Steven Pinkerによる投稿「The False Allure of Group Selection」に対する各方面からのコメント その4 


コメントはまだ続く.最後にもう二人見ておこう.このうちケラーのコメントは非常に鋭く一読に値するものだ.


ダニエル・デネット (無題) 


デネットはピンカーの「最近のグループ淘汰の熱狂の問題点」の整理について明確でフェアだと評しながら,デネットの目から見て残念な点を2点コメントしている.その細部へのこだわりがいかにも哲学者らしいコメントだ.


1. 自然淘汰はランダムではない変異の元でも生じる.
これはリチャーソンと同じ指摘だ.そして前回書いたように,まずピンカーは「ランダムでなければ淘汰が生じない」とは書いていない.そしてリチャーソンと同じように,デネットのコメントの趣旨は「実際の文化現象は自然淘汰でなければ説明できない特徴がある」というものだ.ここでは「オーゲルの第二法則*1『進化はあなたより賢い.』を忘れるべきではない.」と指摘があって面白い.デネットとしてはミーム進化は,「社会や人間にとって害悪でしかない文化現象がはびこることの面白い説明」であり得るという立場なのだろう.


さらにデネットは,「リチャーソンのコメントはこの点をついているが,その直後に文化グループ淘汰な持ち出して議論を台無しにしてしまった」と書いている.ここでは(ちょうど生物進化においてグループ淘汰を持ち出すより遺伝子視点からの見方の方が優れているのと同じように)文化進化についてもグループ淘汰を持ち出すよりミーム淘汰の点から議論した方が生産的だし,このリチャーソンのぐだぐだ振りはまさにピンカーが書いているグループ淘汰論の問題点をよく示しているというわけだ.


2. ピンカーは「自然に見られるデザインの幻想」という表現を使っている(そしてこれはドーキンスもよく使う)が,これには反対だ.
デネットは進化生物学者が,「自然淘汰の産物は本当のデザインではない」と強調しすぎることによって,一般大衆に「自然淘汰は完全なデザインを生みだすことはできない」という誤解を生じさせることを憂えているのだ.(ここではハーバードの医学生たちがバーで「細胞内の仕組みが極めて優れているので,これが進化の産物であることを疑わざるを得ない」と会話していることを挙げている)


このあたりは反進化論者との論争においての戦術の問題ということだろうか.創造論者やIDがはびこるアメリカはなかなか大変だ.


デネットは最後に,2つ提案をあげ,「インチキグループ淘汰論者がはびこらないように『グループ淘汰』という用語を使わないようにする」と「反進化論者につけ込まれないように『デザインの幻想』という用語を使わないようにする」,この2点は似ているようだが,全然違うと書いている.
デザインが自然淘汰によるものか,ヒトの心によるものかを見分けることは極めて難しいことがある(チータとグレイハウンドを例にあげている).しかし『複製』効率を含まない現象(そのかわりに成長効率とか生存率とかを問題にする現象)を『グループ淘汰』と呼ぶことはどうしようもない大間違いでしかないのだと.
要するにデネットもスロッピーなグループ淘汰支持者たちを評価できないということだ.


デイヴィッド・ケラー 「2つの言語,1つの現実」


ケラーはNowakたちの論文への137人共著の反論コメントをまとめた進化生物学者だ.数理生物学者らしく理論的で明晰だ.


