Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その25


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


<Groupselection is not kin selection>
Supplementary Information,Part A "Natural selection versus kin selection"



Westたちは社会進化にかかる様々な概念整理の論文を書いたところ,D. S. Wilsonから思わぬ反発を受けたところまで見た.彼等は早速反論する.


West SA, Griffin AS and Gardner A (2008) Social semantics: how useful has group selection been? J Evol Biol 21, 374-385.


まずAbstructでWilsonが指摘した3点の誤りに反論するために前回の論文に関連するところをさらに拡張して説明しようと述べ,過去45年間のリサーチは血縁淘汰理論とグループ淘汰理論の相対的な使用割合について明瞭な証拠となっていると主張する.

  • 血縁淘汰的方法論のほうが,よりtractableで,生物学的な例により適用しやすいモデルを作ることができる.そしてそれにはWilsonが例にあげたような場合も含まれる.
  • グループ淘汰的なアプローチは使いにくいばかりではなく,混乱を招く.
  • 血縁淘汰理論にはどのような生物にも適用できる統一的なconceptual overviewがある.これに対してグループ淘汰にはformal theoryがない.

なかなか激しい.



つづいてintroductionにおいて,Wilsonは「私達が純粋の多元主義ではない」と非難するので,まず(多元主義のファンである私達は)この一般的な問題を取り上げようと思うと始めている.やはり,多元主義を持ってWilsonから非難されるのは心外だったようだ.


Westたちの議論は以下のような形で進む.

  1. 私達はグループ淘汰理論が間違っているとは主張していない.それは潜在的には有用なツールであり得るのだが,実際には混乱と時間の無駄を産んでいるということを主張しているのだ.
  2. Wilsonの主張は「純粋の多元主義」になっていない.それは20年以上前に解決されたはずの古いグループ淘汰を巡る混乱を蒸し返しているだけだ.確かに社会性の進化を巡っては重要な多元的な問題が存在するが,Wilsonはそのどれにも言及していない.(重要な問題としては,例えば,直接適応度の分割方法の違い,形質の進化とメインテナンスの区別,様々な方法論の包括的な関係などが挙げられている)


WilsonはWestたちが多元主義的でないと非難するだけで,どうしてそう考えるのかを具体的に示してはいない.だからWestたちの困惑はよくわかるし,実際普通の言葉の意味でWestたちは多元主義を保っていると言って良いだろう.


つぎにWilsonが指摘した3点について反論している.


Wilsonの指摘をまず再掲しておこう.

1. Westたちは「新しいグループ淘汰」と「古いグループ淘汰」がまったく連続性がないものとして書いているがそうではない.
2. Westたちは1960年代の「古いグループ淘汰」の否定が正当化されていると書いているがそうではない.
3. Westたちは「新しいグループ淘汰」は包括適応度理論に対して何ら新しい洞察をもたらさないと書いているがそうではない.


1.新旧理論の連続性

Westたちは新旧理論について歴史的に概念的に連続性がないとしているというのがWilsonの指摘だ.Westたちは新旧に歴史的,概念的なリンクがあることは否定しないが,重要な違いがあるのだと主張している.
新しい理論は,マルチレベルの淘汰が起こりうることを認めており,個体が包括適応度を最大化させようとする視点と整合的だが,古い理論は淘汰圧を1つしか認めていないために個体は常にグループの利益が最大になるように進化することになり,これは包括適応度理論と相容れないのだと指摘している.


要するに新旧理論の違いについて前論文では多元的に定義していたので混乱したと言うことだろう.Westたちの指摘は非常に明晰で正しいものだが,前論文の説明ぶりを変えることについて断りがないのはいただけない.いずれにせよこれはことばの定義が異なっていただけの話で大して面白いところではないだろう.


2.古い理論の否定

Wilsonは古い理論が1960年代に否定されたという主張は間違っていると主張している.
これに対してWestたちは古いグループ淘汰を持ち出さなければ説明できないようなものは何もないという言い方で反論を行っている.*1

しかしここは議論がすれ違っているような印象を受ける.ここも古いグループ淘汰の定義が異なっているだけの問題であるように思われるところだ.



