ヒトの子育ての進化と文化 -- アロマザリングの役割を考える
- 作者: 根ヶ山光一,柏木惠子
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2010/07/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書はヒトの母親以外による子育て(本書ではアロマザリングと読んでいる)について分野横断的な寄稿を集めたものである.全体では3部構成になっており,第1部では進化生物学,進化心理学的視点から,第2部では文化人類学,歴史学,心理学の視点から,第3部は現代日本の様々な子育て支援の取り組みの現場からという順序になっている.全体を通して読むと,本書は少子化が進む現代日本において,子育てについて厳しいプレッシャーが母親のみにかかっていることを問題だと捉え,その背景にある「子育ては(特に3歳までは)母親のみが関わることが望ましい」という考え方を打破し,より良い道を探っていくことを大きなテーマとして書かれた本であることがわかる.
このような「母親のみによる育児が望ましい」という考え方は,ヒトを進化的に捉えると適切とはいいがたいというのが第1部の隠れたテーマになる.子育て戦略の概要が哺乳類,鳥類,霊長類,そしてヒトという順序で語られている.それぞれの動物はそれぞれの生態的な条件に応じて様々な子育て戦略をとっていること,そしてヒトの場合には父親の育児への参加,祖母による世話,地縁血縁のグループ内での共同育児などが生活史戦略として組み込まれていて,母親のみの子育てが進化的に見て決して通常な状態でないことが説明されている.
残念ながら紙面が限られ,また各執筆者のスタイルもばらばらで,読みにくい.全体のメッセージは十分伝わるだろうが,本書のターゲット読者層(おそらく現代日本の子育て支援の政策論に興味のある人が主体だと思われる)から見るとかなり難解でわかりにくくなっているのではないかと思う.これだけ紙面を限るのであれば,編者側から伝えたいメッセージについて明確化し,執筆者間の説明に統一感を与えた方が良かったように思う.
進化的な議論でいうと,第1章における子育て戦略の進化要因の記述はあまりうまく整理されてなく,その構成には賛成できない.アロマザリングの適応的説明について個体の利益と利他行為に分けられているが,ここがまずわかりにくい.「利他行為」に含められている「互恵行動」は最終的には行為個体の利益になるということだし,「個体の利益」に含まれている「群れとの関係で社会的な利益を受けること」は互恵行動と近い要因のように思う.また個体の利益には「ミルクの排出」が来るのだが,進化的にいうならそもそも過剰にミルク産出すること自体が説明されなければならないし,ライバルのよその子にあげないでも単に捨てるように進化すればいいはずだ.さらに「認知のエラー」を個体の利益カテゴリーに入れているのもわかりにくいし,認知能力とのトレードオフについてあまり明確に触れていない.全般的にもっと生態的な要因を議論すべきではないかと思う.
第3章ではヒトのアロマザリングが生じる要因として,トリヴァースの親子コンフリクトによる離乳時期の問題が紹介されているが,この枠組みで説明するなら,何故母親よりさらに強いコンフリクトが存在する他個体が手伝うのかを説明しなければ説明としては不十分だろう.ヒトのアロマザリングの特徴を進化的に説明するなら,もっと生活史戦略にフォーカスして,産子時期,産子間隔,エネルギー獲得生活史を絡め共同保育戦略を包括適応度的に解説すべきではないかと思う.
第1部の最後には「赤ちゃんポストの人間行動進化学的な意味」というコラムがある.赤ちゃんポスト(自分で育てられない子どもを匿名で誰かにゆだねる制度)が歴史上も様々に見られ,ヒトの行動のレパートリーの1つと考えられること,育てようとする側の行動は適応的だとは考えられないこと(だからよほどのことがないと自分で育てようとする方が適応的であったと考えられる),設置側には名声が高まるという間接互恵的な利益があった可能性があること,為政者による設置で養育料が支払われた場合には相利的だった可能性があること,これらの考察はその道徳性をおとしめるものではないことがわずか2ページの中で説明されている.意欲的なコラムだが,いささか詰め込みすぎで,進化心理学の文脈になれていない人には正しい理解が難しいのではと憂慮される.(せめて5ページぐらいはないと難しいのではなかっただろうか)
第2部は中世以降の日本におけるアロマザリングの実態,世界中の様々な伝統文化,あるいは現代社会で見られるアロマザリングがまず説明されている.母親のみによる育児がむしろ特殊であること,現代の日本では養子が相続対策に集中していて先進国の中ではむしろ特殊であることなどがよくわかる.
なお第5章では理論化に向けた解説があるが,アロマザリングの態様を決める要因として文化的な要因(文化的意味体系と社会システム,より具体的には育児観,ジェンダー観,家族形態,地域コミュニティのあり方,家系の担い手など)のみが取り上げられていて,せっかくの第1部による導入が無視される形になっている.
また第6章では「母親のみが育児に関わるべきだ」という家父権的なイデオロギーにアタッチメントセオリーが悪用された経緯を総括し,新しいソーシャルネットワーク理論を提唱している.ここでも第1部とはつながらずに,至近的な心理要因と社会文化的な要因のみを考察するスタンスのようで,あわせてちょっと残念である.なおフェミニズムよりの社会科学者には進化的な考え方に嫌悪感が残っているのであろうか.
第3部は現場からの報告編である.私のような読者にとってははじめて見聞きするような話が多く,ただ頷きながら読んでいくだけである.現代日本の若い女性の置かれた厳しい状況と,そこで奮闘する皆様の努力には頭が下がるのみだ.また生の事実が様々に紹介されているので進化心理学的に面白い素材もたくさんあるようでなかなか読んでいて興味深かった.
本書は「母親のみが子育てすべきだ」という日本にかなり根強く残っている考え方を打破しようと学際的に編纂されたもので,これまであまり見られなかった進化心理学の社会学的な応用への試みとしては大変有意義であると評価できる.特にアメリカでは進化心理学を天敵と見立てて攻撃することの多いフェミニズム的な主題だけに興味深い.なお結果的に執筆者間で互いに意思疎通が濃厚であるとは言えず,進化的な議論がうまく応用されているとは言い難いが,あくまで取り組みの第一歩ということなのだろう.今後の成果を期待したい.