コメントの要旨は以下の通り

  • グループ淘汰には確かに偽の魅惑がある.最初からそのアピールの1つは「自然は本当はそんなに冷酷じゃないんだよ.進化は他者へのよい振る舞いを作ることもできるんだ.グループ淘汰を通じてね」というものだった.
  • でもこの魅惑が怪しいからといって理論が間違っているということにはならない.現代的なグループ淘汰理論は数理的には包括適応度理論と同じように厳密だ.(私自身は包括適応度理論の方が好きだし,自分のキャリアはその上にあるが,これは指摘しておく)
  • 私の考えでは,これらは異なる予測を産む別の理論ではなく,同じ世界を記述する異なる言語に過ぎない.これらは適応度を別のやり方で切り分けているだけだ.
  • 包括適応度理論は(マルチレベル淘汰的な考えの方が先にあったにもかかわらず)主流になった.それは適応度の成分を血縁度を通じてうまく重み付けできたからだ.
  • グループ淘汰理論はそのような重み付けがうまくできないとうまくいかない.そして(支持者たちの実際の主張の中において)グループ側の適応度成分はしばしば過度に強調された.私は(彼等の)グループ的思考がしばしばスロッピーだというピンカーの批判に同意する.
  • しかしながら現代的マルチレベル淘汰理論は,そのような重み付けの手法を持っている.正しく重み付けされれば2つの「理論」は同じ予測を与える.
  • ピンカーの「マルチレベル淘汰理論は,既に1つの言語(包括適応度理論)でわかっていることを言い換えることができるに過ぎない」という主張は正しい.しかし私は「自分が英語ができるから,他の人はロシア語を使うべきではない」と主張するのは好まない.
  • もちろん問題はある.コミュニケートするには二言語を学ばなければならないのだ.
  • 混乱の元は「個体淘汰」という用語だ.これは包括適応度言語(英語)では「全体の集団内で」の意味であり,マルチレベル淘汰言語(ロシア語)では「グループ内で」の意味になる.
  • ピンカーが「グループ淘汰主義者は人間はグループの利益(ロシア語)のために個体の利益(英語)を犠牲にすると考える」と書くときに,彼は用語的に混乱している.よいグループ淘汰理論はそうは考えない.もっとも実際のグループ淘汰論者の一部が実際にこのような主張しているのは確かだ.
  • もし2つの言語が完全に等価なら私達はいつの日か収斂できるだろう.しかし私の意見では,心理的な違いが残るだろう.
  • 私はピンカーと同じく包括適応度理論のビッグファンだ.包括適応度理論はエージェントベースで現象を記述でき,おそらくそのためにマルチレベル淘汰理論より多くの成功した予測を生みだしてきた.
  • しかしマルチレベル淘汰により,より深い洞察が得られる問題もあるだろう.例えば協力の進化のための集団の粘度,主要な移行などだ.
  • 私は英語の方を好み続けるだろう.しかしロシア語話者にとってロシア語が使いやすい局面もあるだろう.
  • なお,これらのことは最近のE. O. Wisonの主張を支持する理由にはならない.
  • まずE. O. Wisonは「ある現象がロシア語で記述できるから英語は間違っている」と主張している.これは誤りだ.
  • 2番目にE. O. Wisonはロシア語を曲解しているし,彼の同僚(Nowak)からの「数理的サポート」はグループ淘汰理論(ロシア語)ではなく,ハミルトンの拡張された考え方を用いた純粋な集団遺伝学(バスク語)を用いたものだ.
  • そして彼等は,このバスク語が英語を否定していると誤解しているのだ.


ケラーのコメントは論争がぐだぐだになりやすいところが明晰に分析されていて素晴らしい.
私の感想は以下の通り

  • ケラーはピンカーが「グループ淘汰主義者の主張について混乱している」と書いている.ピンカーが「個体淘汰」についてロシア語と英語で異なる意味になるのを混同しているという指摘だ.
  • しかしピンカーは「ある現象が個体淘汰では説明できないと主張するグループ淘汰者への反論」という文脈で「個体淘汰」を問題にしている.つまり「ある現象が個体淘汰では説明できない」という時の「個体淘汰」が問題になっている.この場合はロシア語ではなく英語での『個体適応度』が問題にされるべきだ.
  • そしてそもそもそのようなグループ淘汰主義者たちは「『新しいグループ淘汰理論』が『包括適応度理論』と等価であること」自体が理解できていないのだ.だから彼等がきちんとロシア語を使えるのかどうか自体疑わしいだろう.
  • またケラーは,「E. O. Wisonの『ある現象がロシア語で記述できるから英語は間違っている』という間違いの逆の間違いをピンカーがしている;つまりピンカーは『ある現象が英語で表現できるからロシア語は間違いだ』と主張している」と指摘しているが,これはピンカーを誤読していると思われる.
  • それ以外全面的にケラーのいう通りだと思う.


なおケラーはヒトについても最後に一言付け加えている.

  • 私はヒトの心理についてのエキスパートではないが,一言付け加えておこう.
  • これは実証の問題なのだ.ヒトの心理(の諸特徴)はまず発見され,理論はそれを説明しようとする.
  • 私達はグループ淘汰の心理的アピールに慎重になるべきだが,『ヒトの心理は利己的なはずだ』という思い込みにも慎重になるべきだ.
  • ヒトは(それが匿名や一回限りという対人関係が期待されにくかったからだとしても)利他的な特徴を持っていてもおかしくないのだ.そのような特徴の発見は(仮に包括適応度やグループ淘汰で説明しにくいとしても)重要であり続けるだろう.


この部分は「まだヒトの心理的な特徴についてはよくわかっていないことも多いのではないか」というコメントなのだろう.ここはちょっと蛇足的な感じがないでもない.


このほかにもいくつものコメントが寄せられているが,省略しよう.
最後にピンカーはこれらのコメントにまとめてリプライしている.

*1:オーゲルは生化学者で進化に関する面白い格言を2つ残している,第一法則は「自発的な化学過程が遅すぎたり非効率であれば,タンパク質はその過程を速くあるいは効率的にするように進化する」というもので,第二法則がこの「進化はあなたより賢い」というものだ.これはよくある反進化論者の「そんなものが進化によって生じるとは私には信じられない」といういわゆる「想像力欠如の議論」を皮肉ったものだ.