3.新しいグループ淘汰理論は何か(包括適応度理論で得にくい)洞察をもたらすか


この論点はWilsonとWestが双方ともに多元主義に立つとすれば最も重要な論点だ,


Westたちはまず自分たちの主張は「新しいグループ淘汰理論は何ら有益な洞察をもたらさない」というものではなく,「新しいグループ淘汰理論は潜在的には有益であり得るが,実際には混乱と時間の無駄しか生みださなかった」というものだとまず述べる.つまりこのリマークは理論的なものでなく事実の問題だというわけだ.そしてこの事実の主張は40年以上にわたるリサーチというハードエヴィデンスに基づくものだという.
そしてこの点に関しては重要な問題が3つあり,そのどれにもWilsonは答えていないと主張する.


(1) 包括適応度理論で同じ結論が得られないようなグループ淘汰理論のモデルはまだ構築されたことがない.時に包括適応度では得られない結論だと主張する論文が現れるが,結局よく調べてみるとすべてそれは誤解に基づく主張であったことがわかっている.

この主張はWilsonの主張とはすれ違っている.Wilsonはグループ淘汰理論の方が得やすかった洞察があるのではないかと示唆しているのだ.(この論点については(3)で詳しく議論されることになる.)


(2) グループ淘汰理論の方が使いにくい.

  • 血縁淘汰理論の方がより簡単にモデルを構築できる.
  • 血縁淘汰理論の方がより一般的なモデルを構築できる.
  • 血縁淘汰理論の方がより生物学的に有用な多様な条件をモデル化できる.


生物学者は分子的なマーカーで血縁度を推定できる.(グループ淘汰にかかるパラメータの直接推定は難しい)
またテスト可能な予測も立てやすい.
だから研究者の大多数は包括適応度的なモデルを使い続けるのだ.


ここでは(証拠として)多くの論文が引用されている.すべてに当たる根気はないが,様々な主張があるのだろう.血縁度が分子的に直接推定できるというのは確かにリサーチャーにとっては扱いやすい理論ということになるだろうと思わせるものがある.たしかにこれについてWilsonは何も指摘できてはいない.


(3) グループ淘汰理論の使用は混乱と時間の無駄を産む.

  • グループ淘汰的なステートメントは誤解されやすい.実際に微生物学,農学などのリサーチなどでは(特に古いグループ淘汰的な)誤解がしばしば見られる.(グループにとって有益な形質であれば無条件に進化すると誤解されるということだろう)
  • グループ淘汰と血縁淘汰は異なるものだという誤解されたステートメントがよくなされる.
  • 混乱しがちな概念のネーミングやジャーゴンを生みだしている.


これはWestたち包括適応度陣営が常々残念に思っているところなのだろう.それぞれ多くの引用がなされている.


ここでWestたちは包括適応度理論の成功エリアを(代表的な論文とともに)表にしている.これはWilsonがようやく2つの例をあげたことと対照的だ.


成功しているエリアとしてあげられているの以下の10エリア

  • 社会性昆虫の性比
  • 局所的配偶競争の理論
  • 協力的な子育てを行う哺乳類についての血縁識別能力
  • 社会性昆虫のワーカーポリシング
  • 親と子のコンフリクト
  • 兄弟のコンフリクト
  • 利己的遺伝要素
  • 同種食の回避
  • 微生物の協力
  • ゲノミックインプリンティング


これを見ると,実際に社会性の進化に関しては包括適応度理論の貢献が圧倒的であることがよくわかる.また特に競争やコンフリクト(性比の問題を含む)についてグループ淘汰的な取り組みが難しいこともよく示していると言えるだろう.


Westたちは,さらにWisonがグループ淘汰理論によって得られた洞察であると主張する2つの例(集団の粘着性とヒトの協力)について詳説すると宣言する.彼等は理由をこう挙げている

  • 異なる理論的な方法論について最も重要なことは,実際の生物学的な現象についての相対的な使用実績であること
  • この2つがグループ淘汰理論から出すことが可能なベストなものだと思われること(これはかなり皮肉な言い方だ)
  • そしてこれをよく見ると実際には私達のオリジナルな主張をよく裏付けていることがわかるからだ

*1:なおこの部分でちょっと面白いのは,Westたちは,古いグループ淘汰的な説明が成り立つとWilsonが指摘している病原体の毒性の進化について,このような説明方式では,病原体は常に弱毒化するという誤解を招きかねないと批判しているところだ.確かにグループ淘汰的に説明するにしてもきちんとマルチレベル的に説明すべきところだろう.