「Why everyone (else) is a hypocrite」 第5章 その1

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



第5章 真実は厳しい



第5章は進化心理学へ敵意むき出しで筋悪にかつ強硬に突っかかる哲学者ジェリー・フォダーの主張から始まる.フォダーはモジュール性について以下の議論をしているそうだ.

認知の機能は正しい情報を得ること以外にはあり得ない

  • 進化したメカニズム同士はインタラクトする.
  • 信念は何かをするためのもので,正しい情報はそれを容易にする


クツバンはこれは基本的に間違っていると議論する.もちろん多くの場合真実は有用だ,しかし時に真実は有害でありうるのだ,そしてモジュールは真実を知るためにあるのではない,モジュールは生物体の生存,繁殖のためにあるのだ,と.
このあたりは進化適応の基本だ.認知が進化の産物であることを認める限りフォダーの議論はナイーブすぎるということだろう.クツバンは例をあげてこのあたりの議論を行う.


<TMI>
まずクツバンは,情報入手にコストがかかるなら(そして当然かかるだろう)入手可能なすべての情報を得るように動機付けされるべきではないと指摘する.情報はリサーチ時間のコストに対して有用性を持たなければコスト倒れになるのは当然だ.
さらに仮にただで入手できるにしても,情報がその後の行動に全く影響を与えないなら,それに価値はない.それはサーチに値しないのだ.世の中には膨大な情報があり,ヒトは自分に関係のある情報を求めるのだ.


これは進化適応から考えれば当たり前の議論だ.もっともフォダーもどんなにコストがかかっても情報をとるようになっているとは言っていないのだろう.なお,TMIとはToo much informationという意味らしい.



<真実はあなたを人質にすることがある>
ここからがフォダーの主張に対する重要な論点だ.真実は知らない方がいいことがあるのだ.


クツバンはスターターとしてジェイソン・ダナの実験をあげている.
被験者に,「自分に5ドル,他人に5ドルが支払われる」というオプションと「自分に6ドル,他人に1ドル」を与えるというオプションを与えると多くの被験者が利他的な選択肢をとる.
しかし他人に渡る金額をまず伏せておいてワンクリックで知ることができるようにすると半数ぐらいの被験者はクリックせずに6ドルを取る.


クツバンは,知ってしまうと良心の痛みや後の非難の恐れが生じるので知らない方がいいのだと議論している.つまり社会的な状況では,知ることによって自分が利他的でないと解釈されるコストが生じうるということだ.


クツバンはさらにいくつかの例をあげている.

  • もし12時に誰かの電話にランダムに「あなたの小指と引き換えにすべての家族の殺戮を思い留まろう」という電話が入るなら,12時の電話には出ないようにするだろう.
  • 友人が犯罪を犯したと知ってしまったら,友人を裏切るか偽証の選択を迫られてしまう.
  • 誘拐被害者は,犯人の顔を知ってしまうと解放されにくくなる.


最初の例は真実のコストとはちょっと異なるだろう.これは誰が被害者になるかが電話に出ることによって決まる状況だから,電話に出ないのは当然だ.(もし電話に出ても出なくても家族の命と自分の小指のトレードオフがあって,小指のオファーの機会があるかどうかという話だとすると,家族の命の価値は自分の小指より低いと思っていると考えている場合に限り,まわりからの非難を恐れて小指を犠牲にせざるを得ないという状況になるので真実のコストということになる.しかしそれではあまりに例として適切ではないだろう.)
2番目の例はコストが偽証という法的なリスクだが,実質的には社会的コストの問題だろう.
3番目の例は真実を知ることによって誘拐犯人にとってのリスクが上がり,殺害されやすくなるという問題だ.これは真実を知っているかどうかで周りの人の行動が変わるという意味で,社会的コストということになるだろう.



<知識は危険なことがある>
クツバンは次に,真実を知るために義務が発生するという類型をあげている.これは社会的コストのひとつで,先ほどの2番目の例に近いだろう.義務が社会的規範である場合には,(知っていることをまわりに人に知られていると)義務を遂行するコストか,義務を遂行しないための名声のコストのどちらかを負担しなければならない立場に追い込まれる.


クツバンのあげる例は次のようなものだ

  • 燃える家の中に猫がいると知らされてしまう.
  • 暴走列車問題:橋の上からバックパックの男を突き落とすか.アンケートでは突き落とすことが悪いと87%が答え,突き落とさないことが悪いと62%が答える.つまり「男を突き落とすと5人救える」という知識を持つことはno-win-situationに追い込まれることになる.
  • ルールの執行者は,功利的にある違反を見逃すと権威に傷がつく.教壇の講師は静かにパズルをしている学生を放っておきたい時にはそれを知らないと思われた方がいい.
  • 軍のdon't ask, don't tellポリシー


猫を見殺しにする人間だと思われるのはアメリカでは結構なコストなのだろうか?教壇の例は実感がこもっていてなかなか笑える.
なお「don't ask, don't tellポリシー」というのは,アメリカ軍は軍隊にゲイがいてもいいのだが,政治的リスクからゲイがいるのを公式に認めたくない(保守派から,軟弱だ,軍を弱くしていると非難される)し,(リベラルから)差別だと非難されたくもない,だから「軍からゲイかどうかは決して尋ねない.そして軍人はカミングアウトしなければ決して解雇されない(カミングアウトすれば解雇されうる)」というスタンスをとっていたことを指している.(これは先日最高裁で否定されたはずで,その後実務としてどうなっているのかはちょっとよくわからない.カミングアウトしても解雇されにくくなっているはずだ)要するに軍にとってはある軍人がゲイであるということを知るのは保守派とリベラルの間のややこしい問題に巻き込まれるので避けたいのだ.



<無知は至福か>
クツバンは次に性病の検査を受けないという行動を議論する.


クツバンによればそれは以下の選好を持つことによる結果として生じる.

  1. 多くのパートナーとセックスしたい
  2. 性病を知りながら感染させたと非難されるのはいや
  3. リスクがあるにもかかわらず検査しなかったことを非難されるのは受け入れる.


とんでもないやつだという感じだが,実際にはこう考えるやつがいる(そしてまわりの非難の程度がそうなっているのであれば,検査を受けないことはこのとんでもないやつにとっては功利的だ)と言うことなのだろう.(あるいはさらに4としてリスクが小さかったと言い逃れしやすいということかもしれないが)
クツバンも「なぜヒトが簡単に防げることをしないという不作為をそれ程重大視しないか」というのは興味深い問題だとコメントしている.


ここまでが,ヒトは真実を知らない方がいいことがあるという議論で,フォダーへの反論ということになる.この後クツバンはモジュール性について議論を進める.