今年の日本動物行動学会は「Animal 2011」という統一名称で日本動物心理学会・応用動物行動学会・日本家畜管理学会徒の4学会合同大会として9月8日から11日までの間慶応大学の三田キャンパスで開かれた.できれば参加したかったのだが,(特に初日の最初の性比のセッションとこの公開シンポジウムと関連のある三日目のイヌのセッションは面白そうだった)どうしても都合がつかず,最終日の公開シンポジウムだけの参加ということになった.
この日の東京はなお残暑が残るじりっとした日だったが,ちょうど地元の夏祭りらしく御輿も出ていて,秋晴れと言えば秋晴れな気分も漂う一日.
慶応三田キャンパスの西校舎はすでにAnimal2011最終日の午後とあって撤収の気配が濃厚.最後のプログラムであるこの公開シンポジウムは一般の参加者はあまり入っていない雰囲気の中で行われた.
イントロダクションはオーガナイザーの長谷川寿一から本企画の趣旨が説明される.
イントロダクション
- イヌは1万5千年前(あるいはもっと遙か前から)家畜化され最もヒトに身近な動物の一種である.(日本には10百万匹以上いると推定される)
- その背景にはイヌの社会認知能力が高いことがある.例えばヒトの指さしの検知についてはチンパンジーより成績がよい.
- これらを受けて,現在イヌについて行動・心理・遺伝・進化のリサーチの高まりがある.全世界からイヌの研究者が集まる集会も「canine science forum」として立ち上がり,ブダペスト,ウィーンで既に開かれ,来年はバルセロナで開かれる予定になっているし,イヌの認知研究は1990年頃から急速に増えている.日本でのラウンドテーブルは2006年頃から,今年から「イヌの行動と進化の生物科学研究会」として立ち上げて,いろいろな学会でセッションを持ちたいと考えていて*1,このAnimal2011は皮切りである.
- 本シンポジウムはそのようなイヌ研究の最前線の紹介である.
この紹介の中では,雑誌:生物科学の「イヌの生物科学特集号」も紹介されていた.これは2007年のものだが(私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070607)その後も進展があると言うことのようだ.
最初の講演者は,ブダペストからの招待講演者で,「canine science forum」の中心人物でイヌの社会性研究の第一人者アダム・ミクロシ.イヌの社会性や進化についての著書もいくつかあるそうだ.
Why Dogs do not talk? Adam Miklosi
まず自己紹介と言うことでハンガリーやブダペストのスライドから始まる.
続いて考古学的証拠.ヒトとの共存については全世界から様々な考古学的な証拠がある.特に注目されるのはヒトと一緒に埋葬される例.これは古い時代からかなり強い絆の存在を示唆している.
リサーチはイヌの行動について.ポイントは3点
- 機能:ヒトの社会の中で生き残る(これには非常にうまく成功している)
- 進化:オオカミからイヌへの進化経緯
- メカニズム:能力,認知,遺伝
アプローチとしては
- 種内の比較,行動観察
- オオカミとの比較
- イヌの特殊な行動パターンの分析:群れ構造,順位制など
個別の議論
<オオカミとの差>
一部の研究者の中にはイヌの社会は,優位個体がヒトになっているとして理解できるのではという議論があった.
しかし実際に調べると協調性や問題解決においてオオカミとイヌは異なることがわかった.これはロープの先にケージに入った餌を起き,引っ張ってもとれないという状況でどう行動するかを見るものだが,イヌの場合には少し試したあとにヒトの方を見て助けを求めるようなアイコンタクトをとるが,(飼い慣らした)オオカミの場合にはどこまでも引っ張り続けるというもの.これは同一人物が同じように飼っていても差が出る.
<ヒトの子どもとの差>
イヌが得意だと言うことで有名な指さし認知をやらせると.分かり易いサインではよい成績だが,少しわかりにくくする(肘を曲げてサインをする,脚を交叉させて示すなど)と成績が落ちる.1歳半より大きなヒトの子どもとは差が出る.
<イヌの社会性の解釈>
ローレンツなどはコミュニケーション,協調性,社会性,などを個別に議論していた.
最近のトレンド
- ヒトの社会的なグループの中にいるイヌとして捉える
- ヒトとの友情,絆についての機能的解釈(社会的提携,直接の見返りの有無,ソーシャルサポート)
- イヌの進化についてヒトの社会という生態ニッチに入り,ヒトと収斂したという視点
- 収斂形質の候補:生涯続く絆,食糧の提供,協力,共感,感情の動機,社会的学習,行動の協調,規範に従う性向,教育手法への感受性
そのような考え方に基づいたリサーチの具体例
<行動>
どこまでヒトと同じような行動がとれるかの訓練:最終的に,「箱を開け,そこに別の場所からボトルを入れる」という行動までできるようになる.
