「The Better Angels of Our Nature」 第6章 新しい平和 その4  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーは,ジェノサイドについて,ヒトの本性とホッブス的闘争とイデオロギーとリーダーの機会利用で生じると整理した.
そしてこれが歴史の中でどういう傾向をたどって来たのかを見ていく


<ジェノサイドに対する人々の態度>


まずピンカーはジェノサイドが20世紀特有のものではないと指摘する.そのような印象があるのは,歴史家がごく最近までさしたる関心を持たず,注目もされていなかったためだというのだ.


ピンカーは旧約聖書ギリシアインド神話などの紹介を交え,歴史上のジェノサイドの例をいくつもあげている.

ルメルの推計ではこれまで6億人がジェノサイドの犠牲になっているということだ.
そしてピンカーは特にショッキングなこととして,人々はごく最近までそれを悪いことだとは考えていなかったことを指摘している.人々は(完全な勝利として)それを自慢していたのだ.
ピンカーは例外もあるが抗議が始まるのは19世紀後半からだとしている.そして完全に流れが変わるのは第二次世界大戦のあとのことだ.

第二次世界大戦中のアメリカの世論調査では日本に勝ったあとどうするかという質問に対して10〜15%の人は「全滅させる」と答えていた.
本当の転換は第二次世界大戦後だ.そもそもジェノサイドという単語は英語になかった.それはポーランドの弁護士がニュルンベルグ裁判のために作った単語だ.ナチの所業が顕わになり,その膨大な死者数とホロコーストの映像は世界を震撼させた.ジェノサイドは始めて「人間性に対する犯罪」とされたのだ.
犠牲者たちは証言を始めた.それは辛く,内容的には恥ずかしいものだ.聞き手が理解してくれるという認識なしにはできないことなのだ


<ルメルによる「デモサイド」の分析>


ここからピンカーは統計的な分析を紹介する.まずはルメルによるデモサイド:「広い意味での政府」*1による「悪意に基づく一方的な大量殺戮」*2の分析だ.

これによると20世紀(1987年まで)のデモサイドの被害総数は170百万人.特徴は特定のごく一部の政府が犠牲者の大半を産んでいるということだ.

  • 死者の3/4は4つの政府による.ソ連:62百万人,共産主義中国:35百万人,ナチスドイツ:21百万人,国民党中国:10百万人
  • 次の11%は11の政府(これには日本帝国の6百万人,カンボジアの2百万人,オスマントルコの1.5百万人を含む)
  • 最後の13%は126の政府による
  • 要因としては全体主義が大きい.:全体主義政府は138百万人(そして人口の4%)を殺している.専制政府は28百万人(人口の1%),民主制政府は植民地関連と空爆で2百万人(人口の0.4%)
  • 全体主義の中で共産主義は110百万人:これは中国とソ連の人口が大きいからではない.様々な要因(民族的多様性,富の存在,先進性,人口密度,文化)を調整してもこの効果は大きい.


ピンカーはこの結果を「民主の平和の1つの現れ」と評している.ガバナンスの仕組みが暴力を抑制し,民主主義国ではリーダーは自由に国民を大量に殺そうとはしないのだ.


ルメルのデータを推移グラフに描くと20世紀中葉に大きな山が来る(ピークはナチススターリン,日本,連合軍の空爆).全体としてトレンドは無いようにも見えるが.第二次世界大戦後の40年間を見れば低下傾向があるようにも見える.

残念ながらルメルのデータは1987年までだ.ではソ連崩壊後,ボスニアルワンダはどう把握されるべきなのだろう.


<ハーフのデータ>


政治学者バーバラ・ハーフは1955年から2004年までのジェノサイドについて「国家や権力を持つ軍による意図的な特定グループの殲滅行動」と定義して分析している.この特定グループには多くの民族,政治党派が含まれる.
このデータを見ると60年代と70年代が高くその後低下トレンドが現れている.ピークはインドネシアの反共狩り70万,文化革命60万,バングラデシュ170万,スーダン50万,ウガンダ15万,カンボジア250万,ベトナム50万あたりで,その後はボスニア23万,ルワンダ70万,ダルフール37万というところ.2000年以降は最もジェノサイドが少なくなっている.


ハーフはさらに要因も分析している.
まず全てのジェノサイドに見られる要因として「統治の失敗」がある.
これ以外の要因についてロジスティック回帰分析を行い,以下の結論を得ている.


<要因ではないもの>

  1. 民族的多様性
  2. 経済発展度合い(統治の失敗には相関するが,一旦失敗したあとは要因にはならない)


<要因となるもの>

  1. 過去のジェノサイドの有無
  2. 政治的な安定性
  3. エリートが少数派であること
  4. 民主制でないこと(一旦統治に失敗したあとは部分的民主制であっても民主制がある方がリスクは少ない)
  5. 交易:直接国内で交易による利益があるわけではない.その少数派が交易相手国にいるという配慮や,そもそも交易による平和的な態度(法の支配,国際関係の尊重)が効いているのだろう
  6. イデオロギーが少ないこと:イデオロギーはより排斥につながりやすい


ピンカーは上記の分析に対して以下のコメントをしている.

要するに戦争や内戦と同じで,政治の安定,民主制,公益,人道主義と人権の尊重がジェノサイドを減らすのだ.
さらに極端な分布の偏りはロジスティック回帰で分析しにくいが,次の2つの要因が重要だと思われる.


1. 共産主義イデオロギー
共産主義ユートピアイデオロギーは人々の生活に大きな津波を引きおこした.それは中国とスターリンのジェノサイドを産み,ナチズムにも大きな影響を与えた(ヒトラーイデオロギーは階級を民族に置き換えたものと見ることができる)
さらに反共軍事独裁政権を作り,冷戦を通じて80年代までの内戦を頻発させた.
このようなユートピアイデオロギーが今後これほどまでに人気を得ることがないならば,将来はこれほどの悲惨なことは生じないと考えてもいいかもしれない.


2. 個人的な偶然
ヒトラースターリン毛沢東の歴史的偶然と個人的な決断は大きなファクターだ.それはイデオロギーが個人に浸透し民主制の不在が引き金を引いたと言えるかもしれない.が,しかし何千万人の命はたった3人の決断によって奪われたのだ.


要するにおおむね戦争や内戦と同じで,政治の安定や民主制や人道主義がジェノサイドも減らすと考えていい,だから悲観主義者は間違っているということだ.さらにジェノサイドの被害は特に偏っていて,それはイデオロギーの盛衰やそれにかかるリーダーの個性という歴史の偶然によるところが多いということなのだろう.当たり前かもしれないが,根拠なく何かを信じるというのは本当に恐ろしい結末を生じさせることがあるということがここでもよくわかるように思われる.


ピンカーの悲観主義への批判は次に本丸の「テロ」に向かう.



 

*1:私兵軍なども含む

*2:包囲戦や封鎖による餓死,無差別都市爆撃を含み,中国の大躍進は悪意ではなく愚かさのゆえだとして除いている.