「SuperCooperators」

SuperCooperators: Altruism, Evolution, and Why We Need Each Other to Succeed

SuperCooperators: Altruism, Evolution, and Why We Need Each Other to Succeed


本書は昨年NatureにE. O. Wilsonと共著で包括適応度理論批判論文を載せて物議を醸しているハーバードの数理生物学者マーチン・ノヴァクがサイエンスライターのロジャー・ハイフィールドの手を借りて仕上げた,協力行動の進化にかかる一般向けの本である.私としてはNatureの論文の背景なども興味深いところだ.
ハイフィールドはデイリー・テレグラフにノヴァクの論文を紹介する記事をよく書いていたようだ.そういうわけで,本書は文章もこなれていて読みやすく,数理生物学の話にもかかわらず数式を排除した作りになっている.また本書は,協力行動の進化がノヴァク自身のリサーチ活動と平行して語られていて,ちょっとした自伝の様にも構成されている.ノヴァクの自伝的部分はウィーンを中心とする旧ハプスブルグ帝国領*1たる中欧の香りにあふれていてなかなか独特だ*2.このあたりもあわせてハイフィールドの手練れのサイエンスライターとしての技が感じられる.


表題の「SuperCooperators」はヒトのことを指している.ノヴァクは序章でヒトの成功は協力できることによると捉え,温暖化問題の解決にとっても重要だという認識を示している.ここでは「もしチンパンジーを400頭集めて7時間のエコノミークラスのフライトに乗せたら血の雨が降るだろう」というくだりがあって面白い.また序章では,自然淘汰のメカニズムからどのように協力行動が進化するのかという問題があることにも触れ,それを5つのメカニズムがあるという視点から解説するという構想を明らかにしている.また最後には「協力」は「突然変異」「自然淘汰」と並ぶ進化の重要な推進力だという主張も行っている.これは基本的にメイナード=スミスたちの「主要な移行」のことを指している.


序章の次は第0章という表記になっている.このあたりはいかにも数理科学者らしく面白い.
ここではまずノヴァクの数学への愛が語られる.ノヴァクはウィーン出身で,最初は医者を志望し,ウィーン大学では生化学者を志す.薬理学教室の同級生と恋に落ち(後に結婚する),ピーター・シャスターの影響を受けて数理生物学にコースを変える.そこでカール・シグムンドと知り合い,ウィーンのカフェでいつ果てるともない議論に没頭し,ゲーム理論,そして囚人ジレンマゲームの世界に誘い込まれる.
ここからは数理的な説明となる.囚人ジレンマは単純な進化ゲームでは裏切りしか生まない.ノヴァクはどのようにすれば協力が進化するのかを数理的に分析したいと考えるようになる.ここで進化の数理モデルの歴史が語られる.メンデルの発見以降の最初の数理化はハーディとワインベルグに始まり,フィッシャー,ホールデン,ライトによる現代的総合にいたると説明される.


第1章から第5章まではノヴァクのいう5つのメカニズムが順番に語られる.


最初の第1章は直接互恵.
まずチスイコウモリ,珊瑚礁の掃除魚,サルやチンパンジーの同盟などの動物界の例とされるものを見た後,トリヴァースの理論の説明になる.協力進化の条件としては個体識別と繰り返しが重要な要素になる.これを囚人ジレンマゲームとして最初に考察したのはチャマーとラポポート,そしてオーマンになる.ゲーム理論としては,相手に,もし裏切れば,次に自分も裏切られるということを理解させればいいということになる.では単にゲームを繰り返すとしたときに具体的にどうすればいいのか.そして有名なアクセルロッドのトーナメントが来る.そこではTFT(Tit for Tat)が優勝した.そしてこの2回のトーナメントが提示した知的な謎こそがシグムンドとノヴァクを囚人ジレンマの世界に引き込んだのだそうだ.
ここで理論的に認知エラーがあるとすればTFTはうまくいかない(互いに裏切りの連鎖になる)のではないかということがロバート・メイによって指摘された.シグムンドとノヴァクはエラーのあるときの確率論的囚人ジレンマの分析を始める.進化ゲームの形式にして突然変異を入れ込んでシミュレーションを回す.このあたりはノヴァクの原点がゲームをシミュレーションするところにあることがわかって面白い.
シミュレーションの結果は裏切り戦略と許容的戦略が動的にサイクルになり,全体では許容的戦略が優勢になるというものだ*3.いずれにしてもこの研究がロバート・メイに認められてノヴァクは1989年オックスフォードに移ることになる.


