Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その28


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


<Groupselection is not kin selection>
Supplementary Information,Part A "Natural selection versus kin selection"


West SA, Griffin AS and Gardner A (2008) Social semantics: how useful has group selection been? J Evol Biol 21, 374-385.


歴史的スタディーのあとWestたちは理論の統一について述べ始める.


まず包括適応度理論の方がより統一的なoverviewが得やすいと主張する.

  • 協力の進化について包括適応度理論は統一的な枠組みを持ち,すべての問題を同じフレームで扱える.しかしグループ淘汰理論がばらばらであることはWilson自体が認めている.*1
  • グループ淘汰理論が協力を統一的に扱えないのは,互恵性や副産物的な協力などの様々な協力行動をそのフレームに取り込めないためだ.
  • さらに包括適応度理論は,様々なメカニズムの相対的な重要性を示すことができる.真社会性昆虫における協力について,少なくともその行動の進化の最初の起源は血縁個体への協力傾向でしかあり得ないし,それは不妊カーストが存在しうる唯一の説明でもある.また(包括適応度理論の統一的なフレームでは)ポリシングや直接利益の影響も扱える*2 また脊椎動物の共同育児については協力行動の間接利益と直接利益が双方ともに重要だ.
  • グループ淘汰理論は様々なメカニズムの相対的な重要性の理解に結びついていない.そして何ら理論的な分析も実証的な証拠もなく「コロニーの中の高い血縁関係は真社会性の原因と言うより結果として理解されるべきだ」などというコメントを行う.*3


この部分はとりわけ辛辣だ.確かに原因か結果かを判断することはなかなか難しいにもかかわらず,そこについてスロッピーになっているのならそれは非難されるべきだろう.

  • さらに包括適応度理論は,異なるエリアの理論を統合することにも適している.例えば協力とパラサイトの毒性,性比と分散,局所的配偶競争の元でのパラサイトの毒性と共有地の悲劇*4など.さらにこのような異なる問題がどのように共進化するのかも示すことができる.
  • これに対してグループ淘汰理論においてこのようなリンクをうまく示したものはない.


グループ淘汰理論は(Wilsonの関心と言うこともあろうが)特に協力の進化において議論されることが多いので,そこにフォーカスしていると言うこともあるだろう.しかしおそらく因果を直感的に示そうという方向でモデル化されているのでより抽象的な統一レベルに達しにくいのだろう.このあたりもグループ淘汰理論にとってはつらいところだ.



つぎにWestたちはグループ淘汰理論に正式の理論がないことを問題にする.これは論争時にとりわけ厄介な問題になるのだろう.

  • そもそもグループ淘汰は適切に概念化されていない.だから正式な理論(formal theory)もない.そしていくつものイラスト的なモデルがあり,それらは一般性が限定され,相互にリンクもない.中には相互に矛盾するモデルもある.
  • その中でもっともエレガントな数学的なモデルはプライスの共分散方程式に基づくものだろう.(これにはハミルトンの1975年のモデルが含まれる)プライスの定式化は包括適応度理論ともうまく統一的に取り扱える.
  • しかしながらこれはグループ淘汰の正式な理論化ではないとグループ淘汰論者から主張されている.なぜならこの定式化ではそもそもグループ淘汰でなものも含んでいるからだという.例えば社会的でなく,直接その個体に利益があるような傾向(例:眼の良さ)もこの定式化で扱うことができるが,コンセンサスはこれはグループ淘汰と呼ばないというものだからだ.*5


この説明はちょっと驚きだ.SoberやWilsonは,何故より一般的なフレームで扱えるというのにそれを否定するのだろうか.また今回のNowak論文に関するDawkinsのコメント*6に対するD. S. Wilsonによる反論ではHamiltonの1975年の定式化こそグループ淘汰理論と主張している*7からだ.この主張がどの程度普遍的かも含めてこのあたりは私には少しよくわからないところだ.

  • この状況に対してHeisler & Damuthは代替的な正式化として "contextual analysis" を提案している.これによると個体適応度は個体レベルの淘汰にかかる個体ゲノタイプ適応度とグループ淘汰にかかるグループゲノタイプ適応度に分化される.これにより眼の適応のような例は個体ゲノタイプ適応度の個体淘汰として扱えるというものだ.
  • しかしよく考えてみれば,もしグループ内で競争があるとすると,眼の適応についてもある個体の適応度がそのグループ内の平均より低ければ淘汰により頻度を減らすだろう.だから結局眼の適応のような問題についてもどちらの適応度も関係することになる.


