「「行動・進化」の数理生物学」


本書は日本数理生物学会が設立20周年を記念して刊行されたシリーズ「数理生物学要論」の第3巻であり,日本を代表する数理生物学者が進化や適応に関する様々なトピックについて寄稿している.非常に力の入ったモノグラフが集められていて読み応えは十分だ.


第1章は巌佐庸による総説.
進化について簡単に触れてから,いくつかのトピックについて簡潔に基本が解説されている.

  • 最適化の問題として採餌戦略の問題,制御工学に応用による最適スケジュールの問題が概説される.最適スケジュールを解くための近似法として動的計画法とポントリャーギンの最大化原理に触れている.
  • 相手の戦略が自分の適応度に効いてくる進化ゲーム理論の概説.親による子の世話(オスメスどちらが子育てするか),性転換,性配分などが簡単に解説されている,
  • 適応が時間的にどう進むかという動的分析として量的遺伝学の基本が概説されている.
  • 確率論モデルが決定論モデルと大きく異なった挙動をする問題.小さな確率で突然変異が生じ,一旦閾値以上に増えると固定するようなモデルにおいては決定論的に解いた平均解に対して実際のシミュレーション結果は大きく分散することになることが解説されている.
  • 進化容易性.基本的には適応地形の問題で,発がんプロセスの議論が紹介されている.最適形質につながる細いパスがあってもパスの確率構造によってはそこにたどり着きにくいことが議論されている.

いずれもコンパクトに基本が解説されていてこれだけでも一冊の本に値するほどの密度だ.


第2章は山村則男による動物の交配戦略.20年以上前の論文を解説したもの.
ESS導出の準備段階としてオスとメスが交尾すると未交尾オスと未交尾メスの頻度が減っていくという個体群動態的状況を微分方程式で表し,変数分離法で解いておく.
ここからこれを用いて最適交尾時間,交尾後ガード,交尾前ガードのESSを導出していく.
ここでは様々なテクニックを使って解析的にESS解を導出していくのが読みどころだ.最適交尾時間についてはオスの戦略xの適応度関数W(x)を定義し,グラフ化して問題状況を整理した後に,先ほどの未交尾個体の方程式を使って平衡状態を定め,ESSであるW(x)<W(x*)という条件を詰めていく.ガード戦略も同様に平衡状態を整理してからESSの条件を考えている.
読みながら一緒に式を解いていくと,ところどころの職人的な解法が味わえる.


第3章は酒井聡樹による植物の繁殖戦略.特に種子生産戦略に関わる理論が解説されている.
植物は雌雄同体のものが多く,自殖も可能なので動物とはひと味異なる状況になる.ここでは性投資比,種子の最適な大きさ,種子食害への対抗戦略,種子生産における雌雄のコンフリクトが取り上げられている.
性投資比は基本的にはオスへの投資量,メスへの投資量,種子生産量,花粉量,自殖率,花粉による他殖成功率などが絡む適応度関数になる.そして突然変異型と野生型を分けて適応度を考えてESSを求めていく.微分方程式の解法だけでなくそれをグラフ化して説明してくれているので分かりやすい.
種子の大きさの考察では,種子の成長や維持呼吸をモデルに入れ込んで解析している.食害対抗戦略においては種子の余剰生産における数と大きさの問題を扱う.このふたつは単純なモデルをより現実にフィットさせようとする取り組みで解析可能な形にうまく整える技が味わえる.
最後の問題は食害対抗戦略においてオスとメスにコンフリクトがあることを指摘しESSを導出しているもので,ある問題の詳細を突き詰めていくと面白い問題が次々に現れる様がよくわかるものになっている.
本章ではいずれも生物学的な観察例,疑問とモデルのつながりが説明されていて,解説として深いものになっている.


第4章は本シリーズの責任編集者瀬野裕美による最適な行動連鎖をどう決めるかという問題の解説.制御工学における動的計画法の応用の説明になる.生物の行動連鎖を決める場合には期間が有限になるので,将来から逆算して決めていく後進漸化式の様な形がよく現れる.ここでは最適採餌場所選択と生活史戦略,子育てする魚の自家卵殖が取り上げられている.
当然ながら後進漸化式を記述していくとそれはステップワイズに処理していくので複雑な状況になる.基本的にはパラメータを入れて数値計算を行っていくことになる.私は個人的にこの手の計算にはなじみがなかったので新鮮だった.


