「つながり」

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力


本書は「肥満は伝染性である」という研究で有名な,医学者であり社会学者であるクリスタキスと政治学者ファウラーによる,社会的ネットワーク全般についての一般向けの本である.肥満の伝染の研究は全米の話題になったものだが,その統計分析の適切性について批判論文がでていて,さらにクリスタキスたちも反論を公表している.これらについては一通り眼を通してみたが,私の印象は「肥満は伝染してもおかしくはないし,おそらく伝染するだろうが,おそらくその効果は彼等が主張するよりずっと弱いものだろう.少なくとも彼等の研究で伝染性が統計的に示されたとはいえないだろう」というものだ.というわけで肥満や孤独が伝染するかどうかはまだ確定的ではないという留保付きで読むべき本ということになろう.しかし本書のスコープは「肥満や孤独が伝染性かどうか」という問題よりかなり広いものなので留保付きでも十分に面白い読み物になっている.


まず最初に社会的なネットワークについての基本的な性格が整理される.(1)社会的ネットワークは私達のつながりによって構成され,(2)その構造は私達に影響を与える.(3)その影響は直接のリンクだけでなく(4)間接的なリンク(友人の友人)にまで及ぶ.(5)またネットワークはそれ自身の命を持っていると主張されている.
最初の3つは分かりやすいが,あとの2つは微妙だ.間接的な影響というのはただ次々と影響を与える場合と,離れたところに別種のリンクが生じるという2つの場合が混在して論じられていてややわかりにくい.著者たちはこの間接影響が社会的ネットワークでは3次まで及ぶという法則があるとも主張しているが,前者は影響があるのは自明のことだが3次までに限定されるはずがない(そのあたりで減衰して有意さがなくなるということはあるだろうが)だろう.後者はちょっと面白い問題になる.著者たちは進化環境ではダンバー数の150人ぐらいのコミュニティがあったのであり,ちょうど3次のつながりの範囲なのだと説明している.5番目の独自の命というのは比喩表現で,ネットワーク自体に創発的な特徴が生じることを主張しているようだ.


第2章以降はネットワークを通じて何が伝染していくのかの話題になる.
まず笑いなどの感情が伝染することが取り上げられる.(集団ヒステリーのような病的なものと普通のものを特に区別していないのはちょっと引っかかるが)これらが伝染するのは確かだろう.笑い,恐れ,幸福感,孤独感などの伝染事例が取り上げられている.なお著者たちはこの感情の伝播が「集団の組織化に役立つ進化的な適応」だという主張を行っているが,かなり乱暴でナイーブな議論だと評価せざるを得ない.本来の感情の機能を押さえ,それが伝染することによるメリットとデメリットを考察すべきだが,そのような議論は全くない.このような進化的な究極因の説明は本書の後半でも出てくるが,全般的に底の浅さが見える.進化心理学についてはよくわかっていないようだ.


第3章はパートナーとの出会いの仕組み.
見合いに否定的な現代アメリカ社会であってもパートナーとの出会いはネットワークの3次のつながりの中で生じることが多いことが紹介されている.これは先ほどの進化心理的説明と合わせて興味深いところだ.
またどのような人が魅力的かという点に関して,よく進化心理学で話題になるような議論を行ったあとで,魅力の基準がネットワークで伝染するという議論を行っている.特に女性が他の女性の基準を模倣・援用するのは低コストで得にくい情報を得る合理的な方法だというわけだ.面白い観点かもしれない.
このあと性の奔放性の基準の伝染(純血の誓いの仲間内の価値からの説明),結婚の与える健康への影響が議論されている.結婚の与えるインパクトは男性の方が圧倒的に高い.これは結婚により様々なケアがなされる度合いが男性の方が高く,また離別後負の影響があるのは社会的ネットワークから切り離される度合いが高いからだろう(つまり男性は女性配偶者の社会ネットワークに絡め取られる度合いが高い)と主張されている.ここもなかなか面白いところだ.


第4章は悪徳の伝染.
まず性病の伝染が取り上げられる.この感染の広がりがネットワークの構造に影響を受けることが詳しく語られる.高校のセックスネットワークなどの話はなかなか迫力がある.これは性的な感染症への対処についてもネットワークの構造の見極めが重要だという主張につながる.一般の感染症だと拡散方程式で十分よい近似が得られるが,性病ではネットワーク構造が無視できなくなるのだろう.
続いて問題の肥満の伝染について.これは1948年以降継続的に健康診断を行っている大規模なデータから得られた結果として書かれている.伝染については留保付きで読むとして,おそらくあるであろう伝染メカニズムへの推測は模倣や規範の伝染だろうとされている.
なおここでは特定地域にだけ見られる症候群(ドイツにおける腰痛の蔓延など)についても伝染によるものではないかということが議論されている.私は知らなかったが統計に見られる腰痛罹患率アメリカ10%,イギリス36%,ドイツ62%なのだそうだ.さらにドイツではもともと旧東ドイツでは罹患率が低かったのに再統一後10年で旧西ドイツと同じになったそうだ.確かにこれは心理的なものも含め何らかの伝染があるのだろうと思わせる.日本でいえば強度の肩こりといったところだろうか.著者たちはこのような現象を文化結合症候群と名付け,拒食症や過食症,さらには自殺も同じではないかと疑っている.
著者たちはこのような健康に関する感染症以外の伝染を考えるなら,公衆衛生プログラムをネットワーク的な視点で考え直すべきだと提言している.それは例えば減量プログラムは友人と一緒に参加するより友人の友人と組む方が効果的だとか,予防接種はよりネットワークの中心にいる人から始めるなどの方策を指している.実際に実効的に行うのは難しそうだが,ちょっと面白い提言だ.