ノヴァクのオックスフォード時代の回想は,今回のNature論文のことを考えると大変興味深いものだ.まずノヴァクはオックスフォードの動物学教室には動物の写真ばかり貼ってあって数式がなかったことに「ここに来てよかったのか」と感じたと述べている.またノヴァクはハミルトンその人やドーキンスなどと午後のお茶の議論を楽しんでいるのだ.
オックスフォードではHIVウィルスの人の体内での進化について研究を行い,ウィルスダイナミクスの基礎を作る.
囚人ジレンマのリサーチにおいては相手の前回の手と自分の前回の手をともに戦略選択の条件にできる拡張を行った.すると許容的な戦略はうまくいかなくなる.ここでサイクルの一部として優勢になるのは,前回双方協力,双方裏切りの場合に協力,前回に片方のみが裏切りの時は裏切りという戦略(WSLS:Win Stay Lose Shift).これはうまくいっているときには手を変えず,まずいときに手を変えると解釈できる.そしてこれは動物の世界ではありそうな行動パターンだとジョン・クレブスからコメントをもらう.なぜWSLSがうまくいくのかは,無条件協力戦略を侵入させないからだと解釈できる.これは常に裏切り戦略にカモにされそうだが,実際のシミュレーションではうまくいく.これは決定論的な世界と確率論的な世界の差だとノヴァクは解説している.
さらにシグムンドとノヴァクは交互に手を選ぶ囚人ジレンマゲームも分析する.この場合には許容的な戦略(寛容なTFT)がサイクルの中で優勢になる.ファウデンバーグはこの両方の進化ゲームを評して,相手の手の情報がどこまであるかについての両極端な前提だと整理した.
ノヴァクはさらにWSLSの解釈を行っている.基本協力で,特に裏切ってやろうとしている相手に対して,TFTもWSLSも裏切りには裏切りで報復する.TFTは相手が改心したらすぐ許すが,WSLSは一旦搾り取ってからということになる.また双方裏切りからは抜け出そうとする.
またこれらはサイクルの中の優勢をみているので,伝統的な静的な平衡解とは異なることを強調している.この確率論的世界のダイナミクスへのこだわりは今回のNature論文の背景ともなっているのだろう.ノヴァクは最後にこの問題はなお完全に解決していないとコメントしている.
このあたりの問題は大変込み入っている.基本的には,囚人ジレンマは互いに協力の手を実現すれば良く(ある意味で戦略共有確率を上げるという包括適応度的状況ともいえる),互いに自分の戦略意図を正しく伝えられれば囚人ジレンマの解決は容易だ.そしてそれが確率論的世界で過去の手を見ることでしかできないというセッティングにおいて状況は非常に複雑になるということだろう.


第2章は間接互恵
間接互恵は利他行為を行い「名声」を作ることにより,直接の相手以外から(間接的に)自分の払ったコストが回収されるというものだ.ノヴァクは今日の複雑な社会の中ではこのメカニズムが多くの分業をはじめとするヒトの協力の中心になっているし,将来の課題解決のためにも最も重要だと強調している.またこのメカニズムが脳の増大(相手が自分のことをどう思っているかの把握;心の理論)や言語の進化の主原因だと主張している.やや無理筋の感もあるが面白い仮説かもしれない.

ノヴァクは直接互恵の一連のリサーチの後1996年に間接互恵の世界に入る.それはシグムンドとウィーン郊外に行ったときに聞いた話がきっかけだったそうだ.ここでもやはりコンピュータシミュレーションによる解析が基本だ.集団の中でランダムに対戦し,単にコストをかけて助けるか(協力)何もしないか(裏切り)を選ぶ.ただし片方で過去の選択に基づく名声スコアがあり,それを見ることができる.(このスコアを誰が見ることができるかも条件として設定できる)シミュレーションの結果,情報が得られる可能性にかかる係数がコストベネフィットレシオを上回れば協力が進化できることがわかる.また直接互恵と同じくエラー率を入れるとサイクルになる.ノヴァクはここの成果について,これまでアレキサンダーを始め多くの論者が間接互恵について議論してきたが,数理モデルがなければ理解したことにはならないのだとコメントしている.
これについては「悪いやつ相手に裏切るのは名声スコアを下げない」という拡張がある.つまり相手の過去の手,その対戦相手の過去の手により名声スコアの形成条件を複雑に決定できるという拡張だ.これは神取や巌佐による研究エリアのことを指している.ここでノヴァクは巌佐庸を好意的に紹介しつつ,名声形成条件の微妙さを解説している.このあたりの状況の複雑さ(正しい名声が容易に入手できるなら問題の解決は容易だが,限られた情報しかない個別のセッティングの中では複雑な問題になる)は直接互恵の場合と似ているだろう.