この部分は "contextual analysis"の是非を議論しているのだが,そもそも "contextual analysis"が何を言っているのかよくわからないので何を議論しているのかわかりにくい.とりあえずここに書かれている記述に従えば "contextual analysis"は私には理解不能だ.

  • これは結局グループ淘汰という概念自体がきちんと定まっていないからだ.数学的にきちんと概念化されていないために科学的な分析が不可能になるのだ.だからそれは信仰の問題になってくる.
  • Wilson & Wilson 2007では,彼等は「マルチレベル淘汰のすべての様相を捉えている単一の統計的モデルはない」と認めつつ(信じがたいことに)それこそがグループ淘汰理論の長所だと主張している.彼等はこう書いている「実際プライスの共分散方程式のような統計的な方法の(分類上の)*8誤りを指摘できるのは,マルチレベル淘汰理論が何であるかについて正式な統計的なモデルを構築する前にわかっているからだ」


このWilsonの主張はなかなか信じがたいものだ.原論文に当たってみるとプライスの共分散方程式をマルチレベル淘汰に適用する際に,どのようなレベルで区切るかについての問題を論じているところだ.
Wilsonは社会的な行動と関係のない形質(まさに眼の適応のような問題だろう)について不用意にプライスの共分散方程式を使った分析(1975年のハミルトンの方式だと思われる)を適用すると,適応度に差がある個体が別のグループに入ったときにグループ間で適応度が異なっているようになり,まるでグループ淘汰が生じているように記述されるが,これは不適切な使い方だと論じている.Wilsonはそれはグループをどこで分類するかの設定を誤ったためであり,その誤りが指摘できるのは,何がグループ淘汰と呼ぶべきかについて強いセンスがあるからだと言っているのだ.
そうやってみると,結局Wilsonは,何がグループ淘汰で何がグループ淘汰でないかについて何らかの別の基準でわかっているので,どのようにプライスの共分散方程式を適用するかあるいはすべきでないかを判断できる(つまりプライスの共分散方程式の適用は常に正しいわけではない)と言っているようだ.この「別の基準」はここでは明示されていないので,Westたちにとってはそれは「信仰」の問題ということになるのだろう.実際Wilsonが,なぜ上記の問題を不適切と考えるのかは私には理解できない.

  • 正式な理論がないと言うことは,グループ淘汰で記述されたモデルを包括適応度理論に書き換えることはできるが,逆は必ずしも成り立たないということになる.


そもそも正式な理論がないのだから,すべてのグループ淘汰理論が包括適応度理論と等価であるとも言えないのではないだろうか.少なくともきちんとしたマルチレベル淘汰理論については包括適応度的な書き換えができるという趣旨だろう.(この点はNowakたちによる強い淘汰条件になり立つような指数関数的な適応度を仮定するモデルについて問題になるだろう.グループ淘汰理論であると言い張る特殊なモデルが包括適応度理論と等価でないことはあり得るだろう.)

  • 実際に多くの包括適応度理論の成果はグループ淘汰的にモデル構築されていない.(ここでは,局所的配偶競争における性比などとは別の繁殖価と遺伝子頻度の変動の問題が例にあげられている.)
  • 結局「グループ淘汰」とは何なのかという問題が残る.それは一般的な進化アプローチではないが,いくつかの血縁淘汰的な問題を扱うことができる(そして潜在的には有益でありうる)非正式(informal)な概念化だということになるだろう.


多元主義とは言いながらなかなか手厳しい.私の印象としては,Wilsonはグループ淘汰を擁護しながら,次々と戦線を破られて,撤退しながら戦い続けているのではないかと思われる.だから異時点の主張を並べるといかにも苦しい形になっているのだろう.

*1:2007年のWilson & Wilsonの論文が引用されている.Rethinking the Theoretical Foundation of Sociobiology(2007) David Sloan Wilson, Edward O. Wilson /The Quarterly Review of Biology/, Volume 82: 327-348 この論文についてはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080330参照

*2:そもそものNowakたちの論文との関係で興味深いコメントだ.

*3:ここも2007年のWilson & Wilsonの論文が引用されている.

*4:これについてはFrankのFoundation of Social Evolutionが引用されている.随分前に読んだ本だが,もう一度読んでみたいと思わせる.

*5:Heisler & Damuth 1987, Sober & Wilson 1988, Okasha 2006, そして2007年のWilson & Wilsonの論文が引用されている.

*6:http://richarddawkins.net/articles/508102-a-misguided-attack-on-kin-selection

*7:http://scienceblogs.com/evolution/2010/09/open_letter_to_richard_dawkins.php

*8:原論文ではclassification errorsになっているがWestたちの引用ではclassificationが落ちている.