第5章は西森拓によるアリの行動の説明モデルの数理の解説.
個体がどのような行動戦略を行うと集団としての挙動を説明できるかという問題で,環境条件と他個体の行動をパラメータとした確率モデルの挙動が説明されている.まだ発展途中の分野のようだが,個体密度やフェロモン濃度を微分方程式系で表すなどしていてなかなか面白い.


第6章は江副日出夫による寄生・共生の数理.
まず寄主と弱毒性・強毒性病原体の個体群動態を表す古典的毒性の進化モデルが解説され,ここからさまざまな拡張が議論される.
水平感染だけでなく垂直感染を考えるとより共生的になりやすいことが予想される.ここで毒性を病原体の戦略と考えるとESSを求めていくことができる.次に垂直感染率自体も戦略と考えることができる.これは病原体側だけでなく寄主側の対抗戦略としても議論できる.実際に分析していくと条件によってはコンフリクト状態が現れる.
また一般的な互恵的相利共生系の進化モデルも解説されている.この場合2種の個体群動態と種内ゲーム戦略状況が組み合わさる.これは通常カオス的な型になるはずだが,ここでは個体群動態の調整が十分速いと仮定してアダプティブダイナミクス分析することができる.つまり個体群動態は定常状態にあると仮定してESSを求めていくわけだ.ここまで読み進めて読者は第1章の山村モノグラフの扱いが理解できるという仕掛けになっている.


第7章は佐々木顕によるアダプティブダイナミクスの解説.本書の構成で面白いのは,まず特殊例をいくつか見せてから一般フレームの解説があるという順序になっているところだ.第6章でちらっと現れたゲーム状態を量的遺伝形質として扱うアダプティブダイナミクスが解説される.これは侵入適応度として野生型に対する変異型の相対的な適応度を分析するフレームワークで,侵入適応度の勾配(1階微分)と2階偏導関数を用いて進化方向,進化安定性,収束安定性などを分析するものだ.
これは通常の日本語の教科書などにはあまり解説がないところなので非常に嬉しい章だ.特に2階偏導関数を用いた収束安定性の解説はグラフを駆使されていて分かりやすく書かれている.収束安定でESSではないときには分岐進化が生じるなどの帰結は面白い.
この後具体例として局所的配偶競争,異型配偶子の進化,変動環境への適応(休眠の進化,両がけ戦略の進化)などが取り上げられている.局所的配偶競争はハミルトン,異型配偶子の進化はメイナード=スミスというわけだが,それぞれ侵入適応度を使って簡潔に解説されている.変動環境に関する適応度は幾何平均が問題になるので,対数と指数関数を使った解法になっていて,なかなか味わい深い.
さらに応用例として,病原体と抵抗品種にかかる遺伝子対遺伝子相互作用の分析,量的形質の軍拡競争,種分化が解説されている.いずれも興味深い問題で,丁寧に解説されている.
この第7章は一般的な理論の解説から具体的応用まで非常に高いレベルで解説されていて特に充実している.


最後の第8章はヒトの協力と学習のモデルについて.空間構造がある場合に協力について中丸麻由子,学習の進化については若野友一郎の執筆ということのようだ.
協力の進化は囚人のジレンマの協力・非協力と罰をする・しないの組み合わせ4通りの戦略間の進化ゲームを解説している.更新ルールが結果に大きく効く様子や,空間構造の効果などが示されている.学習の進化については個体学習と社会学習を扱っている.いずれもモデルの挙動は各種パラメータに依存して大きく変わり,そのごく一部が紹介されているという状況をよく示している.

 
本書の構成で面白いのは,ESSの解析についてまず特殊例をいくつか見せてから(2,3,6章)一般フレームの解説(7章)があるという順序になっているところだ.またESSについては当然ながら微分方程式を使った解法が中心で,適応度関数を一旦決めてやれば強力な解法が可能であることもわかる.このあたりは一緒に微分方程式を解きながら読むと深く味わえるところだ.私もノートを広げて時にうんうんうなりながら解いて(時に誤植を見つけながら)楽しませてもらった.その他の章も力作揃いで全体として充実した一冊だと評価できるだろう.