第3章は空間構造.
さてこのあたりからは血縁淘汰を狭く解釈し,包括適応度をおとしめるノヴァクの考えの背景が見えてくる章になる.
ノヴァクの解説はノイマンオートマトンから始まる.これはコンウェイライフゲームにつながる.ノヴァク自身は1990年頃から空間構造と協力の問題を考え始める.格子モデルでシミュレーションを行うと結果は裏切りと協力が共存可能でサイクルも現れるという複雑なものになった.そして何とこのときのシミュレーションはハミルトンのコンピュータ*4で行ったそうだ.
結果は動的なフラクタルパターンが現れ,協力者の割合は31.78%のまわりを動くというものだった.メイはそれが2の自然対数から生まれる数であると見抜く.なお完全に説明できてはいないが,これは空間構造があれば頭脳なしでも協力が生まれるということだとノヴァクはまとめている.

この章の記述はなかなか衝撃的だ.ハミルトンはそこにいて議論もしているのだ.そしてこれは1990年代だから,ハミルトンが包括適応度理論を遺伝子共有確率一般に拡張したはるか後のことだ.ハミルトンは息子のような年代のノヴァクのチャレンジを温かく見守るだけで,空間構造も拡張された血縁度を用いて包括適応度で統一的に理解できることを指摘しなかったのだろう.あるいは(第5章にあるように)ハミルトンの人柄は好きでも数学的な手法をきらっていたノヴァクは(ヒントがあっても)最初からハミルトンの数学の応用を考えようともしなかったのだろうか.確かにハミルトンはノヴァクと違って根っからのナチュラリストであり,その数学的なプレゼン手法は茫洋としてわかりにくい.なんとも惜しいすれ違いだったということだろうか.


第4章はグループ淘汰
ノヴァクは,見ず知らずの他人を救おうとするヒトの傾向をまず間接互恵で説明してから,このように問う.「何故グループはこのような利他性を『善』と定義するのか」.ノヴァクはより利他的な規範を持つグループの方が有利だったからと説明したいようだ.この記述は私にとってノヴァクの行動生態学的な未熟さを示すように感じられる.(グループ淘汰を持ち出さなくとも)他人を操作しようとするなら他人に利他的行為を勧めるのは当然のことだ.よりありそうな代替説明にも注意を払うべきだろう.

ノヴァクはここでグループ淘汰を巡る論争をウィン=エドワーズのやり過ぎ,ジョージ・ウィリアムズの主張,D. S. ウィルソンの戦いなどを振り返りつつ,こう簡単に総括している「数理的に考えれば自然淘汰が個体とグループ双方で働くことを示すことは容易だ,これはマルチレベル淘汰と呼ばれる」.通常のマルチレベル淘汰と包括適応度が等価であるという指摘はないが,これ自体は正しい記述だといってよいだろう.
ノヴァクはこれまでのグループ淘汰の数理モデルは複雑すぎて満足できるものではなかったとして,トロールセンと共同で簡単なグループ淘汰数理モデルを構築したことを紹介している.これはこのブログでも紹介した論文*5で,かなり特殊な前提を置いたものだが,ノヴァクはまるで一般モデルであるかのように説明し,「ゲームのペイオフのベネフィットコストレシオが,1+グループ内個体数グループ数レシオを超えることが協力の進化の条件だ」と一般法則であるかのように述べている.ここはややいただけない.*6
ノヴァクはまたここでサム・ボウエルズの「農耕以前の戦争がグループ淘汰を推進した.つまり戦死率の高い戦争が道徳を産んだ」という見方を紹介している.もちろん仮説ということだろうが,戦争だけが問題なのかはやや疑問が残るところだろう.

