日本学術会議公開シンポジウム 「ヒトの社会と愛 」

shorebird2011-02-08


2月6日に東大本郷キャンパスで「ヒトの社会と愛」と名打った公開シンポジウムが開かれたので参加してきた.これは昨年アルディピテクス・ラミダスの復元について詳しい発表がなされたものを一般向けにも説明するという趣旨で開かれたもので,日本学術会議,日本人類学会,東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻,東京大学総合研究博物館の主催,日本霊長類学会,日本文化人類学会の共催という形になっている.

ラミダス化石が主題なのに何故「ヒトの社会と愛」という名前になっているかというのはナゾだったが,説明を聞いているとどうやらラミダス化石の分析から性差がアウストラロピテクスより小さいことがわかり,それを「社会」「愛」と結びつけてキャッチコピーにしようという趣旨だったようだ.かなり無理筋のような気もするが,いずれにせよそういう趣旨で進化心理学者の長谷川眞理子先生も講演者として招かれたらしい.


2008/9の日本学術会議主催の公開シンポジウム「戦争と人類学」と同じ場所(赤門奥の理学部2号館)だったが,このキャッチコピーが効いたのだろうか,参加者は倍以上になったようだ.私は開始10分前についたのだがほぼ満席,その後も参加者が増え,追加で椅子を並べても足りずに立ち見が出る盛況ぶりだった.







主催者から挨拶のあとラミダス化石についての講演がある.


「ラミダス猿人化石の全容」 諏訪元


ラミダス化石は92年に発見され,94に新属「アルディピテクス」として発表.
この化石がアウストラロピテクスと区別して新属にするのに値するかどうかということを決めるのはなかなか難しいが,2000年頃から様々に分析してきた.

そこから,サヘラントロプス,オロリン,ラミダスなどのアウストラロピテクスより古い化石群,アウストラロピテクス属,ホモ属を並べた系統図を示しつつ,アウストラロピテクスは直立した後にサバンナに適応した属で,アルディピテクスはまだまだ森林やウッドランドから完全に離れていない原始的な形質を持つものだと区切れると説明.


化石がどのようなもので,どれだけカバーしているのかについては復元図を示しながら説明.頭骨を含む全身骨格といえるほどカバー率の高い化石が1体分.(アルディと個体名がつけられている.これはルーシーに匹敵するものだそうだ)手足の各部分が7から2個体,歯は60個体,うち犬歯が20個体,下顎が10個体分ある.これを分析することにより以下のようなことがわかる.


<特徴>

  • 全身個体は犬歯の大きさから見てメス.
  • 身長120cm,体重40-45kg(やや小柄,チンパンジーのメスと同じぐらい)
  • 犬歯からみて性差は小さい.
  • 上肢の方が下肢より長い
  • 脳容量300-350cc
  • チンパンジーに比べて明らかに直立している.骨盤が上下にせまく,バランスがよく腰部の前湾を可能にしている
  • しかしアウストラロピテクスやヒトに比べると骨盤の下部は原始的.また大腿骨まわりの筋肉は前側(大腿四頭筋)より後側(ハムストリングス)が厚く,より樹上適応を残している.
  • 足の親指は大きく開き把握性がある,歩行時のアーチは形成できない.(アウストラロピテクスの足も把握性があり半樹上性と主張されることがあるが,親指はあまり開かず半樹上性とはいえない)
  • 手の形も原始的で中新世の原始的類人猿の特徴を残している.
  • 頭骨,下顎,臼歯の大きさ,エナメルの厚さはアウストラロピテクスのようなサバンナの硬い食物への雑食性の適応を示していない.


<環境>

  • 幸運なことに同じ時期の地層から環境の指標化石がでている.また歯の酸素と炭素の同位体比から,生息環境は森林からウッドランド的な環境だったことがわかる.(同位体比をグラフ化するとゾウ,ウマ,サイなどの草原性の動物と,樹上性サル,ラミダス,森林性のゾウは大きくクラスターが分かれる).
  • 骨格の特徴と合わせて考えると,森林からウッドランドが生息環境で,直立二足歩行は行ったが,完全にサバンナに進出しているわけではないと考えられる.


<進化シナリオ>

  • ラミダスはあまり特殊化していない原始的な中新世の類人猿の特徴をよく残しているが,疎開林に進出し林床の食物採集のため直立二足歩行へ適応し,性差も縮小した.これは対捕食者戦略の点からオスとメスの間で分業(メスが食物を供給してオスが安全を供給する)への淘汰圧がかかり,オス間競争よりメスの選り好みが効くようになって性差が縮小し,単婚性の社会になり,さらに仲間内での協力もより重要になったというプロビジョニング仮説と整合的だ.
  • ラミダス以降アウストラロピテクスでサバンナ適応が進んだのだろう.サバンナへの進出は食性への適応だけでなく,安全に樹上で眠ることができなくなるので,さらに対補食戦略が必要になっただろう.これが社会性へ影響を与え,脳の増大,性差の拡大への淘汰圧になったのではないか.
  • またチンパンジーとラミダスの違いを考えると,手の形はラミダスが原始的共有形質と考えられ,懸垂(ブラキエーション),ナックルウォークを含むチンパンジーの手の骨格は樹上性への進んだ適応で派生形質と考えられる.また犬歯の大きさをラミダス,チンパンジー,ボノボと比べて考えると,大きな犬歯もチンパンジーの派生形質だと思われる.


