
The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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現代の脅威,「イスラム世界との衝突」に続く2番目は「核テロ」だ
V 核テロ
テロリストが核を持てば大量の死傷者が生じる可能性がある.ではそれはどのぐらい起こりそうなのか?
ピンカーはまず以下のテロに関してこれまでに知られている確率分布からモデルを立てる.
- 被害はテロの準備期間の指数関数になる.
- テロ集団は指数関数的に消滅していく
このことから導き出せるのは,テロの被害規模と生起確率は冪乗分布になるということだ.これは大規模なテロ被害が極めてまれであることを意味する.
次に核テロの恐怖は,いわゆるリンダ効果の例であるという議論をしている.つまりアンケートをとると一般の人々の確率見積もりは「イランがテロリストに核を供与して核テロが起こる確率>核戦争か核テロが生じる確率」になっているのだ.
ここでは多くの評論家や学者がこの高い確率見積もりに関与して大げさに騒いでいる様子も皮肉たっぷりに描写されている.どこの世界にもこのような大げさに騒ぐ「識者」がいると言うことだ.
さて数理モデルは前提に依存しているし,大げさに騒いだからウソだというわけでもないだろう.ピンカーはここから具体的にリスクを評価する.
まず大量破壊兵器の区分ごとの評価
- ダーティボム:実質的に放射線量をあげることは難しい.
- 化学兵器:閉鎖空間以外では効果はわずか,閉鎖空間では普通の爆弾の方が効果が大きい
- 生物兵器:開発に資金とリスクがかかる.これまでの30年間のテロで生物兵器や化学兵器が使われたのは3回だけで,うち二つ(サラダにサルモネラ,塩素ガス)は死者ゼロ.ガスが使われたのは東京の事件だが死者12人にすぎない.
- 核爆弾:これだけが実際に問題になる
では核爆弾について専門家はどう言っているのか
- 核爆弾をテロリストが入手するのは難しい.:確かにロシアで一時管理が甘かったことはあるのかもしれない.しかし今やロシアはチェチェンのテロを恐れて管理を厳重にしている.パキスタンも同じ.
- ブラックマーケットに核が出たことはない.
- 地域政治のエキスパートによると,パキスタンが極端なイスラム原理主義者に乗っ取られるリスクはほとんどない.
- 兵器自体には複雑なロックがかかっている.管理が悪いと単なる放射能金属のかたまりになってしまう.
- 2010の各セキュリティサミットでは,核兵器よりも,その材料であるプルトニウムや精製ウランの管理に集中すべきだとされた.
- 確かにこれらの物質にはテロリストに渡るリスクがある.しかしその後ガレージで核兵器に仕上げるには非常な困難をいくつもくぐり抜けないと無理だ.まず材料は現在厳重に管理されているので紛失するとすぐに国際捜査が始まる.困難としては特に技術者と場所,設備が難しい.
ピンカーのここでの結論は「核テロは可能性はあるとしても,それは大きなものではない」と考えられるというものだ.この部分はセキュリティの専門家の受け売りという範囲をでないが,一部の人々があまり根拠もなく騒いでいるという実態はあるのだろう.
日本では核テロの恐怖はあまり喧伝されていないようだ*1.現在ではテロリストが核爆弾を爆発させるという恐怖よりも,原発施設を標的にした自殺攻撃の方がはるかに恐ろしく感じられるだろう.おそらくそのような攻撃による直接の死者は一般の自殺テロと大して変わらないが,社会に与える影響は(心理的なものも含め)はるかに大きいだろう.残念ながらピンカーはこの恐怖については語ってくれていない.
日本におけるもうひとつの核がらみの恐怖は北朝鮮の核使用だ.これは西洋諸国においてのイランの核保有の問題と同じだろう.ピンカーの次の議論はイランの核保有の問題だ.
VI イラン
イランはウランを集め,査察を拒否しているし,一方でアフマディネジャド大統領は,黙示録的な言説を弄し,西側を非難し,テロを支持し,イスラエルは地図から消えるべきだというコメントを行っている.
イランが(テロリストによる代理攻撃を含め)イスラエルに核攻撃をする可能性は高いのだろうか.ピンカーは以下のように整理している.