なおノヴァクは,マルチレベル淘汰が特に重要なのはそれが遺伝子だけでなく文化進化も扱えるところだと主張している.しかしこの記述は理解不能だ.次世代へ何らかの複製があり,複製効率にかかる変異があれば自然淘汰は生じる.つまりすべての自然淘汰理論は前提さえ満たせば文化進化にも適用可能だ.このあたりもノヴァクの理解の怪しいところのように感じられる.


第5章は血縁淘汰.
ノヴァクは冒頭から自分は血縁淘汰の最近の拡張への批判者であると宣言し,理論の歴史から始める.ホールデンとパブの逸話,そしてハミルトンの包括適応度をまず説明する.
ここでプライスの共分散方程式が登場する.ノヴァクは血縁淘汰から離れ,「ハミルトンはプライスの共分散方程式がグループ淘汰の数理モデルを可能にしたと考えが,数理モデルはある意味トートロジーのようなもので実は何も説明していない」とコメントしている.この記述も真意は何かが理解できない.ハミルトンの数理モデルはマルチレベル淘汰のそれぞれの淘汰レベルの強さの比較を可能にし,グループレベルの淘汰が進む条件を示している.これのどこがトートロジーだというのだろうか.
ノヴァクは詳細を説明せずにプライスとハミルトンの最期にふれ,ハミルトンの思い出を語っている.ハミルトンの人柄はやさしくて尊敬しているが,その数学は集団遺伝学,疫学,進化ゲーム理論のような明晰性がなかった.方程式はどこからともなく現れ,モデルの定式化なく計算が進む,そして「血縁度」の概念は時とともに移ろうと.そしてノヴァクは血縁淘汰はメインストリームから離れ,独自の数理方言を持つサブカルチャー集団になっていったと述べている.これはグラフェン,フランク,テイラー,ガードナーたちのことをさしているのだろう.
実際にハミルトンの論文を読んでみるとここでノヴァクがハミルトンについて何を言っているかは理解できるところがある.確かに記述は茫洋としてつかみにくい.しかしフランクやテイラーによるその後の説明や拡張は明晰なものだ.ノヴァクは数理モデルの明晰性とプレゼンの明晰性を取り違えているのではないだろうか.
ノヴァクは,彼等はすべてを包括適応度で説明しようとし,ハミルトン則はドグマになって,それに合わない例を見つけるとコストやベネフィットや血縁度の定義をいじってドグマに合わせようとすると続ける.このあたりが今回のNature論文につながっているのだろう.このあたりを読んでいくと,ノヴァクはハミルトンの手法への先入観からその後の包括適応度理論の拡張の明晰な議論を吟味せず,自分が血縁度やb, cを理解し損なっているのを包括適応度理論家のごまかしだと誤解しているのだという経緯がわかる.
続いてノヴァクはハーバードに移った後にE. O. ウィルソンと意見交換した経緯に触れている.ノヴァクの回想によると,ウィルソンが真社会性の起源にかかる血縁淘汰に疑いを抱くようになった最大の要因はハチは血縁認識しないということだそうだ.血縁認識は血縁淘汰が効く必要条件ではないのだから,このあたりの記述はウィルソンの行動生態学への理解の怪しさと,それに疑いを抱かないノヴァクの理解の怪しさを垣間見せているところだ.そしてノヴァクは包括適応度は数理的に曖昧だが,実証面で強いのだろうと思っていたのだが,ウィルソンに実証面こそ駄目だといわれて二人は意気投合したのだそうだ.要するにウィルソンは確かに統合の巨人だが,行動生態学の洗練への理解は元から怪しいところに,その怪しさに気づかないノヴァクが乗っかってしまったという経緯だというわけだ.
そしてクロアチアから来たコリーナ・タルニータが数理的に吟味して包括適応度は計算がわかりにくい上に,いくつもの狭い前提条件に乗っていることがわかったと続けている.このあたりも我田引水的な記述だ.包括適応度の計算方法も相加性の前提条件も最初からわかっていて教科書にも載っている話だが,彼等は車輪を再発明したらしい.そしてNature論文の主張を簡潔に述べている.
もっともノヴァクはこの章の最後で,「私は血縁淘汰が死んだと思っているわけではない,ハミルトン則はその限界にもかかわらず価値あるヒューリスティックスを与えてくれるし,これまでも良い洞察を与えてきた」と述べている*7.論文にもせめてこのぐらいは書いておけばよかったのにというのが私の感想だ.