なかなか詳しい報告で興味深かった.ラミダス化石が豊富な情報を持つものであることがよくわかった.なおチンパンジーの様々な特徴が派生形質だという指摘はなかなか面白い.



続いて古人類,類人猿研究者からのコメント


馬場悠男

男女の愛からそれ以外の社会的な愛にどう進んだのかという問題意識のコメント.同じコミュニティの仲間に対する愛が男女の愛の派生拡大形だと決めつけていて,何故そう思うのかという理由すらなく,進化心理学的な視点から見るとかなりアウトオブデートなコメントだった.心の適応進化とモジュール性についてはほとんど関心がないのだろう.


山極寿一

大規模な霊長類の種間比較データから,様々な特性の系統的な起源を考えるとどういう事になるかというプレゼン.
体格や犬歯の性差と配偶システム,精巣の大きさと配偶システムの関連(このあたりはおなじみのところだ)排卵隠蔽と配偶システムの関連,父系性と配偶システムと子殺しの関係,アフリカ類人猿の中の社会的ネットワーク性の比較(チンパンジーとボノボは遠く,ボノボとゴリラは近い)などが矢継ぎ早に紹介される.
いくつか起源的な考察もプレゼンされ手面白かった.もっとも系統的な起源の分析は,これらの性質が環境依存で変わりやすいものであることを考えるとあまり有効な手法ではないような気もするところだ.


最後にヒトの生活史の特殊性(子供期,青年期の存在,エネルギー収支の性差,大きな変動など)を紹介し,先ほどの講演で紹介されたプロビジョニング仮説を説明していた.
この説明だけでは草原の捕食者適応と性差縮小をかなり強引に結びつけていてかなり粗い印象だ.仮に性差縮小が捕食回避に有効だとしても,どちらが原因でどちらが結果かもなかなか難しいだろう.先に別の要因で配偶システムが変わって,ほかの生態環境に進出可能になったのかもしれないのではないだろうか.



中務真人

古霊長類研究者としてコメント.そもそも類人猿の化石は非常に少ないこと,ヒトとの共通祖先が問題になる5-10百万年前の類人猿の化石はアフリカではほとんどでていないことを解説した後,共通祖先に関する講演内容についてコメント.ナックルウォークが派生形質だという主張は受け入れられるが,ブラキエーションについてはこれから議論されることになるだろうとコメントしていた.
たしかにナックルウォークはともかくブラキエーションも派生形質だとなるとテナガザル,オランウータン,ゴリラ,チンパンジーと4回も独立に進化したことになる.にわかには肯定しかねる印象だ.



休息を挟んだあと,ヒトの性差についての講演


「ヒトにおける性差:生物学と文化の交差点」 長谷川眞理子


最初は性差の話ということで気軽に引き受けたのだが,「愛」という主題もあると聞いて,がんばってスライドを作りましたと前置きコメント.


最初は<生物学的性差の議論とフェミニズムについて>
「性差」の話をすると「性差別」の議論に巻き込まれる.まず「生物学的にそうなのだから,性差はあって当然で,性差別を容認するのですね」と攻撃される.「そうじゃなくて事実としてある話と容認するかどうかは別です」と説明するのだが,「ニュートラルに事実を記述するのは不可能だ」「生物学者にはある価値観があって,見たいものを見つけるのだ」と反撃され,「いや主張された事実の真偽はデータによって検証される」といっても「そういうこと自体が社会的に構築されたものだ」とか何とかいわれるのだそうだ.
この点について,「いろいろ議論はあるだろうが,何らかの主張の真偽をつける事においては自然科学の手法はもっともいいものですというのが今日の立ち位置です」とのコメント.


このあたりはフェミニズムとポストモダニズムによるダブル攻撃で,日本でもいろいろな苦労があるのだろうと思わせる.


<進化生物学の基礎講座>
オスとは何か,メスとは何かから始まり,動物における性差の存在とダーウィンの議論.その究極的な説明としての潜在的繁殖速度と実効性比の問題,配偶システムと子育てシステムは異なる次元の問題で,オス間競争とメスの選り好みという性淘汰にそれぞれ別の影響を与えることと流れるように続く.(なお性逆転種の説明のところで,レンカクのメスが,やめてーと懇願調のオスにかまわずほかのメスの産んだ卵を投げ捨てる所行の説明を臨場感たっぷりに演じて聴衆には結構受けていた)


<配偶システム>

  • 配偶システムは単婚制から緩い一夫多妻制
  • 排卵隠蔽は確かに重要だ.前の講演でこれを発情期の喪失と恒常的受容と説明していたが.恒常的受容というのは間違いだ.女性はいつでも誰でも受け入れるわけではない.誰といつ行うかが極めて個人的になったと解釈すべきだ.
  • チンパンジーは発情サインが明確で,発情があればどのオスも受け入れる.だから基本的にはレイプはない.ヒトは発情サインがないので状況が極めて複雑になり,レイプも生じるようになった.


