「The Better Angels of Our Nature」 第3章 文明化プロセス その3  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


中央集権と経済革命により「文明化プロセス」が生じ,暴力が減少したというエリアス説.エリアス説が提唱された当時には何らデータはなかったが,まず暴力減少自体については長期的な殺人率のデータはそれが生じたことを示している.ピンカーはその要因についての検証に進む.


<暴力とクラス>


エリアスの説明では文明化プロセスは貴族から中流,そして下流階層にへ浸透したことになる.では現代において階層間での暴力はどうなっているだろうか.


今日の殺人はほとんどが下層クラスで生じるとピンカーは書いている.これはアメリカでは特にそうだろう.そして理由として,上流,中流階級は正義の実現を警察と司法にまかせるようになったが,下層では,自力救済が残っているのだとの説明がある.
アメリカの犯罪統計によると実利に基づく殺人は10%程度で,残りは報復,ケンカの果て,嫉妬,防衛が理由だそうだ.するとこれらは広い意味で「正義の実現」とくくれる.
このピンカーのくくりはかなり強引だが,挑発への報復も正義だというならそうなるだろう.だからよくある「犯罪はモラルの欠如による」「暴力は病気」「下層民の犯罪は貧しさゆえであり社会への怒りだ」などの認識は誤りだとピンカーは指摘している.要するに彼等は社会への怒りで殺人を起こすのではなく,殺す相手への怒りから殺人を起こすのだというわけだ.
また下層の人々はよりアウトローの比率が高く,警察に頼らない,自力救済と名誉の文化がはびこるということもある.ピンカーは要するに文明化プロセスは暴力を上流からなくしていき,下流階級という限界部分に追いやったのだとまとめている.


日本ではどうなっているのだろうか.
ちょっと探してみたが,所得と殺人についての統計は見つけられなかった.犯罪白書によれば,日本はアメリカと比べて殺人率が1/5ぐらい.(1年あたり10万人あたりの殺人率は2009年でアメリカ5.0,英国2.2,ドイツ2.8,フランス2.6,日本0.9)殺人の内訳については,河合幹雄の「日本の殺人」によると親族間のものが約半分,その大半は嬰児殺しと心中崩れ,そしてその他の殺人も男性同士のケンカの果てだけでなく男女の別れ話崩れという比率も高い.だから所得が低い方が殺人率が高いということはあっても,ほとんどが下層ということはないだろうと思われる.またそういう状況なので,動機についてもアメリカと随分傾向は異なっているだろう.結局日本については極端な下層階級が少なく,文明化プロセスが行き渡り,限界部分はごく一部の犯罪者集団が中心になっているということのように思われる.


<世界の暴力>


ピンカーは,文明化プロセスは,暴力を(下層階級だけでなく)世界の果てにも追いやったと指摘している.
歴史的に文明化プロセスによる平和はまず英国,フランス,ドイツで始まり,次第に周辺に広まった.だから今でも中心部分に対し,アイルランドフィンランドオーストリアハンガリーが少し気難しく,その外により気難しいスペイン,イタリア,ギリシア,スラブ諸国があるという分布になっている.このようなグラデーションは英国やイタリアの国内の各地域でも残っている.(具体的にはスコットランド高地,サルディニア,シシリーはいまでも少し気難しいらしい)


欧州の外に目を向けると,英連邦のオーストラリア,ニュージーランド,カナダ,また西洋モデルを取り入れた日本,シンガポール,香港は殺人率が低い.中国は興味深く,統計の信憑性はともかく殺人率は比較的低い.ピンカーはナイフを食卓に持ち込ませないことから見て過去に文明化プロセスがあったのは間違いないだろうとコメントしている.


そしてピンカーの言う「世界の果て」;現在危険なところはロシア,サブサハラアフリカ,ラテンアメリカの一部だそうだ.
先ほどの1年あたり10万人あたりの殺人率(アメリカ5.0,日本0.9)はジャマイカ33,メキシコ11,コロンビア52,ロシア29,南アフリカ69となる.
ピンカーは,ラテンアメリカでは麻薬組織が独立勢力になっていて,警察や法システムが賄賂にまみれているためで,ロシアや南アフリカでは前政権が崩壊して文明化プロセスが逆回転しているのかもしれないとコメントしている.


この政権崩壊に続く脱文明化についてはニューギニアのエンガ族の例をさらに詳しく取り上げている.
エンガ族は1930年以前は部族社会で,部族間の襲撃と報復の連鎖のある極めて暴力的な世界だった.1930年にオーストラリアに併合され,平和化プロセス,さらに文明化プロセスが生じ,争いは裁判で決着がつけられるようになった.
しかし1975年にパプアニューギニアが独立し,政府役人は部族を威嚇して土地を取り上げようとしたので,部族は役人を殺して無政府状態に陥った.かつては存在した部族社会の暴力抑制装置もない中で若者はギャング団に組織されて社会は暴力的で混乱した状態になった.


ピンカーはここで面白い現象も紹介している.それはこのような状態になったときにかつての文明を知る大人が「civilizing offensive:文明化攻勢」を起こすことがあるというものだ.2000年,エンガ族ではあまりの荒廃ぶりに,村の長老たちが立ち上がり,若者にギャング活動よりスポーツなどの活動を進め,携帯ネットワークを作り争いがあると素早く仲裁に入り,部族内で殺傷力の高い銃器の所持を制限し,ギャンブルや売春を禁止するなどの運動を始めたそうだ.若い世代もギャングに入っても寿命は短くさしていい将来がないこともわかってきて,この運動は支持されており,実際に2000年代の後半には殺人率が下がってきているそうだ.


日本では応仁の乱以降戦国時代にかけて,脱文明化があったのだろうか?いわゆる下克上というのはそれに当たるのかもしれない.また江戸幕末から明治にかけてそれが生じなかったのは大変幸いなことだったのだろう.


さてピンカーは主たる読者であるアメリカ人にとってもっとも興味深い問題:アメリカ合衆国の暴力の歴史と現状について詳しく取り上げる.なぜアメリカは先進国でありながらヨーロッパや日本より殺人率が高いのだろうか,そして歴史を通じての傾向,地域差はどう説明されるのだろうかということが次節の話題になる


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私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090719