第6章から第9章はメイナード=スミスたちの「主要な移行」にからむノヴァクのリサーチが中心になる.


第6章は生命の起源
冒頭でヘッジファンドの大物エプスタインとの出会いが描かれている.彼はノヴァクの研究に興味を持ち,ノヴァクをプエルトリコの別荘に招待し,ハーバードに進化ダイナミクスのプログラムを作る資金を拠出する.そしてエプスタインの「生命の起源の方程式は何か」という質問からノヴァクは生命の起源にも興味を持つ.
そしてRNA配列の進化を考えるときには,近縁の変異体を含んだ擬種の進化を考えることが重要だと主張している.この進化過程を考えていくと,複製するための最小の配列の長さと,配列が長くなってエラー率が上がることによる複製の崩壊の間に越えられない壁(エイゲンのパラドクス)があることがわかる.これを乗り越えるには小さな配列が互いに互いの生成速度をあげるような過程「ハイパーサイクル」が生命の起源の鍵であることがわかる.ノヴァクはこれは配列にかかる淘汰が配列同士の協力を産んだのだと解釈できると説明している.ではこの協力が裏切りによって崩壊しないのは何故か.ノヴァクはこの問題に興味を持ったメイナード=スミスとの思い出*8を語りながらそれはサイクルのメンバーがセルの中で共存する仕組みによって達成されたのだと解説する.この洞察が,メイナード=スミスと化学者サトマーリとの共同研究,そして名著「Major Transition」につながったのだ.この後ノヴァクは「協力を可能にしたことによっていくつかの主要な移行が可能になった」というこの本の主題を簡単に概説している.
なおノヴァクはこの章の最後に,生命の起源は他の星系からの胞子であった可能性とか,私達がETに出会わないのは高度の文明が協力を保つのは難しいからなのではないかなどのネタを振っている.前者はややトンデモ風な印象だ.


第7章は細胞の協力
この章の前半は多細胞生物にかかる「主要な移行」の話題が語られる.
後半はガンの話になる.ガンの腫瘍や進行のダイナミクスはガン細胞同士の協力と騙しという視点で考察することができる.ノヴァクはp53というガン抑制遺伝子を発見したヴォーゲルシュタインと共同で大腸癌のモデル化に取り組む.それは身体の抗ガン戦略とも関わる窪みという構造を持っている.これは最終的にトポグラフィーの中での協力のモデルになり,進化グラフ理論につながったと説明されている.


第8章は真社会性
ある種のハチにはガン細胞にも似た変異体があるという話などを紹介した後,Nature論文に載せた真社会性進化のモデルが解説されている.ここではE. O. ウィルソンの生い立ちや経歴にふれながら,ウィルソンの視点からみた3/4仮説の興亡が語られている.ここではシロアリが倍数体だったことは最初からわかっていたが,数学者と違ってナチュラリストは単一の例外で仮説を棄却したりしないのだ,そしてハダカデバネズミやエビなどの多くの例外があってこの仮説は棄却されるべきものになったとコメントされていて,ウィルソンの立場を説明している.


第9章は言語
ノヴァクは言語について,間接互恵の名声を効果的に機能させることにより協力を容易にするもので,言語と協力がブートストラップ的に効いて脳の増大を導いたと説明する.その理由は,まず協力がなければコミュニケートできないし,コミュニケーションは新しい協力を可能にするからだというものだ.このあたりは言語起源時における騙しや操作の可能性がきちんと説明されてなくナイーブな仮説だという印象は否めないが,一旦言語が成立すると間接互恵を広げたというのはあっただろう.
ともあれノヴァクはオックスフォードからプリンストンに移り*9,この仮説を元に言語が何故単語と文法を持つのかを分析した.
音素の数と認識エラー率にはトレードオフがあるとし,話し手と受け手は協力関係にあって音と意味のコーディネーションゲームを行うとする.すると語彙を増やすことによるメリットとエラー率上昇のコストのトレードオフは階層を持つ組み合わせという手法で乗り越えられることがわかったというものだ.ノヴァクはそれでも文法を持つ脳のコストは大きいので,よほど大きな生態的な利益がなければ進化しなかったのだろう,そしてそれは複雑な社会関係と政治だろうとコメントしている.
ノヴァクは次にコマロワ,ニヨギと一緒にどのような文法が進化しやすいかを,文法にかかる進化と学習の二重モデルで分析する.すると文法が崩壊しないためにはかなり特定されたユニバーサルグラマーを遺伝的に持っていることが必要であることが示された.つまりチョムスキー生成文法の主張を数理的に示したということになる.
ノヴァクの元にいるリーバーマンはピンカーの研究に触発されて英語の動詞の不規則型のリサーチを続けていて,その内容*10もここで紹介されていてなかなか面白い.なお現在GoogleBooksが言語研究データ収集の世界に革命を起こしつつあるそうだ.


