「The Better Angels of Our Nature」 第5章 長い平和 その1  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


第5章では,ピンカーは第二次世界大戦後に大国同士の戦争がなくなったことを取り上げる.確かに70年前にはドイツとフランス,ドイツとソ連,日本とアメリカが本気で戦っていたのだ.しかし現在戦争は先進国同士では行われなくなった.
ピンカーは1950年頃,歴史家のトインビーと物理学者のリチャードソンが将来をどのように展望していたかを紹介して本章を始めている.トインビーは戦争はどんどん苛烈になっていると悲観的だった.リチャードソンは統計的にパターンを調べ,悪化傾向にあるとは限らないと論じた.現在から振り返るとトインビーは悲観的すぎた.ここではリチャードソンの洞察をたどることになる.ただしピンカーは「トインビーは物語から考えて間違った.リチャードソンは統計から考えたが,それだけでは意味がない」ともコメントし,それを再解釈していきたいとしている.


<統計と物語>


20世紀はピンカーの「世界の暴力は低下傾向にある」という主張にとって問題の世紀だ.それは「戦争の世紀」と呼ばれ,前半は大戦争の連続だったのだ.啓蒙主義の希望は失われたかに見えた.しかしその後半はかつてない大国同士の戦争のない時代となった.


まず仮に第二次世界大戦が過去最大の厄災としても,歴史的に暴力が上昇しているということにはならない.どんなトレンドにあっても最大点はどこにでも生じうる.
では統計的に見るとどうなるか.ピンカーは結論をまず提示している.

  1. サイクルはない
  2. ランダムの影響が大きい
  3. 戦争の破壊力だけは上昇している(ただし最近は逆転)
  4. その他のすべての戦争の側面は(国家間戦争を含め)減少している

ピンカーは「20世紀は破滅への急降下ではない.デフォルトトレンドは啓蒙主義以来の減少.ここにイデオロギー的な反転傾向が短期間暴力を押し上げたのだ.」とまとめている.


<20世紀は本当に最悪だったか>


ピンカーは,「20世紀は最悪の世紀だった」という主張は,実は,(問題だと考えている)他の何かを非難するときに検証なく使われる枕詞なのだと皮肉っている.彼等は,無神論ダーウィン,政府,科学,資本主義,進歩という考え,男性ジェンダーなどを非難したいときにこれを持ち出すのだ.しかしこれには根拠がないし,通常他の世紀と比べてさえいない.


では比べるとどうなるのか,ピンカーは,厄災の規模をその時点での世界の全人口と比較し,歴史的近視眼(最近のことはよくわかっているので頻度が高いと考えてしまうこと)を補正すれば20世紀は最悪の世紀にはならないと主張している.
そしてマシュー・ホワイトによる「世界史上最悪の21の厄災」を,グロスの死者数と,全人口対比での死者数で比べてみたリストを提示している.まず(その時点の世界人口で補正する前の)死亡者の絶対数で並べるとこうなる.

出来事         時代         総死者(百万人)
第二次世界大戦 20 55
毛沢東 20 40
モンゴル 13 40
安史の乱 8 36
明王朝の崩壊 17 25
太平天国の乱 19 20
アメリカインディアンの抹殺      15-19 20
スターリン 20 20
中東への奴隷貿易 7-19 19
大西洋への奴隷貿易 13-19 18
ティムール 14 17
英領インドの飢饉 19 17
第一次世界大戦 20 15
ロシア革命 20 9
ローマ帝国の崩壊 3-5 8
コンゴ自由州 19-20 8
30年戦争 17 7
ロシアの困難な時期 16-17 5
ナポレオン戦争 19 4
中国内戦 20 3
フランスの宗教戦争 16-17 3

これを当時の世界人口比で調整する(ここでは第二次世界大戦時の総人口に合わせて死者数を調整するという形で示している)とこうなる

出来事         時代         補正した総死者(百万人)
安史の乱 8 429
モンゴル 13 278
中東のへ奴隷貿易 7-19 132
明王朝の崩壊 17 112
ローマ帝国の崩壊 3-5 105
ティムール 14 100
アメリカインディアンの抹殺      15-19 92
大西洋への奴隷貿易 13-19 83
第二次世界大戦 20 55
毛沢東 20 40
太平天国の乱 19 40
英領インドの飢饉 19 35
30年戦争 17 32
ロシアの困難な時期 16-17 23
スターリン 20 20
第一次世界大戦 20 15
フランスの宗教戦争 16-17 14
コンゴ自由州 19-20 12
ナポレオン戦争 19 11
ロシア革命 20 9
中国内戦 20 3


ピンカーの最初のコメントは3つ

  • 全部知っていたか?ピンカー自身そうではなかった
  • 第一次世界大戦の前にすでに絶対数でそれより大きな9つの厄災があった.
  • 人口比でみると,ベスト10には第二次世界大戦がやっと9位にはいるだけ


私自身についていえば確かに全部知ってはいなかった.出来事としては知っていてもその規模については無知であるものが半分ぐらいある.
印象的なのは中国の歴史のすさまじさということだろうか.世界人口に占める割合が大きいとはいっても,死者の絶対数で第二次世界大戦に次ぐ第2位から6位の5つの厄災のうち4つが中国のものだ(残る1つもモンゴルだからその半分ぐらいは中国関連だろう).世界人口比では最悪の災害は安史の乱ということになるというのも驚きだ.太平天国の乱についてもこれほどの惨劇だとは知らなかった.また毛沢東による死者数が40百万人という推定も初めて見た.ホワイトのこの数字は飢饉による死者を含めているということらしい.クメールルージュによる虐殺がこのリストに入ってこないというのもちょっとした驚きだ.こちらは典型的な歴史的近視眼ということだろう.


次のピンカーのコメントは,良く言われる20世紀最悪論の根拠についてのものだ

  • 大量殺戮技術の進展はあまり問題にならない.古代でも刃物と飢饉でいくらでも大量殺人が可能だった.
  • 20世紀に比べて19世紀が平和だというのは嘘だ.ナポレオン戦争は19世紀だったし,ヨーロッパ以外では多くの厄災があった.


ここまでは特異点としての最悪厄災についての考察だ.次にピンカーは全体のトレンドを問題にする.厄災を21から100に増やしてグラフを作るとどう見えるのか.ピンカーは結論を以下の2点としている.

  1. 人口の0.1%以上が死ぬような厄災は2500年の間に平均してバラついている.
  2. 現在に近づくと小さな厄災がよく記録されている.これはまさに近視眼現象だ.時間が経つにつれて記録が失われ,忘却される.また過去の大量殺人について疑問を抱きがちになったり,そもそも記録されていなかったりする.キーガンはこれに加えて「ミリタリーホライズン」を説明している,「戦争」と認識される規模以下の襲撃や待ち伏せなどは記録されない.14世紀の小領主間の争いは漏れてしまうのだ.


要するに20世紀が最悪の世紀というのは真実ではないのだ.ピンカーはここからこまかくリチャードソンの考察をたどっていく,.