「しあわせ仮説」

しあわせ仮説

しあわせ仮説


本書は道徳の心理学,ポジティブ心理学で有名な社会心理学者ジョナサン・ハイトによるもので,最新の様々な分野の心理学的な知見を踏まえて,人の幸せについて考察し,さらにどうすればより良い人生になるかについてもいくつかアドバイスを試みているものである.原題は「The Happiness Hypothesis: Finding Modern Truth in Ancient Wisdom」.また本書では古代の賢者の本にある内容を現代の理解で解説するという趣向もあり,それが副題の意味ということになる.


まず第1章で心が統一体ではなく分裂した部分からなっていることが説明される.これは進化心理学では自然淘汰の結果としてのモジュールから説明されるところだが,ハイトは心と体,右脳と左脳,新皮質と旧皮質,制御されたプロセスと自動化されたプロセスなどの知見を紹介しつつ,「象と象使い」のメタファーを提示している.ここでは「象」は意識とは切り離された部分で刺激に対する反応,快と不快を通じた動機の形成にかかわる心の部分を指し,「象使い」は意識と言語と合理的長期的判断にかかる部分だ.進化心理学的には心はもっと多くのモジュールから成っているという議論になるところだが,ハイトは大きな2つの部分のみ強調している.このメタファーのエレガントなところは,最も重要で基本的な分裂を扱い,実は無意識下の動きが心の大きな部分を占め,象使いは助言者,あるいは召し使い的にしか行動や情動をコントロールできないことをうまく表しているところだろう.
なおハイトはこの分裂を読者に納得させる良い例として,「馬鹿なことをしてはいけない」と意識するとそれを行う自動化プロセスを立ち上げてしまうこと,道徳的に悪だと判断できてもその理由は説明できないことがあることを挙げている.後者の例はハイト自身がmoral dumbfoundingと名付けて,様々な道徳や心の議論で良く持ち出されるものだ.


第2章では「象使い」は「象」を変えられるか.つまり意識により行動や情動パターンを変えることはできるのか,そしてより幸せになれるのかが扱われる.まず行動や情動のパターンには個人差があり,それは遺伝的にかなり決まっていることが行動遺伝学の知見として紹介される.つまり幸せをどの程度感じるかはある程度生得的に決まっていることになる.ハイトはこれを「大脳皮質くじ」と呼んでいる.ではそれを変えることができるのか?
ここでは「象と象使い」のメタファーがとても良く効いている.象は心の大きな部分を占める自動化されたプロセスなので,単に意識的に何かを理解しただけでは影響されない.象を変えるには,行動パターンを意識的に変えてそれを継続してトレーニングすることが重要なのだ.ハイトは瞑想,認知療法が有効であることを説明する.
ハイトはここでプロザックなどの薬物療法についても触れている.これは(個人差はあるが)継続的に摂取すればより幸せになれる可能性がある*1.ハイトは,このような「薬物により幸せになる」方法は「快楽のために自分の身体をもてあそぶこと」に対する道徳的な嫌悪感を引き起こすことに触れながらも.大脳皮質くじの不公平を緩和すると考えれば一概に責めるべきではないのではないかとコメントしている.


第3章は「象」の面白い性質としての「返報性」を扱う.心は意識の及ばない深いところで返報性に大きく規定されている.ハイトは映画「ゴッドファーザー」に見られる非凡な例を取り上げ,また巧妙なマーケティング手法はこれを利用していることが多いことを指摘し,上手に使えば関係性をうまく構築できると示唆している.
ハイトは返報性がなぜあるのかについて進化的,脳神経的にも説明しようとしている.進化的説明においては,社会性,互恵的利他,囚人ジレンマにおけるTFT,ダンバーのゴシップ説などが紹介されているが,あまりうまく整理はされていない.このあたりは非常に多くのトピックがあるので短い紙数では難しいところだ.