第10章から第13章までは応用編だ.


第10章は公共財
ノヴァクは公共財ゲームについて囚人ジレンマの変形のひとつで,地球温暖化問題のモデルになるものだとしている.この様な状況として共有地の悲劇,過剰漁獲,環境汚染の例をあげている.ここで面白いのは株式市場について,パッシブファンドへの投資は個々の投資家からみて合理的だが,全員が行うとリサーチがなくなって効率的な市場が崩壊するという例をあげているところだ*11
温暖化を含むこのような問題への対処について,ノヴァクは,これらは技術の進歩で解決できるものではなく,人々の行動を変えるしかない,そして解決に向けた協力推進に使える最も良い方法は間接互恵だと主張し,目の効果や掃除魚の例*12をあげ,また公共財ゲームを実際に学生にやらせる場合に名声をゲームに入れ込むと協力が強く推進されることを紹介している.
ここでは繰り返しゲームのトータルがある閾値に達したかどうかで成功失敗が判定され,失敗の場合の災害が確率的に生じるとした場合の拡張がちょっと面白い.災害確率によってゲームの結果が変わるのだが,確率が高いときも最後の2回では様々な駆け引きがなされ,フェアネスに対する強い反応や,温暖化という言葉へのフレーミング効果などがみられる.
ノヴァクは温暖化については,災害確率が協力成功に効くことから,正しいリスク情報を発信することの重要性を強調し*13,名声効果を高めるための環境格付や燃費ステッカーの表示の義務づけを提唱している.


第11章は罰の効用
協力推進については「罰」の効用が良く議論される.ノヴァクは,罰のうち,直接の個人的な報復について懐疑的だ.
まず最初にフェールとガーチャーが罰の効用を主張した,公共財ゲーム実験に第3の選択肢「罰:大きなコストをかけて相手にさらに大きな害を与える」を加えた拡張を紹介する.この場合罰が匿名であれば協力維持の効果が現れる.
しかしノヴァクにいわせると,この実験では協力が維持できてもペイオフは悪く,誰が裏切ったかはわかるが誰が罰を与えたかはわからないという不自然な設定になっている.そして罰を選択肢に加えた囚人ジレンマゲーム実験を紹介し,罰が匿名でなければ通常は報復の連鎖という結果に終わる,つまり自力救済の報復は割に合わないとコメントしている.また多数参加の公共財ゲームでは罰より報酬の方がより平均利得が高くなるともコメントしている.
またここではゲームの結果に文化差があることも示されていて興味深い.米国やスイスの参加者は罰により協力に転じやすいが,ロシアやギリシアの参加者は報復に転じやすいのだ.
ノヴァクは特にコメントしていないが,これは罰がどう受け取られるかが重要だという微妙なところをよく示しているようだ.文化差はまさに「名誉の文化」説が示しているところを実証しているようでもある.なかなか興味深い.