- 冷静に分析すると,まず国際関係では,イランは公式には核開発を否定しているし,もし本当に使えば国際的非難は免れ得ないし,現在友好国であるロシアや中国も支持を続けるかどうかはわからない.また大統領のコメントもよく読むと,黙示録的な言説はシンボル的だし,イスラエルについての言い方も長期的な希望を語る文脈でなされているものだ.
- イランの動機はもっと単純に解釈できる.それは2002年にブッシュ大統領が悪の枢軸としてイラクとイランと北朝鮮を名指しし,実際にイラクに侵攻したことへの対策というものだ.北朝鮮もイランもそのような侵攻への抑止力を持とうとしているのだ.
- ではイランが核保有したとして何が生じるだろうか.何も生じないだろう.北朝鮮は核を持ったが使わないし,テロリストにも渡していない.もしイランが核を使えば,イスラエルからの報復,国連軍あるいは同盟軍による軍事侵攻のリスクがあるし,イスラム世界の中では聖地を汚したという汚名をかぶるだろう.要するに核は持っているだけで使わない方が価値が高いのだ.
現実の世界では核は保有していても使わないのが一番得だということだ.これはイランや北朝鮮だけでなくそのほかの核保有国も同じだろう.
VII 気候変動
ピンカーはテロのあと唐突にここで温暖化の問題を取り上げている.これは地球温暖化が進むと土地の荒廃,資源の希少性が生じ,それをめぐって紛争が増えるだろうという議論がアメリカでは増えているという背景があるらしい.
ピンカーはここで,(温暖化は様々な悲惨さを産むので防止自体に価値があるといいつつ)温暖化がリソースの取り合いによる紛争増加を産むという議論を批判している.
政治学者の議論は以下の通り
- サブサハラアフリカで戦争が多発しているわけではない
- 飢饉や洪水が戦争につながる証拠はない
- 大恐慌もアメリカに内戦をもたらさなかった
- アフリカではここ15年で気温が上昇しているが戦争はむしろ減っている.
ピンカーは以下のようにまとめている.
- 要するに戦争は組織化した軍隊が互いに争うもので,リソースの取り合い状況などよりも悪い政府,閉鎖的な経済,イデオロギーの影響の方がよほど大きいということだ.またリソースの取り合いとテロはあまり関係が無い.なぜならテロリストは職のない中流下層の若者であり,土地を求める農民ではないからだ,そしてジェノサイドともつながらない,スーダンは自分がけしかけたことを隠して旱魃のせいにしているだけだ.
- 実際に回帰分析をしても飢饉,水不足,極端ではない土地の荒廃は紛争と相関しない*2.相関するのは貧しさ,人口密度,政治の不安定,石油だ.よく考えてみれば,途上国においては隣の国から強奪しなくても安価な技術や実務で簡単に生産をあげることができるのだ.
このあたりは常に警鐘を鳴らされる「危機」について,印象に基づいて感情的になるより冷静によく吟味して反応した方がよいというよくある話のテロ・紛争版というところだろう.核テロについては原発施設への攻撃,核拡散についてはなお合理的でないプレーヤーに核が渡るリスク,あるいはイランや北朝鮮の政権が非合理的になるリスクを考えればそれほど楽観的にもなれないところだが,それでも今すぐイランや北朝鮮が核を使うことは考えにくいというのはある程度説得的だ.
最後にピンカーは本章全体の「新しい平和」の議論を以下のように結んでいる.
- 新しい平和が恒久的かどうかは誰にもわからない.テロも戦争もこれからもあるだろう
- イスラム軍事主義や核テロや温暖化による紛争激化はあるかもしれないしないかもしれない.またそれ以外にも中国の台湾侵攻とか,ロシアの膨張とか全く新しいテロなど可能性はたくさんある.
- しかしこの可能性を過大に見積もるのは馬鹿げている.実際に可能性は印象ほど高くないのだ.そしていいことも起きる.戦争もテロもジェノサイドも減っているのだ.これらの状況が循環視また悪化すると信じる根拠はない
- テロや紛争が減っている要因は「民主制,経済的繁栄,きちんとした政府,平和維持軍,交易,イデオロギーの低調」などだと考えられる.確かにこれらは永遠に続くと保証はされてはいない.しかし一晩で消えてしまうようにも思えないだろう.
- 暴力的な破局の可能性は天文学的に低くあり得ないほどではない.しかし十分起こりにくそうなのだ.