第4章は心の弱さ(偽善・自己欺瞞,邪悪)について.
ここでは,まず偽善・自己欺瞞を扱う.評判が貴重なリソースであることを説明し,それを保つために意識を持つ心が後付けの理由をでっち上げることについて「内なる弁護士」だというメタファーを使っている.ハイトは「弁護士」は真実でないことを知っていても嘘をつき,その後私達自身はそれが真実だと信じてしまうという構成を取っている.しかし「私達自身」とは一体何を指しているのだろう?ここはハイト自身が「象と象使い」の本当の意味を見失っているようにも思われる.また後には「象と象使いが共謀して嘘をついてそれを否認する」とも書いている.クツバンによる「意識を持つ心の部分は知らない方がいいことは本当に知らない」という「報道官」の構成の方が偽善・自己欺瞞を説明するには適切に思えるところだ.
なお偽善や自己欺瞞を扱う具体的なリサーチの紹介は丁寧で大変面白いものが多い.特定の結論に達するように動機づけられた心は極めて脆弱な推論に従ってしまうこと,各種の自信過剰現象(特に人には自信過剰傾向があるという社会心理学の知見を教わってもそれが自分について当てはまるとは考えない*2ことを示したリサーチは面白い)などがよくわかる.
邪悪については,基本的にバウマイスターの議論が紹介されている.人は「純粋な悪」があるという世界観を生得的にもっていて,何か良くないことがあるときには誰かのせいにしたがること,自尊心(侮辱や挑発は許さない)や道徳的理想主義(目的が善であればどんな手段も許される)が邪悪の原因になり得ることを説明している.なお本章では進化的な議論はあまりなされていない.
ハイトは最後にこのような問題に対してどうすればよいのかについても触れている.ひとつは東洋的な,執着を捨て人生のゲームから降りる方法,もうひとつは自らの誤りを認め相手の長所を認める努力を行うという認知的な方法ということになる.


第5章は幸福について
情動パターン,そして平均的な幸福のレベルは,ある程度遺伝的に決まっている.また宝くじ当選や,下半身不随の大けがのような様々な出来事に対しては一次的に幸福感が上下するが,数ヶ月たつと「適応」し幸福レベルは元に戻ることが観察されている.また住居,収入,健康なども長期的な幸福感には相関しない.であれば幸福であるためにできることは執着を捨てる東洋的な方法だけだろうか.ハイトは最近のリサーチを総合すると必ずしもそうではないと主張し,ポジティブ心理学の幸福の方程式(幸福水準=生物学的な設定点+生活条件+自発的活動)を紹介している.
生活条件としては,まず人と人の間の強い絆*3,例えばよい結婚*4は幸福感を上げる.また持続的に不快な刺激をもたらす環境(騒音,毎日の通勤苦,状況を自分でコントロールできない状況が続くなど)は幸福感を下げる.自発的活動としては感覚的な快楽をゆっくり楽しむことにより幸福感を増やすことができるし,少し挑戦的な課題に取り組み没頭している状態(これを「フロー」と呼ぶ)は充足感をもたらす.また自分を甘やかすより親切や感謝の行動を行う方が長時間にわたる満足を得られる.
ハイトはまた競争的な文脈で他人に相対的に勝とうとすること*5や選択肢をひたすら増やそうとすることは幸福感を上げない*6と指摘している.
本章の主題はどうやればより幸福になれるかということで,ここでも進化的な説明はあまりない.進化的にいうと自然淘汰は幸福を上げるようには働かない.包括適応度をあげるための行動の報酬として短期的な幸福感があるはずだ.そして一旦達成してしまった目標に安住せず次を目指す方が適応的だ.だから幸福水準は数ヶ月で「適応」してしまうのだろう.つまり心の赴くままに行動しても長期的に幸福になれる保証はない.だから淘汰の結果の心の仕組み*7を前提にしてうまく立ち回る方がより幸せになれるということになる.そのハウツーを詳しくリサーチしたものがポジティブ心理学ということになるのだろう.


第6章は第5章における幸福水準の環境要因の1つ「人と人の絆」を特に取り上げる.つまり愛について.
ここでは,フロイト精神分析と,スキナー的行動主義がいずれも正しく愛を理解できず,ハーロウの有名なアカゲザルの実験,ボウルビィの愛着理論から愛の理解が始まったという学説史を紹介している.(なお愛着タイプの個人差について,ハイトは主流の心理学が育児の善し悪しと結びつけることに疑問を呈している.一方で遺伝率も高くないことがわかっており,母子の複雑な相互作用の中で獲得されるのだろうとしている)
成人の恋愛関係にかかる心の起源について,ハイトは,オキシトシンに関連することから愛着システムと養育システムから由来したシステムなのだろうと推測している.道具使用の有利さから脳が大きくなり,出産困難から幼児期の育児の負担が増えて,男女の絆が有利になり,既往のシステムを利用したという内容だが,因果推論が直線的でややナイーブな感は否めない.
成人の恋愛心理の内容については,「真実の愛*8」の欺瞞性を指摘したあと,情熱愛と友愛を区別し,時間経過とともにどうなるかをグラフ化し,危険ポイント(最初の1ヶ月ののぼせ上がりの頂点*9と,その後の友愛がまだ低い時点でののぼせ上がりの一次的落ち込み*10)を示してくれている.
なおここでハイトはなぜ東西の思想が男女の愛に否定的なのかを考察している.東洋思想では愛は執着だからこれに否定的なのはわかりやすい.では何故西洋哲学は愛に否定的なのか?1つは情熱愛は合理性に反するからだが,ハイトはさらに偽善的な動機があるのではと書いている.年寄りは若者に社会の規則やしきたりを守って欲しいので,愛を何か気高く向社会的なものとして再定義しようとするのだが,それは若いときに散々楽しんできた両親*11が自分の娘には貞操を守るように言うのと同じではないかというのだ.ちょっと面白い.