第12章はネットワーク
冒頭では「It's a small world」の6次のつながりの話,エルドシュ数,ワッツ,ストロガッツのネットワーク理論,クリスタキスとファウラーの一連のリサーチが振られる.
ここからノヴァクたちの進化グラフ理論の話になり,このブログでも紹介した大槻久の一次元モデル*14が説明される.この解析解の導出,さらにその拡張にはなかなか苦労したが,大槻の努力によりb/c>kという美しい結果が得られたということが紹介されている.ノヴァクはネットワークの中での協力はノード数kが少ないことが重要で,これが親友の数の少なさや会議人数が少ない方がよいことの説明だとまとめている.このあたりは,のちにグラフェンに包括適応度で簡単に説明できると指摘されてノヴァクが頭に来た背景ということになるのだろう.*15


第13章は進化グラフ理論
まずコリーナ・タルニータ*16が紹介され,彼女と一緒に進化セット理論を考察した経緯が語られる.
メンバーがノンゼロサムゲームを行い,複数のサブグループ(セット)に属し,それが動的に動くときに何が生じるか.コリーナは数ヶ月かけて複雑な解法を導出した.それによると,協力は複数のセットを共有してはじめて生じやすくなり,参加者は相手を選り好む.そして流動性には最適レベルがあり,その場合まず協力者が集まり栄え,裏切り者が侵入し崩壊し,また別の場所に集まり始めるというダイナミクスになる.
コリーナの結果からわかることのひとつは,ノンゼロサムゲームの協力の進化条件はランダム対戦ではR+S>T+P(ただしRSTPはゲームのペイオフでそれぞれ,相互協力,裏切られたとき,裏切る誘惑,相互裏切りを指している*17)なのだが,空間構造があると(σを似たもの同士が対戦する確率にかかる係数だとして)σR+S>σT+Pとなるということだ.ノヴァクは美しい公式が得られたと紹介しているが,これも私の目からは包括適応度と血縁度を再発見した話であるように見える.


最終第14章はまとめの章になる.
最終章は中欧の薫り高くマーラー交響曲*18を背景に,これまでのまとめが語られている.ノヴァクは協力推進の5つのメカニズムの5つの法則として,協力進化の条件はコストベネフィットレシオあるいはその逆数と特定の係数の比較により決まるとしてまとめている.(特定の係数はそれぞれ以下にかかるもの.再対戦確率,名声を知る確率,ノード数,1+グループサイズグループ数レシオ,血縁度)最初の4つはノヴァクたちが進化ゲームのシミュレーションを通じて見いだしたものだ.ここを読むとノヴァクが「ハミルトン則はほとんど成り立たない」というときに何を考えているかがわかる.しかしこの4つは特定の条件における進化ゲームシミュレーションで得られた特殊解*19であり,コストとベネフィットはゲームのペイオフがそのまま使われている.これらを最後のハミルトン則と同列に並べるのはかなり強引だ.包括適応度視点で考えればこの4つの法則は特定のセッティングのもとで,対戦相手との戦略共有確率(つまり広義の血縁度)を上げる仕組みの詳細にかかるものだ(つまりすべて包括適応度的に解釈できて,ハミルトン則は常に成り立っている*20)と理解できるだろう.
そして後半では「主要な移行」が協力によって推進されたことをまとめている.これはメイナード=スミスの洞察であり,そしてその協力推進の方法は何らかの仕組みで戦略共有確率(広義の血縁度)をあげることによりなされたと解釈できるものだというのがメイナード=スミスの洞察の深いところだが,ノヴァクはそこにはふれていない.
ノヴァクは最後にヒトだけが5つのメカニズムすべてを使って協力を広げてきたスーパー協力体であり,それにより温暖化や核拡散などの問題を乗り越えて行くことができるはずだと希望を表明して本書を終えている.


本書はノヴァクの知的探求の書であり,ウィーン出身の才気あふれる若者が,オックスフォード,プリンストン,ハーバードと進み,進化ダイナミクスの研究に没頭し,進化ゲームのシミュレーションを主体に様々な成果が得られたことをわかりやすく描いている.一般向けの読みものとしてはうまく書かれているといってよいだろう.そして何故あのようなNature論文が書かれるにいたったのかの背景も大変よくわかるものになっている.
それは最初のきっかけとして,ノヴァクはナチュラリストではなく数理科学者だったのであり,ハミルトンのプレゼン方式が性に合わなかったのだろう.そして包括適応度理論を深く理解することなく遠ざけ,進化ゲームのシミュレーション解析という狭い世界の中で探求を続けた.その結果特殊ケースについて深く分析を行い,ハミルトンの偉大な洞察の個別ケースに独自にたどりつく,つまり特殊用途車輪を何度も再発明していったのだ.そしてオックスフォードの数理生物学者から「そのような結果は(拡張され洗練された)包括適応度理論でより一般的に導出できる」と指摘されると,(自らの不勉強を省みることなく)それは彼等が定義をねじ曲げてごまかしているのだと誤解した.さらにハーバードでどこか理解の怪しくなったE. O. ウィルソンに出会って誤解が相乗的に作用したということだったのだろう.それはやや不幸な巡り合わせという側面もあったようにも思われる.本書はそのあたりを私に納得させてくれる本でもあったといえるだろう.