<吠え声>
何故吠えるようになったのか
- 吠えることを抑制するような淘汰はなかった.吠えないような淘汰が緩んだ?
- ネオテニー?
- 副産物:ベリヤノフのキツネも吠え声に近くなったことから,慣れやすさの適応にかかる副産物かもしれない(これは慣れやすさへの淘汰がネオテニーを進めたということであればネオテニーと同じことになるだろう)
- 吠えるように人為淘汰があった?
ヒトは本当にイヌの吠え声を聞き分けているか
- 様々な状況のイヌの吠え声を聞かせてヒトに判定させるとチャンスレベルより聞き分ける(これはイヌ飼育の経験の有無にかかわらず同程度できる.だからヒト側の学習というより,ヒトに理解されやすいような声を出すようにイヌ側が適応した可能性がある.これはオオカミと比較すれば面白そうだが,そのような紹介や説明はなかった)
- スペクトル分析をすると明らかにイヌ側の感情成分に関してシステマティックに異なっている.
<ヒトの視線への反応>
- 指さしだけでなく,ヒトの視線にも反応できる.
- 視線を向けたものを選ばせる課題に置いて,単に顔を横に向けるのと,そこにあるものを注視するのでは成績に差が出る.類人猿ではでない.(これもイヌにある特殊な適応だと思われる)
<結論>
Dogs are dogs.:イヌはヒトの社会というニッチにおいて,一部ヒトと収斂進化し,様々な適応を生じている動物だ.
社会性,同調性,発展的能力が今後のリサーチトピックとして注目される.
さらに将来的な方向としては,そのような能力と環境との関わりのプロセス(エピジェネティックな部分)が面白いだろう.
ミクロシ教授のイヌの本.
- 作者: Adam Miklosi
- 出版社/メーカー: Oxford University Press (Japan) Ltd.
- 発売日: 2007/11/01
- メディア: ハードカバー
- 購入: 1人 クリック: 14回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
時間をたっぷりとり,様々な実験のヴィデオがふんだんに紹介されて面白い講演だった.
二番目の講演は性格にかかる遺伝子などのリサーチを行っている村山美穂によるもの
イヌの性格を遺伝子から探る 村山美穂
冒頭のスライドはイヌの性格を遺伝と環境の両方の影響から見ていこうという趣旨のもの.
現在動物にかかる遺伝子のデータバンクDATAZOOには全部で2万個体分のデータが集まっているが,そのうちイヌは108犬種,4300個体,(うち麻薬犬が612個体)ある.このデータバンクは絶滅危惧種の遺伝的多様性,繁殖,疾病などに管理に役立てる趣旨であり,イヌのデータを使って性格のリサーチも可能になっている.
イヌは身近にいて頭数も多く関心も高く調べやすい.また家畜化の過程で多様化が進んでいて性格の違いも大きい.さらに犬種ごとに性格の違いがあって遺伝している,これにより,オオカミとの比較,犬種間の比較,同犬種内の個体間の比較などが可能になる.
<性格の遺伝的要素>
リサーチのトレンド
- 性格の遺伝についてはヒトやマウスでリサーチ例がある.
- 性格の判定はヒトについてはアンケート調査で行うのが通常だが,イヌについてどうするかはこれからの課題.(犬種の違いについてはトレーナーへのアンケートを使っているとのこと.飼い主の場合ほど個人差がなく,ある程度客観的なことが期待できるそうだ)
- 遺伝子,多様性,他種・種内での比較,脳内での発現などを見ていく
- 育種,選抜,訓練などへの応用が考えられる.
個別のリサーチ例:DRD4(ドーパミンのレセプターに関する遺伝子でヒトについては様々なリサーチがある)
これをイヌの犬種間で比較し,トレーナーへのアンケートで見た性格と対照する.
するとオオカミやアジア犬種ではロングの比率が高くでヨーロッパ犬種ではショートの比率が高い.
そしてイヌの性格と遺伝子型の関係を見ると,反応性(ヒトとの社会的な関係の持ち方),攻撃性,訓練のしやすさ,恐がりかどうかと相関する.
このほかのセロトニンやアンドロゲンに関する遺伝子も同様に調べると以下のようになっている
DRD4 | セロトニン受容体 | セロトニンTP | アンドロゲン1 | アンドロゲン2 | |
オオカミ | 長 | A | 長 | 短 | 長 |
---|---|---|---|---|---|
アジア犬種 | 長 | C | 長 | 短 | 短 |
ヨーロッパ犬種 | 短 | C | 短 | 長 | 短 |
これらを見ると,オオカミからヨーロッパ犬種に向かって性格に関して強い人為淘汰が働いて,従順でしつけやすい方向に進化していることがわかる.やはり近代ヨーロッパの育種というのは半端ではないということだろう.この後の菊水の講演でも触れられていたが,柴犬などの和犬はかなりオオカミ的らしい.