第7章は逆境の効用について
人は逆境を乗り越えた経験によりより良くなれるのだろうか?多くのリサーチはメリットがあることを示している.それは,自分の能力に気づくこと,人間関係のフィルターになること,そして人生の優先事項をより現在・より他者へとシフトさせることによる.
では逆境により性格は変化するのか.ビッグファイブなどのパーソナリティは変化しないことがわかっている.ハイトはここで性格について,「ビッグファイブなどは最下層にあり,その上に『性格的適応』さらに『ライフヒストリー』が乗っているのだ」というマクアダムズの説を紹介している.性格という用語からは違和感がある説明だが,行動パターンが変わるのかどうかを考えればそういうことなのかもしれない.ハイトは逆境にぶち当たり,象使いの意識的決断から象をトレーニングすれば行動パターンが変わりうるのだと説明している.
このようなトラウマ後成長については楽観的な人の方がうまく対応できる.ハイトはこれは意味づけがうまくできるからだろうとし,悲観的な人でも,それについて書き出すことを継続するなどにより意味づけを行えれば良いのだとアドバイスしている.


第8章は徳について
ハイトは本章の冒頭でハックルベリー・フィンと仏陀ルーク・スカイウォーカーの旅と成長に触れ,ベンジャミン・フランクリンの生涯続けた訓練*12を紹介している.ハイトは徳についての様々な思想を紹介し,古代の賢人も徳は良く訓練された象に宿るものであることがわかっていたとまとめている.
しかし近世以降の西洋思想は,道徳を原則と合理性から説明しようとした.それはカントの定言命法ベンサム功利主義に代表され,徳を人格ではなく行為規則として理解しようとしている.そして考察はもっぱら道徳的ジレンマに集中した.ハイトはこれについて批判的だ.それは道徳を毎日の問題から,滅多に出会わない特殊な状況での行為規則に後退させてしまい,象使いだけに焦点を当てて象を無視しているというわけだ.これに対してポジティブ心理学では人格の強みを組織化するフレームワークを提案する.創始者セリグマンとピーターソンは人格の強みリストを提出している.ハイトはこれはあまり整理されていないが,それにより議論を高めようとするうまい方法だとコメントしている.
ハイトは次に「徳に報酬はあるか」という問題を扱っている.報酬の明確な定義がなくて議論としては雑な印象だが,徳を実践すれば必ず良い気分になるわけではないこと,遺伝子の利益と個体の利益は異なりうること,少なくとも高齢者については与える方が健康になれることなどが扱われている.
本章の最後では,現代アメリカで「人格としての徳」が失われて悪い状況になっているのかどうかが議論されている.片方でハンターの分析「消費社会になって,勤勉・公益のための犠牲などの生産者倫理が失われ,住民の多様性が増して伝統的価値が失われた」を紹介しながらも,片方でマイノリティや女性や同性愛者や子供の権利が尊重されるようになっていることも取り上げ,結論は保留している.道徳的多様性について,抽象的には強く支持しても,道徳観の異なる人と一緒に暮らすのはごめんだという学生のアンケート結果などはちょっと面白い.


第9章は神聖性について
ハイトは最初にアボットのフラットランドの第3次元が理解できなかった2次元生物の話を引いて,神聖性の価値軸(道徳次元)は世俗の価値軸とは直交するのだと説明している.世俗の道徳次元は,横と縦で,イングループへの忠誠,権威への服従などにある*13のだが,神聖性はいわば上下の軸で清純と汚濁に関連するという.そして排泄物への嫌悪感がその元にあり,人は自分が汚れのない状態にあることを好むのだ.そしてそれは高められ啓発された瞬間を与えてくれることがある.これは道徳的に美しい行為を見たときにも発動され,人は高揚する*14
この章でも進化的な議論はなされていない.おそらく感染症リスクへの適応として排泄物への嫌悪感が生じ,それが神聖性の軸を作るのだろう.しかし道徳的なものへの拡張が適応なのか副産物なのかについては議論の余地があるだろう.
ハイトは最後に,「神聖性はこのような高揚感をもたらし,それは人に喜びを与えるという意味で宗教の利点を示しているのだろう,そしてアメリカの保守とリベラルの対立の1つはリベラルがこの神聖性の軸を理解しないところにあるのではないか」と指摘している.


