「The Better Angels of Our Nature」 第4章 人道主義革命 その1  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


暴力減少に向かうプロセスの3番目のものについてピンカーは「The Humanitarian Revolution:人道主義革命」と呼んでいる.ピンカーの叙述は一旦中世にさかのぼる.中世がいかに他人の痛みに同情しない世界だったか見てみようというのだ.


ピンカーが,それが一番よくわかる展示施設としてあげているのはイタリアにある「Museo della Tortura e di Criminologia Medievale」だ*1.ここでは当時行われた様々な拷問・残虐刑の道具が展示されている.足首でつるし股をのこでひく,両手足を拘束し尻から杭を打ち込む,致命傷にならないように配置されたスパイクのついた拘束具で締め付ける,棘のついた木製の用具を口やそのほかの穴にこじいれて内側から引き裂く,などなどだ.(このあたりについては図版も添えられている)そして同じような博物館はヨーロッパ中にあるそうだ.


なおここではTortureが問題とされている.通常の訳語は「拷問」ということになるが,日本語で「拷問」というと自白やそのほかの情報を引き出すための手段としてのものをさす.しかしもともとTortureというのは苦しみを与えること自体を指すもので,日本語では拷問と残虐な刑罰の両方がこれにあたる.


要するに中世ヨーロッパの人生にはこれらの残虐性が深く織り込まれていたのだ.このような残虐刑や拷問道具は当時のアートと技術の粋を尽くしたものだ.作成技術,デザイン,装飾,ダメージを避けて痛みを極大化する,意識を保つ,女性にはエロチックに(基本はまず裸にし,乳房と局部を攻める)また中世のキリスト教は残虐文化だった.さらに中央国家も地方国家も拷問,残虐刑を使った.法にも組み込まれていた.目つぶし,手足の切断,焼きごてを当てる,焼き殺し,八つ裂き・・・


ピンカーは刑罰としての苦痛を与えるTortureはまだしも,自白のための拷問は特別にナンセンスだといっている.なぜならほとんどの人は痛みから逃れるためなら何でも言うからだ.そしてさらにナンセンスなもの(火を放って神様が助けないから有罪,水に放り込んで浮かべば魔女,沈んで死ねば魔女でない.)も多用されたと指摘する.そしてこれらは普通の人々にとって楽しい見世物だったのだ.


これらはヨーロッパの専売特許ではないとピンカーはコメントしている.およそ文明のあるところには必ず見られたのだ.ピンカーはアッシリア,ペルシア,ローマ,インダス,ポリネシア,アステカ,アフリカの諸王国,ネイティブアメリカンイスラエルギリシア,アラブ,中国を上げている.そういう意味ではこれはヒューマンユニバーサルと言えるのだろう.


日本ではどうだったのか.博物館についてちょっと調べると明治大学の博物館に拷問用具のコレクションがあるようだ.一般的な慣行としては拷問としてはいわゆる石抱き,海老責め,釣り責め程度,残虐刑としては磔,のこ引き,火あぶり,牛引き,釜ゆでなどで,(のこ引きはちょっとしたものだが)ヨーロッパの洗練には遠く及ばない感じだ(なお中国はこの面では結構先進国のようだ).
例外的に厳しかったのは江戸初期のキリシタン弾圧で使われた簡単に殉教させず転向を迫る拷問で,火あぶり(棄教を迫るものなのでやや火を遠くにはなしてとろ火であぶり,棄教をみとめて逃げ出せるように緩く縛っていた),のこ引きに加え,雲仙地獄責め(硫黄沸き立つ熱湯である源泉をひしゃくで少しずつかける),穴吊り(簡単に死なないように処置した後,穴の中に逆さに吊し,汚物まみれにし,騒音を立て続ける),蓑踊り(蓑を着せ火をつける)などがなされたらしい.


というわけで本章のテーマはこのような残虐性がどう変わってきたのかを見るものになる.具体的には拷問・残虐刑のほか,生け贄,異端審問,魔女狩り,死刑制度,奴隷制度,征服戦争などが取り扱われる.


このような変化は17世紀の「Age of the Reason:理性の時代」と18世紀の「Enlightment:啓蒙主義」において生じたというのがピンカーの見立てだ.これらは「制度的暴力はミニマイズされるべきだ」という理想から生じ,感受性の変化からより他の人々の不幸に同情することにより進んだ.そして人々の命と幸福を価値観のコアにおく新しいイデオロギーヒューマニズム人道主義」「Human right:人権」が生まれた.ピンカーはこれらのプロセスを「人道主義革命」と呼んでいる.


イントロの最後でピンカーは現代の思想傾向の問題点も取り上げている,すなわち今日では「啓蒙主義」はやや斜に構えて扱われることが多いということだ.

  • インテリ左翼はこれを20世紀の悲劇に結びつけようとする.
  • バチカンアメリカの右翼はその世俗主義を攻撃する.
  • 中道的なインテリもこれらを「ヒトが完全に合理的だ」というナイーブな考えだとして,いわばオタクの逆襲のような扱いをする.

しかしこれらは,その当時の恐るべき悲劇についての歴史への健忘症,過去の美化の1事例だとピンカーは強調する.だから本章の冒頭で残虐性を特に強調したというわけだ.


なお一般的には「人権」はアメリカの独立宣言とフランス革命の人権宣言によって成立したといわれる.しかしもちろんその前史があるのだ.ピンカーはそこから始めている.

*1:中世犯罪拷問博物館とでも訳すべきか.なお前振りでは世界中にある奇妙なものを展示する博物館が例示されている.カリフォルニアにあるペッツの博物館,パリの下水道博物館,テキサスのロープの博物館に並んで目黒の寄生虫博物館も紹介されている