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間接互恵の進化ゲームについての本.ちょうど本書の第2章にかかる「悪いやつ相手に裏切るのは名声スコアを下げない」という拡張にフォーカスして書かれていて,特定のセッティングでの問題の複雑さがよくわかる.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100604

*1:オーストリアチェコハンガリースロバキアクロアチアルーマニアの一部,ポーランドの一部がなど含まれる

*2:様々な理論の歴史に出てくる旧ハプスブルグ帝国領中欧人は特に丁寧に描写されている.フォン・ノイマン,ワインベルグ,エルデシュ,サトマーリなどなど

*3:ノヴァクはここでこのようなサイクルは人の歴史,思想や経済政策(規制と自由化)にもあるのだろうと夢想している.一般読者向けサービスということだろうがややスロッピーだろう

*4:当時の高級品,カラープリンターがハミルトンのコンピュータにはついていたからだそうだ

*5:Traulsen A, Nowak MA (2006). Evolution of cooperation by multilevel selection. /Proc Natl Acad Sci USA/ 103, 10952-10955. http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20101127参照

*6:もちろん包括適応度理論家たちを挑発したあげくに返り討ちにあった顛末については触れられていない.

*7:もちろんその後で,しかし今や先に進むときが来たのだとも書いているが

*8:ゲーム理論の論文を読んでいたのだがナッシュ均衡が出てくる直前に放りだして,自分で考えたためにESSの導出にいたったのだと書かれている

*9:このあたりではノイマンゲーデルやナッシュのプリンストンでの逸話が語られて楽しい

*10:動詞の不規則型が規則型になる関数型,ののしり言葉の変遷,検閲のインパクト,セレブの名声の減衰率の変化などが紹介されている

*11:この見方によるとパッシブ投資は効率市場を脅かす裏切り戦略ということになる.もっともリサーチが減ると,個別リサーチの価値が上がり,パッシブ投資の成績が相対的に下がっていくのでどこかでバランスがとれるはずである.要するに効率性が少し下がったときに自前のリサーチに頼るアクティブ投資はパッシブ投資家のただ乗りを防ぐことができる.だから厳密に言うと共有地の悲劇にはならないのではないだろうか

*12:料金箱付きコーヒーメーカーに目の絵を貼っておくと料金回収率が上がるという有名な実験が紹介されている.また掃除魚は潜在的顧客魚から見られているとより丁寧に仕事をすることが観察されているそうだ

*13:ノヴァクはここでBSE新型インフル騒ぎで,大衆はリスクが過剰に表示されたと認識しているのではないかと危惧している.3.11以降の日本においては深く考えさせられる問題だ.

*14:Ohtsuki H, Hauert C, Lieberman E, Nowak MA (2006). A simple rule for the evolution of cooperation on graphs and social networks. /Nature/ 441, 502-505 http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20101030参照

*15:もちろん本書ではこの顛末は紹介されていない

*16:Nature論文の共著者.彼女は,ルーマニア数学オリンピック代表を長く務め,ルーマニアの高校からいきなりハーヴァードに進み,大学院では一回外に出すという伝統を持つハーヴァード大学の数学科から例外的にハーヴァードの大学院に進んだ逸材で,「数学者はオタクで洗練されていない」という偏見を打ち払ったと紹介されている.これはノヴァク自身はオタクで洗練されていないということを認めているのだろうか?

*17:だから囚人ジレンマでの協力戦略はランダム対戦では進化できない

*18:協力推進メカニズムのところで千人の交響曲,主要な移行においては3番,最後に大地の歌

*19:例えば3番目のベネフィットコストレシオとノード数の関係はアプデートの決まり方に依存するものだ

*20:きちんとハミルトン則の形にするにはさらにb. cをペイオフから適応度成分に直してやる必要がある