第5章は経済的な現象について
まず紙幣がどう渡っていくかの話題が振られる.アメリカには紙幣番号とどこで手に入れたかを入力するサイトがあって特定の紙幣がどう動いていったかを追跡できるらしい.この動きはランダムウォークではなくレヴィ飛行的(時々ジャンプする)だ.
この後開発援助と社会的絆,発明家同士の交流,ビジネスの広がりは弱い絆がポイント(大きく広がるには弱い絆を通過することが重要),社外取締役のネットワーク,創造性を保つためのチームの秘訣(つながりが強すぎても弱すぎても駄目),コーディネートゲームとネットワークの構造,社会ネットワークとマイクロファイナンスなどの話題が脈絡なく紹介されている,この章はやや散漫な印象だ.


第6章は政治的な現象について
オバマの選挙キャンペーンとネットワークの話が振られたあと,投票のパラドクスの話題になる.著者たちは,ネットワークを通じた他人への影響を考えると自分の投票行動は1票をはるかに超える影響があり得るという現象から何故人は事実上効用のない投票という行為を行うのかという問題が説明できるという議論をしている.しかしそれはやや疑問だ.これは「自分は投票に行くような人間だ」というディスプレー効果の方が大きいだろう.
ここでは,法案の共同提案から見たアメリカの政治家のネットワーク,ブログスフィアの構造(アメリカとイランが例にとられている.イランのものは面白い)なども取り上げられている.


第7章ではつながりの意味が扱われる.
ここでヒトとつながりたいという要求には遺伝的な基盤があるという指摘のあと,著者たちは進化的な議論を行う.いわゆる互恵的な利他の議論をしたいらしいのだが,説明はあまりいいものではない.進化理論を単純に当てはめては説明できないとした後,アクセルロッドのTFTに移り,さらに相互作用しない戦略を混ぜた場合,罰がある場合という研究の断片を紹介する.このあたりの進化ゲーム研究は大変複雑で説明が難しいところだが,ややはしょりすぎだろう.その上で「ヒトはネットワークを持つものと定義すれば,動機を純粋の利己主義から切り離せる」などの記述があり,利他主義の進化の分野について余りよくわかっていないのではないかと思わせる.
このスロッピーな総説のあとは,最後通牒ゲームや独裁者ゲームの行動がその人の社会ネットーワークの影響を受けること,行動遺伝学的にその人の社会ネットワークの特性値に遺伝率があることなどが紹介されている.
この後,ネットワーク特性値に遺伝率があることからそれは進化的な適応と考えるべきこと,(多くのヒトは自分の社会ネットワークを書くように求められると「神」を入れてくることから)宗教についても社会ネットワークの効果の観点から捉えられるのではないか,ダンバー数とネットワークの3次のつながり法則の関係などの進化的な議論がなされている.しかし議論の詳細はかなり粗くて独善的なもので,思いつきの域を出ていないように思われる.(たとえば何故多型が維持されているかの説明は説明になっていないだろう.)


第8章では仮想空間のつながり
ヒトはインターネット上の仮想空間でもネットワークを形成する.ここでは匿名のネットワークでも自分のアバターに合わせた行動戦略が見られることなどを紹介しつつ,基本的なネットワークを作る心理は実生活のものと変わらず,技術により様々な影響が出るが極端なものにはならないだろう事が説明されている.ここでは電話が出現したときの議論が今のインターネットの議論とよく似ていることなどが紹介されていて面白い.
技術による変化としてはオープンソースやウィキ,出会いサイトと性行為の大胆さの変質,若い人たちの間の影響力の強化などが取り上げられている.


第9章はネットワークの創発的性質について
冒頭で社会とは何かを巡る議論に触れているが,いきなりホッブスとルソーが同じ見解だとあってかなり表層的なとらえ方でがっかりさせられる.アリの超個体性などにも言及していて何を主張したいのかわかりにくい.ここで著者たちが説明したいことは一旦ネットワークの構造ができあがると,創発的な特性を持ち,それがメンバーを入れ替えながらある程度続くということのようだ.そして著者たちはそれが一種の公共財だという議論をしている.
まず分かりやすい例として犯罪ネットワークは負の公共財だということになる.犯罪の種類によってネットワーク上の影響度は異なるというのは面白い.すると利他行為のネットワークは正の公共財になる.これは利他行為や慈善行為が伝染するものであればそういえるだろう.
そして社会の格差について,公共財であるネットワークへのアクセスという側面からの見方ができること,格差是正の政策にはネットワーク性の考慮が重要であることを主張している.実際にどうすればいいのかは難しそうだ.
最後に著者たちは,このようなネットワークからの影響を認めると個人の自主性が失われているような気持ちになるかもしれないが,逆に自分の行動が他人に影響を与えて大きな結果につながりうるものであることにもなるのだと述べて本書を終えている.いかにも個人の自由を尊重するアメリカらしい結びだ.(なお本書では謝辞のあとに名前が挙がった人たちのネットワーク図が添えられている,なかなか小粋だ)


本書は様々な社会の現象がネットワークの視点から見るとちょっと違って見えてくることを教えてくれる面白い本だ.議論としては散漫でつまみ食い的で余り高い水準のものではない(特に進化的な議論は評価できない)部分もあるが,ネットワーク性を考慮することで今までえられなかったショートカット的な解決がある可能性が随所に見えて興味深い.肩の力の抜いて,こんなこともあるのかというスタンスで読む本ということになろう.


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