「捕食者なき世界」

捕食者なき世界

捕食者なき世界


本書はトッププレデター(頂点捕食者)の生態学的重要性についての本だ.サイエンスライターの手になるもので,その重要性が認められる学説史が縦軸,そのような視点から自然を見たときに何が見えてくるのかが横軸になり,世界中のトッププレデターが語られている.生態学の本にはよくキーストーン種という記述があって,それは生態系の中で特に重要な位置を占める種とでもいうべき概念だが,その多くはトッププレデターだ.この本はそれは何故か,それはどういう意味を持つのかを示してくれている.


学説史的には,そもそも「森の緑はなぜ植物食者に食べ尽くされないのか」という議論から始まる.この疑問に対してヘアストン,スミス,スロボトキンは「生態系は,エネルギー収支という点で下からコントロールされているのではなく,補食連鎖という形で上からコントロールされている.つまり緑が食べ尽くされないのは植物食者を食べる捕食者がいるからだ」と説明した.そして本書はこれの実証物語ということになる.


本書の魅力は,世界中の具体例が迫力を持って語られているところだ.まずアメリカ太平洋岸北部の潮だまりのヒトデが語られる.これははじめてトッププレデターを除去して対照区と比べてみたロバート・ペインによる実験だ.ヒトデを除いた実験区はイガイのみ繁殖する生態系になり,多様性は崩壊した.続いてヒーラット・ヴァーメイは貝類の形態と地理的分布から,その形態は補食への防御にかかる適応形質であることを知る.*1 ここで本書はカンブリア紀からの大型捕食者物語を概観し(ここは化石動物図鑑のようで楽しい),アメリカ大陸で人類がそれを駆逐してしまったことを語る.


この魅力的な歴史記述の後,本書はまた探求物語に戻る.ジェームズ・エステスは北太平洋のケルプの森はラッコによって守られていることを解明する.*2
ジョン・ターボーはベネズエラダム湖にできた島を調べ,トッププレデターがいなくなった島で生態系が崩壊しかけていることを報告する.ジャガーのいない島でホエザルは増えすぎて食糧不足に苦しみ,アルマジロがいない島ではハキリアリが緑を食い尽くす.


ここからは,アメリカ合衆国においてオオカミやピューマが駆逐された後でシカ類が多様性と環境を崩壊させている様子,それを解明していった学者たちの努力が何重にも語られる.様々な場所で様々な捕食者と様々なシカが繰り返し同じ現象を生じさせている.このあたりは日本でもシカの増えすぎによる問題が生じていることから大変興味深い部分だ.
日本ではオオカミの絶滅から何十年もたち狩猟愛好家が減ってきたことから問題が顕在化しているようだが,アメリカではオオカミやピューマの減少が直接的に多様性崩壊に結びついているようだ.本書では単純な補食量ではなく,オオカミを恐れて開けた土地や水辺に近づかないというシカの行動変化が植生の保護上重要だと強調している.このあたりは日本におけるシカ害対策でも重要な問題なのかもしれない.
片方で,社会問題の進み方はアメリカと日本の差を大きく感じるところだ.アメリカでは狩猟愛好家は「シカが多いことはいいことだ」という価値観から生態学者に強く敵対し,それが政治家のスタンスにも影響を与える一方,イエローストーンでオオカミの再導入プロジェクトが試みられ成功し,さらにゾウなどの旧大陸の大型獣の再導入の計画まで議論されている.*3 このあたりの明解な価値観の対立と「とにかくチャレンジしよう」という社会のダイナミズムはいかにもアメリカ的で面白い.


興味深い指摘としては,ヒトは自分が育った時代を美しいと考えるのでそれ以前の真の自然を理解できないというものがある.これは最終的には何を美しいと感じるかという価値観の問題だが,特にアメリカでは,目標はコロンブス以前なのか,それともクロービス文化以前なのかというテーマがあるからだろう.また捕食者を失うごとに自然はスライム化する(ぶよぶよの中間捕食者だらけになるというほどの意味)という表現もなかなか含蓄があるように思う.


著者は最後に,自然の中でハイイログマと対峙した後は,すべてが異なって感じられるという体験談を語って終えている.確かに一度自然の中で野生の大型動物と至近距離で対峙すると(私の場合はクマではなくカモシカだったが)しばらくまわりのすべてのものに著しく敏感になるものだ.


本書は大型捕食者がいかに生態系にとって重要かという一点に絞って書かれていてテーマが明解だ.また内容もわかりやすく一般向けに書かれていて読みやすい.補食という行動はヒトの心理にとっても不思議な魅力があるようで,読んでいてなぜかエキサイティングだ.全体として楽しく読める書物に仕上がっていると思う.




関連書籍


Where the Wild Things Were: Life, Death, and Ecological Wreckage in a Land of Vanishing Predators

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原書 この原題は絵本「Where the wild things are: かいじゅうたちのいるところ」からきているそうだ.


Where the Wild Things Are

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世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学

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結構衝撃的な本だった.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060409

*1:ヴァーメイは緑内障で視力を失っているハンディを乗り越えて様々な業績を積み上げていることで有名だ.貝類の研究については掌の中で形をより鋭敏に捉えられるということがこの視点に結びついているのだろう

*2:本書ではこの有名な話の後日談も語られていてなかなか深刻だ.保護活動により数が増えてラッコとともにケルプも戻ってきたが,1990年以降ラッコはまた危機に陥る.それはどうもシャチがラッコを狙うようになったかららしいのだ.エステスたちは,それは20世紀の商業捕鯨によって北太平洋から(シャチの本来の獲物である)クジラが減ったためだという仮説を発表するが,シャチを保護しようとする鯨類保護主義者たちとの政治的な議論に巻き込まれてしまったそうだ.

*3:この計画にはさすがに賛否両論があるようだ.