- 作者: ピーター・T・リーソン,山形浩生
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2011/03/22
- メディア: 単行本
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本書は海賊オタクの経済学者の書いた海賊の本.邦題は「経済学」となっているが,むしろ制度設計論まわりの話題の方が多くなっている.なお原題は「The Invisible Hook」(見えざるフック)というおしゃれなものだ*1.ここで取り扱われる海賊は18世紀にカリブ海でごく短期的*2に栄えた海賊たちが主体だ.日本ではあまりおなじみではないが,ピーター・パンに出てくるフック船長や,ディズニーのアトラクション「カリブの海賊」,同じ名前のディズニー映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」あたりに出てくる,荒くれ者の海賊たちのことだ.これは英米では結構な人気イメージらしく,これを研究するオタク業界があるということらしい.
この本の主題は,荒くれ者で残虐ででたらめだというイメージと異なって海賊組織がかなり合理的なものであったこと,そしてそれはどのように説明できるかということだ.おおむね以下のような内容が解説されている
- 意外なことに海賊の組織は民主的で,船長は投票で選ばれた.また船長とは独立のクオーターマスターという役職がやはり選挙で選ばれていて船長に対する抑制も制度化されていた.(これらの海賊組織はフランス革命やアメリカ独立戦争より前の時代だということを考えると驚くべきことだ)何故そうだったのか.そもそも海賊船はどこかの船を集団で盗んだものであり,一種の共同事業となる.外部からのエクイティ提供者やローン提供者がいないためエージェント問題が小さく,海賊1人1人の動機が収奪収益の極大化に収斂する.また違法組織なので,政府の法制度を利用できない.このような事情のため合目的的制度に近い制度をつくる制度的なインセンティブがある.その結果,収奪の意思決定は独裁的に決めるのが望ましく船長職をおくが,海賊1人1人の意欲を引き出すため(フリーライダー問題の解決のため)に船長の横暴を抑えるという抑制装置のある平等な組織が形成された.
- また海賊へのリクルートは強制徴用ではなかった.これは強制徴用では海賊行為の意欲を高められないばかりか,脱走や当局への通報リスクがあるので難しかったこと,商用船においてはエージェント問題から船員の待遇が悪かったことから商用船員からのリクルートが容易だったことによる.この結果海賊への参加脱退は基本的に自由だった*3.多くの海賊が強制徴用だったとする文献があるが,これは当局による摘発の際にそのように言い張った方が有利だったためだと思われる.
- 自由参加組織だったので,参加時に「掟」に従うことを誓約するという方法が可能だった.これにより,効率的な収奪執行,内部利害対立(負の外部性)問題の解決についてかなり効果的な法の支配が可能になった.
- 収益分配ルールも合理的だった.勇敢な行為を行ったものへの報酬,怪我をした場合の補償は厚く,先取特権的に最初に分配された.これはフリーライダー問題へのひとつの対処といえる.またその後の分配も驚くほどフラットだった.(船長でせいぜい一般海賊の2倍程度)これは自由参加組織だったことの結果としてリクルートを巡って海賊船同士の競争があったことも影響しているだろう.
- 収奪収益の極大化のインセンティブが大きいので,結果的に同時代の商用船に比べ黒人差別は少なかった.多くの黒人海賊は奴隷ではなく自由人として自由参加していた.
- 海賊は収奪の際の相手の抵抗リスク(武力による抵抗のほか,財宝を隠したり海に投げ込むことも問題になった)を減らすために「残忍で狂気に満ちている」「しかし協力的だったものの命は助ける」という名声を高めることに腐心した.そして実際に残忍な拷問方法を多く考案したし,髑髏のマークもこの文脈で良く理解できる*4.現在につながる彼等のイメージはこのブランド戦略の結果によるところが大きい.
- 海賊は商用船を襲った後,その船員に尋ね,横暴だったという証言を得た船長を残忍に処刑した.これは収奪利益を高めることにはつながらないので説明は難しい.ひとつには処刑によるコストがほとんどなかったことによるのだろう.(残忍名声を少しでも高められれば十分ペイする)しかし結果的には商用船員の待遇改善効果があった可能性がある.
エージェントプリンシパル問題がないのでより合理的なガバナンスになるという指摘はなかなか面白い.日本の多くの伝統的犯罪組織はここまで合理的なようには見えないが,それはリクルート事情から自由参加型ではなかったためだろうか.いずれにしてもオタクの持つ情熱がそこここに現れ,異国情緒にも満ちている.なかなか読んでいて楽しい本だ.
関連書籍
原書
The Invisible Hook: The Hidden Economics of Pirates
- 作者: Peter T. Leeson
- 出版社/メーカー: Princeton Univ Pr
- 発売日: 2009/03/31
- メディア: ハードカバー
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*1:もちろんアダム・スミスの「見えざる手」にちなんだ題名だ
*2:最盛期は1710年から1720年ぐらいの10年間らしい
*3:なお高度技術を持つ専門職(高い技術を持つ航海技術者,医者,船大工など)についてはこの限りではなかったようだ
*4:ここで髑髏の海賊旗についてハンディキャップコストを引き合いに出して説明しようとしているが,あまりうまくいっているようには見えない.逃げられないように商船にかなり接近してから,さっと髑髏を翻し,「抵抗しても無駄だ」と警告するのだから,これが当局の摘発リスクに対するハンディキャップコストになっているとはいえないだろう.私見ではこの髑髏マークの残虐さへの信頼性は,これを正直に実行しなければ残虐名声が下がってしまうという構造で担保されていたと説明する方がよいように思う