第10章は著者の求道の遍歴とそのたどりついた先のまとめになっている.
人生の意味を知ろうと格闘した若い時期の回想では,哲学が不毛に思えたのは彼等が論理と合理性にのみこだわり心理学を無視しているからだとコメントがあり面白い.たどりついたのは,「人生の意味は何か」という問題への1つの解答方法は「人生を意味深いものにするにはどうすれば良いか」という問題に置きかえることだと,著者のスタンスを語る.そして,何かを直接求めるのではなく,条件を整えていくこと,具体的には植物にとっての日光と水というのと同じように充実した愛と仕事を持ち,うまく「フロー体験」を積み重ね,さらに人間関係や価値観を深め,身体,心理,社会関係の三層でコヒーレントになる事を勧めている.
なお最後にハイトは道徳・宗教を進化的に説明しようと試みている.しかしここは残念ながらD. S. ウィルソンの受け売りとそのややナイーブな解釈(グループ淘汰と文化と遺伝子の共進化の強調)にとまっている.


本書はハイトによる幸福・道徳についての社会心理学と関連分野についての理解の総合をコンパクトにまとめているものだ.ハイトにより関連分野との関係が統一したフレームの元で整理されていて大変深くかつわかりやすい.私は個人的にはこのあたりの社会心理学をあまり詳しく勉強したことがないので大変参考になった.詳細については,なぜ特定の幸福感は長期的に継続するのか,フロー効果はなぜあるのかなど進化心理学的に面白い素材にも事欠かない.また本書では人の心理がどうなっているかを越えて,人が幸せになるにはどうすれば良いかにも踏み込んでいて一般読者にとっても啓発的な書物だろうと思われる.



関連書籍


原書

The Happiness Hypothesis: Finding Modern Truth in Ancient Wisdom

The Happiness Hypothesis: Finding Modern Truth in Ancient Wisdom

*1:ハイト自身の経験も語られていて面白い.数週間の副作用のあと,ある日本当に人生がバラ色に感じられるようになったのだそうだ.残念ながら記憶力の減退も現れ,学者としての能力の問題から服用は中止したそうだ

*2:ハイトはこれを素朴実在論と読んでいる.人々は自分が見たり感じたりしたこと(含む自分自身のこと)にはバイアスがなく絶対に正しいと信じるのだ

*3:ハイトは次の第6章の最後でデュルケームのネットワークと束縛のある人の方が自殺率が低いというリサーチを紹介している

*4:ハイトは悪い結婚は幸福感を大きく下げるので,結婚の効果を平均した場合にどうなるかはわからないと慎重に留保している

*5:ここではロバート・フランクの誇示的消費に関する議論が紹介されている

*6:ここではバリー・シュワルツの選択のパラドクスが紹介される

*7:なおここには微妙な問題がある.人間関係や,親切や感謝は重要なのでより強い報酬が必要だということはわかる.しかしなぜ長期的に幸福水準を上げるのだろうか.設計上の制約なのだろうか.また親切や感謝の方がより幸福感が長続きするにしても,人はそれをなかなか学習しようとはしない,つまり報酬としてより強くなっているようにも思えない.なかなか興味深いところだ

*8:正しい相手との本当の愛は情熱的で一生続くというもの

*9:ハイトは,情熱的にのぼせ上がっているときにはプロポーズできないようにできれば良いのにと書いている.のぼせ上がっているときにまともに考えられるはずがないし,ストレスの多い結婚式の準備の最中にのぼせ上がりの麻薬の効果が切れることになりがちだそうだ.

*10:ここで象使いが我に返り,象がどこに連れてきたのか判断できるようになる

*11:仏陀も聖アウグスティヌスも若いときには情熱愛を存分に味わっていたと指摘されている

*12:1週間に13の徳をどれだけ実行できたかを記録し続ける.レコーディングダイエット法とちょっと似ている

*13:ここでは世俗の価値観について公平性や自律性についてどう整理されるのか書かれていない

*14:しかし行動が変わるわけではない.ハイトはそれはオキシトシンを通じて絆を作るだけなのだろうと書いている