「The Moral Landscape」

The Moral Landscape

The Moral Landscape


アメリカ合衆国は非常に宗教色が強い側面があり,南部や中西部を主体とするレッドステートでは進化を学校で教えること自体が政治イッシューになっていることはよく知られている.またリベラル色の強いブルーステートでも宗教についてはリスペクトするという姿勢が主流であるようだ.このような状況の中,最近「新無神論」と呼ばれる議論がアメリカでなされている.これはスコット・アトランやパスカル・ボイヤーの宗教の進化的な理解がきっかけとなり,ダニエル・デネットリチャード・ドーキンス,クリストファー・ヒッチンスたちの主張がなされるようになったという流れの中にある.そして本書は最も過激な新無神論者の1人で,スタンフォードで哲学を履修し,UCLAで脳神経学の博士号を取得したという経歴を持つサム・ハリスにより執筆されたものだ.


無神論の主な主張は私の理解では以下のようなものだ.

  • 宗教は事実の問題についても強い主張を行うが,それはしばしば科学と相反し,相反する事実の主張の多くは正しくない.
  • 宗教が人の社会にとって有益だとは限らない.
  • 宗教は価値の問題(道徳)について(アメリカでは)優越的な地位を認められているが,優越する根拠はない.
  • 無神論者に道徳がないというのは誤解である.


本書においてハリスはさらに一歩を踏み出すと宣言している,それは価値の問題についても科学は関与できる(道徳相対主義に後退する必要はない)という主張だ.ではどのように行っているのかハリスの議論を見てみよう.


まず「事実から価値は生まれない」という問題については,「価値とは意識あるものの心身の厚生(well-being)だと考える」という前提を置くことによりクリアする.そしてここさえ合意できれば,後は(少なくとも原理的には)価値を科学で決められるとする.*1 *2


もちろんこれだけで全て解決できるわけではないとハリスも認めている.ウェルビーイングの定義自体難しい.ハリスはこれは「健康」と同じようなものだという.健康はきちんと定義できなくとも時代により移り変わろうとも,ひどい健康とよい健康の区別は合意できるし,おおむね合理的に物事を進められる.道徳も同じように取り扱えるのだという.そして特殊な道徳を主張する人(レイピストの幸福,人種差別的価値,現世で悲惨でも来世で報われるからいいのだ)にどこまでもつきあう必要はないのだという.
このあたりは,主流のリベラルが,強い道徳的文化相対主義に陥って,どんなお馬鹿な宗教でもリスペクトするという姿勢に後退している状態に対する常識的な批判,そして「ある程度普遍的な価値については合意できるだろう」ということだろう.
ハリスはここでオバマ政権のとある倫理アドバイザーの逸話を紹介している.彼女と議論して,「では『3番目の子どもの目をつぶす』という戒律を持つ宗教を認めるのか」と問いかけると,彼女は「それが宗教ならリスペクトする」と答えたそうだ.ハリスは『文化相対主義』は全ての社会がうまくいっているという馬鹿げた仮定に基づいているのだという言い方をしている.
ハリスはこのような相対主義については,彼等は掛け金の高さがわかっていないのだと手厳しい.実際にこれはどんなおぞましい教義でも認めることにつながりうるのだ*3.また道徳相対主義は,相対主義だけは絶対的に正しいと考えるところに自己矛盾があるとも皮肉っている.


さて価値をこのように定義するとこれは功利主義あるいは結果主義的な考え方になる.ハリスは結果主義をとることについて様々な実務的な問題はあるが(どうやって複雑な物事の結果を測定するのか,異なる主体の結果は平均してよいのか,少数者はどう保護されるのか),原理的には解決可能だと主張している.また結果主義をとると解決は複数あってもいいとも主張されていて(ハリスはこれを道徳地形の議論と呼んでいる)独特なところだ.
結果主義に関して,ハリスは絶対的な価値を認める立場を批判する.宗教を軽くいなした後(相互に排他的な数多くの宗教があること,聖書の価値も誰かが持ち込んだものであること,多くの聖書には奴隷制の容認などの内容があることなどを挙げている),ロールズコントラクチュアリズムも,少し不公正な方が全体の厚生が上昇してもそれはとれないことになると否定している.
この後様々な結果主義の問題点について,それは原理的に乗り越えることが可能だと詳細な議論を行っている.しかしここはあまり納得感がなく説得的には思えない.測定の問題は確かに原理的には解決可能だろう.公正の問題も少数者の権利が守られる社会に所属することのウェルビーイングとして還元できるかもしれない.しかしヒトの心にある進化的に備わった道徳的直感と功利主義が相反したときに厳密に功利主義を貫けるかという問題は難しいように思う.ハリスは基本的には結果主義をとりながら,個人レベルでの血縁びいきを認めたり,全ての人が全財産を福祉に投げ打たないでもいいということを認めたりしている.結論は常識的だが,論理としては一貫性がなく説得的ではない.


