「かぜの科学」

かぜの科学―もっとも身近な病の生態

かぜの科学―もっとも身近な病の生態


本書はナショナルジオグラフィック誌などに投稿するサイエンスライターであるジェニファー・アッカーマンによるとにかく風邪 "common cold” のことを調べるだけ調べてみましたという本である.原題は「AH-CHOO!」.ハーックション!とでもいうところだろうか.


本書を読めばわかるが,実は風邪のことは現在でもなおよくわかっていないことが多いようだ.一般的にもあまり理解されていないように思われる.私も本書を読んでまさに啓蒙されることが多かった.

  • 風邪の病原体としては多様なウィルスが関与している.最も多いのはライノウィルス*1を含むピコルナウィルスで,そのほかにアデノウィルス,コロナウィルス,パラインフルエンザウィルス,インフルエンザウィルス(なお本書の記述の大半はインフルエンザ以外の風邪についてのものになっている) などがある.だから生涯に何度でも風邪をひくし,1シーズンにも何度でもひく.
  • 感染経路はなおその詳細についてよくわかっていない.おそらく普通の風邪については飛沫感染は少なく,接触感染が多いらしい.感染者が(鼻水*2が付着した指で)触った何か(ドアのノブ,エレベーターのスイッチ,テレビのリモコン,スーパーのカートの取っ手,現金など)を触った指先から,鼻,目を経由して感染する経路が大半だと思われる.(だから適切に手を洗うこととともに,手で顔を触らないこと(特に鼻をこすったり目をこすったりしない)は最強の予防手段になるが,これは非常に難しい)
  • 通常最初の症状は喉のいがらっぽさだが,ここが最初のウィルス感染場所ではない.鼻や眼から感染したウィルスが喉に移り最初の炎症を起こす結果だ.
  • 風邪の症状はウィルスが生産する毒物によるのではなく,免疫反応の1つ(サイトカイン放出)から生じる炎症反応による.(これは一般的にはあまり認識されていないだろう.なおダーウィニアン医学的に言うと,この炎症反応が結局風邪の治癒に役立っているのか,あまり役立っておらず病原体の伝染のために操作されているのかが,症状を抑えた方がよいかどうかのポイントになる.残念ながら本書ではそこは扱われていない.*3
  • 同じウィルスに暴露して風邪の症状が出るかどうかには個人差があり,感染しても無症状という場合もある.これには遺伝的要素が大きいようだ.なお環境的要素としては睡眠不足,ストレスがある.
  • 寒さが風邪のかかりやすさに影響を与えるという証拠はない.(これは「酷寒に耐えた後濡れた靴下をはいたまま一晩過ごす」というかなり過酷な実験を行った結果によるものだ.*4
  • 風邪に効く薬が開発されないのは,ウィルスが多様で標的を絞りにくいことと,どうせ3,4日で治るものなので(1)よほど素速く効くもので(2)副作用が極めて小さいものでないと商品価値が出ず,開発が難しいことが理由だ.


著者はとにかく体当たり取材で,風邪のライノウィルスの感染ボランティア実験に参加した顛末を語り,片方で風邪の民間療法,怪しげな商品を片っ端から取り上げて論評する.ここはサイエンスライターの面目躍如で面白い.この手の「風邪に効く商品」はうまくマーケティングすると大もうけできるのだが,効能の宣伝をやり過ぎるとクラスアクションを起こされて大金を払って和解せざるを得なくなる.しかし和解後は効能宣伝を抑えた新しいマーケティングで再び現れるというダイナミズムはいかにもアメリカ的だ.
本書は最後に風邪を引いたときにどうすればいいかについての専門家のすすめを簡単にまとめ(薬の選択*5から気の持ちようまで),さらに風邪の時の推薦料理レシピと読書ガイドまで並べている.なかなか小粋だし,読書ガイドもちょっと嬉しいおまけという感じだ.読んでいて楽しく,ちょっぴり実践的な知識も身につくお買得な本というのが私の評価だ.



関連書籍


原書

Ah-Choo!

Ah-Choo!

*1:ライノウィルスが,風邪全体の半数の原因ウィルスで,これだけで異なる抗体に反応する100種類以上の株が発見されている

*2:唾液にはほとんどウィルスは含まれないそうだ

*3:一般的なダーウィニアン医学の議論では,熱はほとんどの場合ウィルスを殺そうとする役に立っていてあまり抑えない方がよいとされているようだ.喉の痛み,くしゃみ,咳,鼻づまり,鼻水はどうなのだろう.少なくとも上記の感染経路から見て鼻水は伝染にも効果がありそうで,ウィルス側の操作の可能性があるように思われる

*4:冬に戸外で寒い思いをした後,風邪を引いて高熱を出すというドラマやアニメの脚本はお約束みたいなものだが,本書を読んだあとでは気になってしまうかもしれない.

*5:個別の薬品名まで挙げて丁寧に解説している