域にいる「独創的な」理論家たちは,さらに「血縁度」を新しい方法で再定義してこれから説明するような場合も「明らかな」包括適応度理論で説明できるとこじつけようとするかもしれないが,もしRjが何らかの意味のある連関性に似ているものであるなら(いかに再定義されようとも)包括適応度理論には明確な限界があることを示そう.というわけだ.


「この理論家たちは何でもかんでも包括適応度の勝利と言い立てるが,そうはいかないよ」という意味だろうが,けんかの売り方*1としてはあまりスマートな感じではない.このあたりは英国の洗練には遠く及ばないという印象だ.


なおここでいうRj in (18)とは以下の定義だ.(再掲)

R_{j}=\frac{Q_{j}-\bar{Q}}{1-\bar{Q}}



この余計なジャブの後Nowakたちは包括適応度の前提条件の議論に移っている.


<Non-vanishing 淘汰(非消失淘汰)>


最初に議論されるのは「弱い淘汰条件」だ.


ここでまずNowakたちは,「"pairwise"な相互作用でなくとも,シナジー効果をなくすために,包括適応度理論は「弱い淘汰条件」が必要になる」と言っている.これは最初何を言ってるのかよくわからなかったが,何度も読み直してみてようやくある程度理解できた.どうもこういうことのようだ.

  • ここでいう"pairwise"な相互作用でないものとは,3人以上によるノンゼロサムゲームのようなものを指している.3人以上の場合には行為者と受益者の戦略だけではペイオフが決まらないので線形性,相加性が崩れる.
  • しかし"pairwise"な相互作用であって,ゲームのペイオフが相加的であっても,強い淘汰の下ではシナジー効果が生じる.
  • だから包括適応度理論は「弱い淘汰条件」を必要とする.


Nowakたちは前回までに見たように,ゲームのペイオフと適応度成分を峻別する議論をことさらに無視している.(そして次の「相加性」の節でゲームのペイオフが非相加的になるという状況を議論する)だからここでは,普通の包括適応度理論の枠組みで言うと,ゲームのペイオフは相加的であっても適応度成分が非相加的になる現象を取り上げると言うことのようだ.
というわけでここで取り上げられるのは普通の包括適応度理論の議論で言う適応度成分b,cの「相加性」の問題だ.


ではまず,なぜゲームのペイオフが相加的であっても,強い淘汰の下で適応度成分が非線形になるのか.Nowakたちは最終的に繁殖成功は他個体との競争状況であるから,包括適応度は(行為者受益者以外の)他個体の戦略と独立にならないからだと説明している.
これを例の一次元円環モデルで説明するとある戦略の適応度wiを行為者の戦略siで偏微分したものがどうなるかを見るとそれがsi+1やsi+2に依存していることは明らかだとしている.


このモデルでは死亡率が一定なので\frac{\partial w_{i}}{\partial s_{i}}=\frac{\partial b_{i}}{\partial s_{i}}となる.
 
b_{i}=\frac{1}{N}\left(\frac{f_{i}}{f_{i}+f{i-2}}+\frac{f_{i}}{f_{i}+f{i+2}}\right)なので問題の偏微分は以下のようになる.


\frac{\partial w_{i}}{\partial s_{i}}=\frac{1}{N}\left(\frac{\frac{\partial f_{i}}{\partial s_{i}}(f_{i}+f_{i-2})-\frac{\partial(f_{i}+f_{i-2})}{\partial s_{i}}f_{i}}{(f_{i}+f_{i-2})^{2}}+\frac{\frac{\partial f_{i}}{\partial s_{i}}(f_{i}+f_{i+2})-\frac{\partial(f_{i}+f_{i+2})}{\partial s_{i}}f_{i}}{(f_{i}+f_{i+2})^{2}}\right)


これとをながめると,これがsi+1やsi+2に依存していることは明らかだというわけだが,なかなか難しい.


この式から説明するのは私には難しいが,Nowakたちが言っていること自体は理解可能だ.
例えばペイオフのb=3, c=1と置いて,ペイオフの初期値が50,i個体以外はすべて非協力戦略だ(si以外はすべて0)とし,i+1個体が死亡するとする.i個体の協力行動がないとしたときのi個体とi+2個体のペイオフはともに50,行動したときの両個体のペイオフは48と50になる.だから行動しないときのwiは50/100,行動した場合のwiは48/50となる.この差は48/98-50/100=-0.01020408...
ここでi+1,i+2が協力だったとすると,i個体の協力行動がないとしたときのi個体とi+2個体のペイオフは53と51,行動したときの両個体のペイオフは51と51になる.だから行動しなかったときのwiは53/104,行動した場合のwiは51/102となる.この差は51/102-53/104=-0.00961538...
ということで微妙にずれてくる.これはまさに他個体との競争になっているので相対的に適応度が決まるからだ.だから強い淘汰がかかるとずれが大きくなってくる.そしてこのような相対的に適応度が決まるモデルにおいて弱い淘汰条件でのみ包括適応度が厳密に成り立つということになる.ここまでのNowakたちの主張は正しい.


非常に強い淘汰がかかると相加性が崩れやすいというのは,このような適応度の相対性のためだけでなく,繁殖成功は0より小さくなれないという制約や,プラスの効果も何らかの別の要因がボトルネックになって逓減的になりやすいことからも生じるだろう.(そしてGrafenたち包括適応度理論家は「弱い淘汰条件」を前提条件と認めている)
(そもそもこの問題は「弱い淘汰条件」の問題というより「相加性」の問題だが)淘汰の強さと関連して議論するなら,強い淘汰により単に相加性が崩れるかどうかではなく,どのように相加性が崩れるのか,それが実際にどの程度頻繁に生じることか,そして厳密に成り立たない場合にどの程度結果がロバストかという問題だと思われる.(そしてGrafenの結果と大槻の計算が一致しているというのは,まさに結果がロバストだったことを示しているように思われる)


Nowakたちはここでそこまで議論していない.non-tribialだというだけだ.しかしなにがtribialで何がnon-tribialかはよくわからないし,それほど大きな非線形効果があるとも思えない.さらにこの一次元円環モデルでは集団全体との競争ではなく特定2個体の競争になっているのでこの効果が特に強く現れているように思われる.一般的な相対的な適応度は集団全体との競争になるから,この意味での相加性の崩れはあまり大きくならないのではないかというのが私の印象だ.


またNowakたちは自分たちの「標準自然淘汰理論」では強い淘汰条件でも扱えると自慢しているが,ではどうやって一次元円環モデルにおいてこの戦略が進化するかどうかの条件式を導き出すかについては説明していない.大槻の計算は(扱えるモデルが限られる上に)直接固着確率を導き出しているので「標準自然淘汰理論」とはいいがたいだろう.そしてNowakたちが示しているのは弱い淘汰条件の下Grafenの血縁度計算を借用して導き出した計算式だけだ.もちろん集団内の全個体のシミュレーションをして進化できそうかどうかを見ることはできるだろう.しかし強い淘汰の下で(biを計算して)条件式を導出できるのだろうか?
包括適応度理論はこれを調べるための単純化した前提を置いているのだ.この前提が不要だというなら,まず「標準自然淘汰理論」による(biの計算方法と)条件式を示すべきではないだろうか.このあたりはこの論文が不誠実で非常に不当な攻撃をしているように感じられる部分のひとつだ.


いずれにせよ包括適応度理論の枠組みからいうとこの問題は「相加性」の問題ということになる.そしてNowakたちの議論もそこに移る.

*1:あるいはNowakたちにしてみると,単に売られたけんかを買っているということかもしれないが