本書の後半は各論になる.
まず「信念」について.ハリスは,私達は便宜的に何でも信じられるわけではないと指摘する.それは真実であると感じられなければならない.そしてそのときの脳活動を調べると,価値を選ぶときと事実を選ぶときは基本的に同じだ.つまりあることが事実かどうかとあることが正しいかどうかは同じような選好過程を経ている.別の言い方をすると私達は「真実が好き」なのだ.
これは一部の論者が「価値は自由に選好できるから相対主義的だ」と主張することに対するものだ.脳過程が同じだから価値と事実を同じに扱っていいということにはならないが,ちょっと面白い.*4


「宗教」についても1章を当てている.
宗教は道徳を与えると主張されることが多いが,実際にモラルジレンマに陥った人が特に宗教に判断を頼るわけではないこと,社会の健全さと宗教に関連は見いだせないことを述べた後,アトラン,ボイヤーと同じような宗教の進化的起源を説明している.
ここでは統合失調症の幻想と科学と相反する事実に関する宗教的信念の区別は原理的にできないことを指摘しているのがちょっと面白い.
宗教の章の後半はフランシス・コリンズ*5の批判に当てられている.彼の議論がいかに馬鹿げたものか(ある秋の日に突然啓示を受けたことにより神の実在を実感するなど)を延々と指摘し,矛盾を内包できる科学者が存在しうることは宗教と科学が共存できることを意味しない,キリストの復活を信じるような男に米国の科学の将来をまかせて本当によいのかと舌鋒鋭く批判を行っている.そしてNatureの編集者を含む主流のリベラルがこのような主張に媚びを売るのは,宗教への批判が大衆をより宗教に走らせることを懸念しているのだろうが,そのような態度は大衆を見下しているともいう.
このあたりは現在のリベラルの主流の論調が煮え切らないことに対する反応と言うことなのだろう.リベラルを自認する人にとっては相対主義的穏健スタンスから抜け出すのがなかなか困難であることは容易に想像されるところだ.


ハリスは最後に,ジョナサン・ハイトの「保守とリベラルの本質的な価値が異なる」という主張を批判し(基本的に同じように還元できる),幸福に関する最近の知見を少し紹介し(選択肢の多寡に関する問題,いつの時点で評価するかの問題など)実務的に難しい問題があることを認めつつ,全体の議論を要約し本書を終えている.


本書はなかなか好戦的な本で,様々な論陣を張っていて,そこには突っ込みどころも多い.しかし本当に主張したいのは,常識的な価値を合意できれば,極端な道徳相対主義に陥る必要はないし,フランシス・コリンズのような支離滅裂のたわごとに迎合する必要もないということだ.そういう意味でこれはリベラルによるリベラル啓蒙のための一冊と言うことなのだろう.だから宗教右派への攻撃はあまり書かれていない.(デネットドーキンスが力を入れている「宗教における道徳の優越に根拠がないこと」や「子どもに洗脳すべきでないこと」などはあまり取り上げられていない.)日本の読者にとってはアメリカでの宗教議論のリベラル側の側面を知る一冊ということになろうか.



関連書籍


サム・ハリスの本 いずれも未読だが,ドーキンスの本などの引用されていて,かなり過激な内容であることがわかる.


The End of Faith: Religion, Terror, and the Future of Reason

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Letter to a Christian Nation

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デネットの新無神論

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

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解明される宗教 進化論的アプローチ

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私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070218,読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20061023以降に掲載している. 



ドーキンスの新無神論

The God Delusion

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神は妄想である―宗教との決別

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私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070221,読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20061201以降にある.


コリンズの宗教擁護本 

The Language of God: A Scientist Presents Evidence for Belief

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ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える

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*1:さらにハリスは自然主義的誤謬に絡んで価値と事実を峻別する議論に疑問を呈している.価値を感じるヒトの脳は結局脳の状態に依存し,何を客観的事実とするかという概念自体が論理的一貫性,パーシモニーなどの価値を内包しており,さらに事実に関する信念と価値に関する信念は脳の同じプロセスから生まれるということから価値と事実は相互に深く関連しているという主張だ.確かに価値と事実はそれを認知するヒトの心においては相互に絡みついているということだろう.しかしだからといって峻別できないわけではないと思う.

*2:「意識あるもの」という言い方はもちろん大型類人猿やクジラの権利を念頭においている.これらは前提自体の合意がなかなか難しいところだと思われる.なお本書ではこの問題はあまり取り上げられていない.

*3:これについてはドーキンスが,「人種差別を正面から認める宗教があればどうするのか」と問いかけていることが思い起こされる.

*4:関連してハリスは「嘘」について,いずれ技術が進んで完全な嘘探知が可能になったらという話をしている.これは内心の自由に絡んで拒否感が強いが,DNA鑑定と同じで,より裁判で誤審を減らしたり,合意の元で使用することにより面談や契約にとって有用だろうとしている.

*5:NIHのディレクターに任命され,アメリカの科学行政のアドバイザーという立場にある.宗教擁護的な本を書いていることで知られる.リベラルはコリンズの立場におおむね好意的なようだが,新無神論者からは様々な批判を浴びている