「The Better Angels of Our Nature」 第6章 新しい平和 その3  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


内戦を整理したピンカーは次にジェノサイド,大量虐殺の問題を取り上げる.
ピンカーはこの部分をこう始めている.

暴力の中でもジェノサイドはひどい.そして理解も難しい.
金を求めて争ったり,悪いことをした人を過剰に罰したり,武器で襲われることに武器で反応するのは理解できる.しかしなぜ罪のない子供も含む何百万人を殺そうと思うのだろうか?
そしてその理由はその人たちが何かをしたからではなく,何者であるかということなのだ.


II ジェノサイド


ルメルの推計によると20世紀のジェノサイド被害者の累計数は169百万人だそうだ.これは戦争被害者の推計値82百万人の倍以上だ.
方法としてはナチのガス室が有名だが,実際にはナチはマシンガンの方をより使ったようだし,歴史的には単に閉じ込めて放置するという方法が主流だそうだ.この場合の悲惨な状況(人肉食など)は包囲線などでよく観察される.
また歴史的にはサディズムも同時によく観察されるそうだ.殺す前に苦しめたり辱めたりするのだ.


<ジェノサイドの心理学>


ピンカーはまずヒトにある人や物をカテゴライズする心理をあげている.ヒトは加入グループ,習慣,外見,信念などによって人を区分けするのだ.これはカテゴライズすることで,直接観察できていないことを推測できるというメリットがある.(ここではっきりと書いているわけではないが,要するに適応的な心理特性ということだろう)


ピンカーはカテゴリー化による推測はあくまで統計的な真実なのだが,それ以上のものと考えると問題が生じるのだとする.平均的真実ではなく絶対的真実と考え,それに道徳的な意味を与え,本質主義的思考が加わると非常に危険なことになるのだ.ピンカーはホッブス的な争いの場でこのような心理がどのようにジェノサイドと結びつくかの過程を推測している.

  1. 最初のジェノサイドは利便性から:誰かが何かを占有しているなら,それを排斥すれば手に入る.そしてカテゴリー化でそれらを人以下のものだとラベル付すれば共感をなくせる.例:ネイティブアメリカン
  2. 威嚇:「これをしないと皆殺しにするぞ」そしてこの威嚇を有効にするには,時にやって見せなければならない.見せしめ.例:ジンギスカン,ローマのユダヤ鎮圧,同じくラベル付けで容易に実行可能になる
  3. 恐怖,先制攻撃の誘惑.報復感情の強化:ラベル付けにより「彼らは何をするかわからない,やられる前に」と考えるようになる
  4. 対象の拡大:そしてカテゴリー化により,グループ全体が対象になる.これには「報復されるリスクをなくすには全滅させるのが一つの方法」という実際的な理由が加わる.例:ナチのFinal solution
  5. 嫌悪感とモラルの結びつき:片方で感染症を恐れるヒトの適応として嫌悪感がある.そしてこの嫌悪感はモラルに結びつく.相手グループを害獣のようにみなす.ethnic cleansing


ピンカーは,このような怒り,恐れ,嫌悪は様々なコンビネーションでジェノサイドに結びつくとも書いている.

  • 非人間化:モラル的嫌悪:害獣のように処理
  • 魔物:モラル的怒り:共産主義者や独裁者によるジェノサイドに見られる
  • 両者が合わさったもの:ナチ
  • 報復への恐れのみ:バルカン


ユートピアイデオロギー


ピンカーはこのようなカテゴライズ,本質主義の心理学とは別にジェノサイドには重要な要素があると指摘する.それはユートピアイデオロギーだ.これは宗教戦争,革命フランス,ナチ,共産主義ナショナリズムなどで見られる.


理由についてピンカーはこう整理している.

  1. 功利計算の罠:ユートピアイデオロギーを信奉してしまうと,ユートピアが示現すれば,すべての人が永遠に幸せになれる.つまり効用は無限大になる.このためどんな犠牲も正当化でき,反対するものは究極の悪になる.
  2. 世界の設計:イデオロギーは完璧な世界を目指す.それになじまないものは最初からいない方がいい.


さらに実際のユートピアイデオロギーは単純な農業世界に回帰しようとし,都市や商業を敵視するとピンカーは指摘している.ピンカーはヒトの本性は商業のノンゼロサム性を理解できず,全ての仲介業を悪と見なしてしまうからだろうとしている.この結果歴史上仲介業を営む集団がしばしば差別,そしてジェノサイドの犠牲になってきた.ピンカーは以下のリストをあげている.


<リーダーの問題>


ピンカーは心理学とイデオロギーだけではジェノサイドは起きないこともあるとし,ジェノサイドの必要条件としてナルシシストで残酷なリーダーの存在を挙げる.
このようなリーダーがある時ジェノサイドを決め,少数の取り巻き(狂信者,追従者,ごろつき)に殺戮を命じることによりジェノサイドは始まる.
通常の社会心理では周りの大多数は消極的に受容してしまう.だからジェノサイドは通常リーダーが死ぬか追放されないと止まらない.



要するにピンカーは,ジェノサイドはヒトの心の本性に「カテゴライズと本質化,モラル,感染症適応としての嫌悪感,そして功利的計算」というジェノサイドを可能にする傾向がそもそもあり,ユートピアイデオロギーナルシシストで残酷なリーダーがそれを特に危険にする(また商業に特化したマイノリティグループがターゲットになりやすい)と整理しているわけだ.説得的であるように思う.日本史において悲惨なジェノサイドがそれほど記録されていないのはユートピアイデオロギーの影響にあったことが少ないためということだろうか.


原因を整理したピンカーは次に「実際にジェノサイドは悲観主義者の言うように増えているのか」を見ていくことになる.