<子育てシステム>

  • 子育てシステムはコミュニティの共同繁殖制
  • シングルマザーが1人で子育てする伝統社会は報告されていない.
  • 家族という単位はあるが,社会の中で孤立しているわけではない. vs テナガザル
  • 狩猟採集社会で一人前になるには18-20年かかる.ここまで育てるにはコミュニティが共同で育てるしかなく,そのためには競争的知能だけでなく協力的知能が必要になる.
  • 子育てだけでなく,男性の食物獲得は恒常的には行えず助け合いは不可避(怪我,病気,スランプだったりする)また実際に男性のとってきた食物は家族ではなくコミュニティで分配される.(少なくとも食糧供給は「父」の役割ではない)
  • この協力的知能はヒトにおいて特有のもので,チンパンジーにはない.
  • 協力的知能は「相手を出し抜くか(競争的知能)」ではなく「一緒にできたら楽しいね」というもの.これは前頭前野がかかわっており,自制心,他人の心を読むことと関係がある.
  • また協力的知能には3項関係の理解が重要.「私が見ているあれをあなたも見ていて,あなたはそれを私が知っていることを知っていて,それを私も知っていて・・・」そしてこれがあるためにヒトはチンパンジーと違って非常に「おせっかい」になる.

<観察される性差>

  • 男性の方が体格,筋肉は大きい.
  • 男性は死亡率が高く,成長が遅い.


特に脳に関しては(少なくとも)以下のことははっきりしている

  • 男性の方が大きくて成長が遅い.
  • 男性の方が3次元認知が高い.これは至近的にはテストステロン+何か.究極因は狩猟とかいわれるがわかっていない.
  • 男性の方が一側性が高い.(一点集中型)
  • 男性の方が発話が流暢ではない.言語能力の発達は女の子の方が早い.また発話要求も女の子の方が大きい.
  • 男性の方が抑制が効かない.
  • 男性の方が自己顕示欲が強い.この2つの至近要因はテストステロン+何かで,究極因は男性間競争だと思われる
  • 男性の方が障害が多い.
  • 男性の方が指先微細調整能力が低い
  • 言語能力は能力テストをすると有意な差が出ないが,実際の状況でしゃべれる単語の数や文法的に破綻せずに長い文章を発話する能力は女性の方が高い.
  • 多重認知能力は女性の方が高い.
  • 社会的認知(表情の読み取りなど)はテストすると能力差がでないが,日常の状況ではそこに注目するかどうかに差があるようだ.これらは至近的には成長曲線や一側性の問題で,究極的には子育てへの適応(ほかの仕事をしながら子育て,赤ちゃんの状況把握など)だと思われる.


<文化と性差>
ここで最初に戻ってすべての性差は文化によるという主張へのコメントに

  • 男女に生物学的な差はある.
  • 文化はその上にジェンダー(性役割)を提示する.しかし文化自体ヒトが作るもので完全に非生物学的であるわけではない.
  • まずヒトにはカテゴリー化の能力があり,赤ちゃんにとって男女は明鏡なカテゴリーとして存在している.
  • そしてその中で子どもジェンダーを内在化していく.

(さらに講演後のQ&Aで脳にかかる性差は文化由来ではないかと問われ以下を追加コメント)

  • そもそも文化の影響を受けないであろう生後数日から数ヶ月で様々な差が観測される(集中力など)
  • 文化は現在何故そうなっているかという部分にもオリジナルな性差が効いているはずだ.
  • 特に農業以降は,男性,女性それぞれどのような状況が心地よいかということによって様々な活動を行ってきただろう.そう考えると根は深いはずだ.結局権力を持った男性がオリジナルな性差に基づく環境選好を文化に実現化させたのではないか.
  • そしてさらに,生物学的な性差が反映しているとして,それがすべていけないもので直すべきものかどうかはよくわからないだろう.

限られた時間の中でできるだけ説明しようという詰め込んだプレゼンだった.その密度と流麗な流れは見事だった.
フェミニズムとの絡みは印象的だった.いろんな公的な委員とかを引き受けられているので性差別を巡る議論にはしばしば巻き込まれているのであろうか.きっとアメリカほど激しくないが,洗練されていない分ナイーブな議論(単純なブランクスレート的な議論は多そうだ)に巻き込まれることが多いのだろう.


この後総合討論となったが,時間が押していて会場からの質問に答えるだけとなった.
ちょっと面白かったのは,ラミダスの指の長さを巡る質問で,「アメリカのディーラーからレプリカを買ったのだが」という前置きがあったところ,諏訪先生からはいいにくそうに,あれは復元図から勝手に作られた「模造品」でやめて欲しいと思っているというコメントされたことと,山極先生からのゴリラがペットを飼っていた例がある(ロサンジェルス動物園のゴリラは複数のネコを飼っていたそうだ)とのコメントだった.


メインの2講演ともに内容の濃いもので大変充実した講演会であったように思う.