「The Better Angels of Our Nature」 第3章 文明化プロセス その2  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ヨーロッパは数百年かけて衝動を抑え,長期的な結果を考え,他人の感覚に気配りするようになった.つまり名誉の文化「やられたらやり返す.侮辱は許さない」から威厳の文化「感情をコントロールする.馬鹿は相手にしない」にシフトしたのだ.
どのようにしてこれは達成できたのか.


エリアスによると,これは農民との差別化として貴族階級へのインストラクションとして始まった.これが子供に浸透し,さらに中流下流階層に広まったということになる.ピンカーはエリアスは子供への浸透にフロイト的な説明をしていてこれはいただけないとしているが,中流下流への浸透の心理学は現代的だと評している.
エリアス説への批判として(1)排泄物への嫌悪やセックスのタブーはユニバーサルではないか(2)自制はヨーロッパの発明だとは言えないのではないか,というものがあるそうだ.ピンカーは,もともとの嫌悪やタブーはユニバーサルでも,それをどう文化に入れ込むかには文化差がある,エリアスは「発明」としているわけではなく,その方向に動いたといっているだけだとコメントしている.


どのようにして「自制能力」があがったのか?


エリアスの説明は以下のようなことらしい.

  1. テーブルマナーを身につけると他のことがらについても自制できるようになった
  2. 社会規範として自制ダイアルが上がった
  3. ローカルなコストと利益の条件に適応した


1は(本当かどうかはさておき)ともかく2と3はさらに説明が必要だ.
また暴力の減少と自制能力の上昇の因果もはっきりしない.


エリアスは外的要因として「中央集権政体の強大化」と「経済革命」を挙げている


《中央集権政体の強大化》


ヨーロッパは中世から近世にかけて中央集権が進んだ.

  • ヨーロッパの独立政体の数
15世紀    5000
17世紀    500
ナポレオン時代     200
1953    30


ピンカーはこれは自然な統合過程と考えるべきであり,背景には軍事革命もあるとコメントしている.
中央集権の国王にとっては地域領主間の争いは自国の力をそぐだけで迷惑この上ない.だから国王は「平和ビジネス」に乗り出す.正義を国家のビジネスにし,私人間の争いに割って入る.すると地域領主の成功のためのゲームのルールが変わる.衝動的に振る舞う独立領主より礼儀正しい国王の臣下になった方が有利なのだ.そしてそのためにはエチケットが重要になる.つまり戦士から官僚になったというわけだ.


この説明の力学だと中央集権が成立すると文明化プロセスが生じることになる.すると中国では秦,漢あたりで,日本では奈良平安で生じたことになる.またヨーロッパでも古代ローマ帝国時代には一旦文明化プロセスが生じ,その後巻き戻したことになるのだろうか.


《経済革命》


中世の経済は土地と農業が基本で,土地を取り合うゼロサムゲームだった.そして近世にかけて商業や技術が進み,交易によりプラスサムゲームに変わった.これは暴力のインセンティブを下げる.(交易相手には生きて繁栄してもらっていた方がいい)
エリアスは中世の終わり頃からヨーロッパは経済的停滞から抜け出したと整理している(貨幣,道路,蹄鉄,くびき,馬車,コンパス,時計,糸車.踏み車,風車,水車,分業,貨幣,金利
そしてこのような機会をつかむには,将来を計画し,自制し,相手のニーズをつかまえるために共感することが有利になる.
エリアスはさらに中央集権と経済革命は関連していると指摘している.大きな領域内ではより交易の利益が上がるし,略奪が減れば経済活動のインセンティブはあがる.さらに経済活動で利益が上がり財政に余裕があるとより平和ビジネスに力を入れられる.だからこの両プロセスは同時に進み,文化は自制的共感的になった.


このプロセスは中国では,宋,元,明,清で進み続けたのだろうか.日本では鎌倉,室町前期,安土桃山から江戸時代に進んだと考えて良いのだろう.特に戦国から江戸にかけては中央集権と経済革命が同時に急速に進んだとみて良いのだろう.戦国の荒くれ武者から江戸のこざっぱりとした武士の姿への変容はまさに「文明化プロセス」と呼ぶにふさわしい.


《エリアス説の問題点》

ピンカーはエリアス説についていくつか問題点を指摘している.

第二次世界大戦時のドイツの暴力の説明」
エリアスはナチの暴力もこのフレームで説明しようとし,ナチには独裁権力の正統性がなく,エリートによる名誉の文化の復活があり,ファシスト共産主義者により暴力の政府独占が崩れ,ユダヤ問題で国内共感が壊れたからだとした.ピンカーはこれは無理筋で,実際にはナチスドイツにおいても国内殺人率減少は続いていたとコメントしている.ナチの暴力はイデオロギーの問題として検討されるべきだというのがピンカーの考えだ.


「中央集権化と暴力減少の一致は必然ではない」
ピンカーは「ベルギーやオランダ(スウェーデン)では中央集権化はそれほどでもなかったが暴力減少では先頭を走った.」「イタリア諸国家は中央集権だったが暴力の減少は遅かった.」という例を引いている.これはその他の条件が同じではなく,特に上記の例では政府への信頼の大きさが効いているのだろうと述べ,これはエリアス説に問題があるのではなく,暴力傾向にはそのほかにも要因があると言うことだとコメントしている.


リバタリアンの主張」
リバタリアンは全般に中央集権国家には懐疑的で,コミュニティは自主的に協力できると主張し,いくつかの例をあげる.ピンカーは,そのような例があるからと言って,政府が不要であるとは言えないとコメントしている.


この後ピンカーはエリアス説「文明化プロセス」のさらなる検証(特に現代のデータを用いたもの)を扱う.