「Why everyone (else) is a hypocrite」 第7章 その1 

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



第7章 自己欺瞞


さて第7章では自己欺瞞のうち第2類型「矛盾する信念が同じ脳にある」ものを取り上げる.クツバンはまず典型例を示す.

フレッドは末期ガンで余命は苦痛を伴う延命治療を受けてようやく6ヶ月,長くとも9ヶ月と診断された.
フレッドは前向きな姿勢が重要だと言い,尋ねられると,「自分の状態はいつも医師を驚かせていて,きっと完全に回復できる」と答え,「苦痛を伴う治療など不要だ,しかし妹と約束したので,彼女を安心させるため治療を受けるつもりだ」とも言うのだった.
実際にフレッドは治療を受け,治療中に来年のカリブクルーズの予約金を払い込んだ.彼は診断から7ヶ月後になくなった.

フレッドは自分は治療なしでも回復するというのだが,実際には治療を受ける,さらに苦痛を受ける治療を嫌がっているような気配もある.これは「自己欺瞞」と形容される状況で,矛盾する複数の信念が同じ脳に同居しているように見える
心の統一性を信じる人たちは,そのようなことはあり得ないと感じ,これは病的な現象で,合理的な心は最後には統一的な見解を持てるのだと考えようとする.しかしそれは混乱へ至る道だというのがクツバンの説明だ.



<私は自己欺瞞について私をだましているのか>


クツバンは自己欺瞞についての哲学や心理学の議論はわかりにくいと指摘し,学説史を振り返る.


ガーとサッケイム

自分の声の録音と他人の声の録音を聞かせ,どちらが自分の声かを尋ね,口頭で回答させるとともに皮膚電流をはかる.
間違えている時に皮膚電流が上がる.そして別の方法で嘘をついているわけではないことを示した.
彼らは(意識的に嘘をついていないが,間違っているという情報を持っているということで)自己欺瞞を観測したと報告した.


グリーンワルド

ガン患者の例をだし,3つの疑問を提示
1.あるヒトがある信念を持ち,かつ持たないということがどの様に可能なのか
2.意識的にあることを知ることのメリットは何か
3.速く正確なシステムはなぜ無意識かなのか


クツバンは,これは心の統一モデルから離れ始めていることを示しているとコメントし,その当時は「動機説」が主流だったと解説する.
動機説は「患者は自分か死ぬということを信じたくなかった.自分自身を守るように動機付けされていた」と説明するものだが,クツバンはこれが何を意味しているのかはよくわからないと手厳しい.
要するに「自分自身を守る」というのは,何かが何かを守っているわけだが,それがきちんと考察されていない.この動機説の考えはカルタジアン的な心身二元論になっている(中の人が脳を操って「自分」を守ろうとする)というわけだ.


<進化は幸福を気にしない>


クツバンはこの二元論から逃れるためには,脳がどのような目的のためにどうデザインされているかを考えなければならないと指摘する.「自分を守る」というのはモジュール的にいえば,あるモジュールが何らかの痛みを減らすようにデザインされているということになる.しかし進化的に考えるとこれは至近的な説明にしかなっていない.デザインの目的は繁殖成功にかかるように説明されなければならない,つまり気持ちよくなるためにデザインされているというのは究極因的にはあり得ないということだ.


そして心理学者がここで止まってしまうのは,進化的な理解がないからで,適応的価値を吟味しない「自己評価」なる概念にこだわってしまうと批判している.

2004年のシェフとフィアソンの総説論文では,「自己評価」について「15000以上の論文が書かれていて,すべての社会科学の歴史の中で単一のトピックに関しては最大のリサーチ努力が注がれてきただろう」とされている.
そして得られた知見はほとんどない.
自己評価と様々な項目の相関が研究された.自己評価が低いと犯罪率は上がるのかなどなど.そして結果は混乱と矛盾しかもたらしていない.唯一ある程度信頼性がある知見は自己評価は男性の方がごくわずかに高いというものだけだ.
要するに自己評価はどんなことの原因にもなっていず,どんな予測もできない.最近出されたハンドブックには,「人々が自己評価を高めるように動機付けられているのは公理的に自明だ」とある.要するに証明できないが疑うべきではないということだろう.

クツバンはこれはあまりに狭量で頑固で馬鹿げているとコメントしている.
さらに「自己評価」と同じことが「幸福」についても言えるという.


進化的にいえばこれらは中間の代理目標に過ぎず,究極因の説明にはならないのだ.そして本当に快楽自体が目的なら(脳の一部のモジュールはそのような効果を生みだすことができるのだから)何の刺激や条件にも依存せず単に快楽中枢を刺激し続けるようになるだろう.これは全ての終わりであり,行動をガイドするための脳のデザインが破壊されたことになる.
クツバンはここでラリー・ニーブンのSF小説シリーズ「Known Space」に出てくる相手の快楽中枢刺激装置「tasp」を引き合いに出している.これに撃たれた相手は快楽に包まれて無力化する.*1


自己評価が中間目標であるならそれはどのような中間目標か.これについてリーリィとダウンズはソシオメーター説を唱えた.この説に従うと自己評価は,その人が社会的に認められているかどうかをあらわす計器にすぎない.だから社会的な実態を変えずに単にそのメーターの表示を変更しても意味はない.つまりヒトは社会的に認められようとするので,外側からみると自己評価を上げようとしているように見えるにすぎないということになる.
これは進化的な意味でつじつまが合う.脳がどのように働いているのかを理解したいのならば,気持ちがいいかどうかではなくそのメカニズムがどのような機能を持つのかから考えなくてはならないとクツバンは進化心理学的にコメントしている.


クツバンはさらにこうもいっている.もし気持ちがよくなるために真実でないことを信じる(自己欺瞞)が生じるなら,「誰も僕に電話をくれない.」の次には「イエーッ,ラッキーだぜ,出さなければならないクリスマスカードが減るぜ.」となってもいいはずだ.しかし実際にはより苦しそうな「きっとみんな忙しいんだ.みんな本当は僕のことが嫌いって訳じゃないんだ」という形になる.
どうしてこうなるのかを知るためにはメカニズムの機能から考えなければならないということだ.

*1:私がこのくだりを読んで思い出したのは,題名は忘れたがウッディ・アレンの映画で,未来都市で独裁者は市民に大きな球状のものを与え,それに触っているとひたすら快楽を得られるという設定だ