<個性>
同じ犬種でも個性がある.これは盲導犬や麻薬犬の訓練において重要.
というのは,訓練で全てのイヌが合格するようにならないため,この効率を上げられないかという問題があるから.
実際にセロトニントランスポーターやその他の遺伝子のいい組み合わせのイヌでは合格率が(平均の30%に対して)60%まで上昇する.
ただし,望ましい組み合わせを持つイヌは数が限られるために,すぐに応用というわけにはいかない.
確かにそうだが,逆に言えば,そのような組み合わせを持つような純系のイヌを育種していけばいいのではないだろうか.しかし実務的には(費用などの面で)まだ困難ということかもしれない.
麻薬犬は探索好きで遊び好き(報酬は遊び)で集中力があるイヌがよく,盲導犬は服従性が高く,ものに執着し,音や接触に驚かないことが求められる.だから用途に合わせてそれぞれ育種しなければならないということになる.探索好きは愛玩犬ではあまり望まれないことかもしれないのでコスト的に難しいだろう.
<今後のリサーチ方向>
以下のような方向があるだろうということだった.
- 家庭犬のリサーチ
- イヌ以外の家畜のリサーチ
- 神経伝達系以外の遺伝子のリサーチ
- 文化の影響のリサーチ
予定時間を大幅に超えていても騒がずに,紹介したいことは全部紹介したいという熱意のあふれる講演だった.性格に関しての遺伝的な影響というあたりは最近ではよく聞く話だが,イヌの場合はこれがストレートに育種や選抜につながるのが(当然とは言え)ちょっとした衝撃がある.ヒトについての議論が優生学の影とか政治的正しさの配慮にかなり影響されていることを改めて感じさせられた.
ヒトと犬を絆ぐ ―行動から見た2者の関係― 菊水健史
最後の講演者は麻布大学の菊水健史.
最初はご自身が飼っているスタンダードプードルの様々な行動を動画で見せることから始まる.イヌは成犬になっても遊びたがるのが特徴だ.そして遊びに際しては互いに姿勢でシグナルを送っている.
遊んでいると脳内でエンドルフィンが出ることがわかっていて,これは飼い主とイヌの絆形成に役立っていることが推測される.
系統的に見ると,オオカミとは1.5-10万年前に分かれ,最近数百年で多くの犬種に分かれた.先ほども紹介のあったイヌの行動遺伝学的な分析では,アジア犬種,特に柴犬は犬種の中ではかなりオオカミに近い行動特性を持っているようだ.
例えばヒトの指さしの理解では,イヌはチンパンジーより優秀だとされているが,柴犬でやってみるとあまり成績がよくない.
人為淘汰の中で,オオカミにあった社会性が,ヒト社会の中でヒトに対しても使えるようになっていったと考えられる.
視線によるコミュニケーションはそのひとつ.
さらに人の表情が理解できるかどうかのテスト(笑っているか怒っているかを判別させる)をスタンダードプードルを使って行うと,80%以上の判定率でできる.
また視線を交わすかどうかなど様々な状況でのオキシトシンの分泌状況を調べると,うまく交信している飼い主とイヌでは双方でオキシトシンが上昇する.これは視線の重要性を示すとともに,オキシトシンを通じて絆形成に役立っている可能性を示唆している.
動画の多い楽しい講演で,ヒトとイヌの絆形成を紹介してくれた.
この後,藤田和生より,総括的なまとめがあり,さらにいくつかの議論がなされていた.
- 何故近縁のサルではなくオオカミとこのような関係になったのか,と言う設問には,ミクロシから,Why notと言う質問には原理的に答えるのが困難だと前置きしながらもニッチの競合があった可能性,(ダイアモンドのGunsの議論の踏まえて)サルは前適応としての家畜になりやすさが乏しかったのだろうと答えていた.
- 性格の多様性はオオカミがもともと大きかったのではないか.そこに淘汰が効いてイヌになっていったのではないか
- ウマやウサギでも絆形成はありうるだろうと考えられる.傍証としてはペットロス症候群はイヌに限らないことがあげられていた.
最後にはイヌを学ぶだけでなく,イヌに学ぶという姿勢も大切だとまとめてこのシンポジウムはお開きになった.なかなか楽しいシンポジウムだった.
*1:来年は霊長類学会を考えているそうだ.2012年の霊長類学会は岡山だそうで,イヌとサルがそろうので,何とかキジを入れて桃太郎にと言って会場を沸かせていた