- 作者: カール・ジンマー,長谷川眞理子,入江尚子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/05/30
- メディア: 単行本
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本書は,おそらく現在最も精力的でかつ進化生物学に関して理解の深いサイエンスライター,カール・ジンマーによる進化学に関する総合的な解説書である*1.原題は「The Tangled Bank: An Introduction to Evolution」*2,2009年の出版である.
実はジンマーは2001年に進化にかかる総合的な啓蒙書「Evolution: The Triumph of an Idea 」(邦題「進化大全」)を書いており*3,さらに本職の進化生物学者エムレンと共著で「Evolution: Making Sense of Life」という本格的な学部学生向けの進化学の教科書を本書原書の2年後の今年2012年に出版している*4.
内容的にはより一般読者向けなものからどんどん本格的なものに移行しており,ジンマーの進化学への傾倒ぶりが窺える.
前著の「進化大全」は進化学の全貌を紹介しながらも,ダーウィンにまつわる逸話にかなり多くをさき,グールドの偶然を強調する進化観にも目を配り*5,一般受けする話題を取り上げつつ,サイエンスライターによる一般啓蒙書としてまとめている.本書は(その後10年のジンマーの理解の進展ということだろうが)より主流の進化学に依拠した内容になり,さらに特徴としては前著以降に進展した関連リサーチをこまめに紹介しているところをあげることができるだろう.
構成としてはまず第1章でクジラの進化を例にとって,進化とは何か,進化はどうすすむか,その証拠にはどういうものがあるかを見せる.クジラの見事な適応,すばらしい移行化石群,カバに近縁だという分子的な知見は格好のイントロダクションだということなのだろう.
第2章ではダーウィン以前以後の進化の捉え方の変遷をダーウィン中心に語り,第3章では地球の古さと地質学,生物進化の歴史と化石を扱い,第4章では系統樹を説明する.前著と同じ順序だが,前著ではここまでで本全体のほぼ半分に当たる分量であったところを,本書では1/4程度にとどめている.第4章では最節約的な系統樹作成の考え方とクジラと並んで見事な移行化石系列をみせてくれる初期両生類,恐竜から鳥類への移行が紹介されている.
第5章以降は前著になかったり,説明の仕方を変えている部分であり,特に力が入っている部分だ.
第5章は分子を扱う.DNAとタンパク質,メンデル遺伝の基礎の後,遺伝子型から表現型に至る複雑な経路,行動遺伝学の初歩も解説し,遺伝決定論の誤解にはまりこまないように工夫がなされている.
第6章では進化の進む方法として,突然変異,浮動,淘汰が扱われる.まず突然変異とはどういうものかを扱い,一旦ハーディ=ワインベルグ則を解説した後,変異が広まる方法として浮動と淘汰を扱う.ここでレンスキによる大腸菌による進化実験が丁寧に紹介されている.その後進化速度が淘汰圧の強さとそのような淘汰がかかる形質の遺伝率により決まることを解説し,グラント夫妻のダーウィンフィンチのリサーチ,ヒトにおける乳糖耐性の進化,ハーパーとプフェニヒによるアメリカ南部のヘビのベイツ型擬態の生物地理のリサーチと続く.
このような叙述の流れは大変誠実だ.本来かなり高度な集団遺伝学の内容やプライス則の本質についてできるだけわかりやすく,かつ理解に必要な段階をとばさずに伝えようとしていることがよくわかる.
第7章はDNAの配列の分析から何がわかるかに絞った章だ.まず配列を異なる生物間で比較することにより最節約的な系統樹を描くことができることが解説される(その例としては,両生類の起源,ダーウィンフィンチの分岐,HIVの起源などが取り上げられている).次に分子進化の中立説の紹介の後,分子時計から分岐年代を推測できること,同義置換と非同義置換を比べることで淘汰があったかどうかを調べられることなどが解説されている.
第8章は(そういう用語は使っていないが)エヴォデヴォについて.フライによるヘビ毒の進化のリサーチ*6を紹介し,既往の遺伝子の使い回し,重複遺伝子が機能変化において重要であることを説明する.そしてクチバシや羽毛の形態を決める遺伝子,さらにHox遺伝子による発生の制御などを解説している.
この章で大変面白かったのは,多くの動物門で眼の発達にかかるHox遺伝子の制御は相同であるのに対し,眼は独立に何度も進化しているとされていることの関係についての解説だ.それは結局身体のある位置で光受容細胞を発現させるという点においては眼は多くの動物門で相同であるのだが,そのそれぞれの動物ごとの眼の構造,位置,数は独立に適応進化したことになる.つまり相同性は相対的な概念になるのだ.
第9章は種分化について.繁殖の隔離が重要であること,様々な繁殖隔離の仕組みがあり得ることなどが解説され,イエバエの隔離実験,パナマ地峡の成立によるエビの隔離,ネアンデルタール人とサピエンスの交雑の可能性などの多くの最近のリサーチが紹介されている.環状種の説明についてセグロカモメではなくキタヤナギムシクイを使っていたり,隠蔽種についてキリンを例にして取り上げていたりするのも,いかにも最近のリサーチ重視の本書の特徴がよくでているところだ.
第10章は進化のパターンについて.タニザトウムシのゴンドワナ起源の話から始まり,断続平衡説のその後(ミクロベースでは発作的な進化も漸進的な進化も両方観察される.もっと大きなレベル(種分化時点)でのグールドとエルドリッチのオリジナルな主張に合致する化石証拠は相変わらず乏しいが,古生物学者の研究視点は大きく変えた.),種の寿命の議論,多様性の謎(なぜ熱帯はより生物多様性が高いのか,なぜ昆虫は多様なのか*7),ヤマビーバーやシクリッドの適応放散,カンブリア爆発(分子的には短い時期の爆発ではなくかなり以前から少しづつ分岐していたと考えられる),大量絶滅(最近のペルム期大量絶滅に関する知見:ペルム期の絶滅は2つの波からなり,最初の小さな波の後800万年経ってから大きな波があった.2番目の絶滅は30万年以内という短いものであったらしい)などの議論が次々に取り上げられている.
このあたりは理論的にすっきり整理されている分野ではないので,著述は自由になされており,読んでいて楽しい.
第11章は共進化.オーストラリアのハンマーオーキッドとハチの送粉を巡る共進化*8を前ぶりにして様々な共生関係,ホストとパラサイトの鏡像的な系統樹,補食と防御を巡るアームレースと生物地理,様々な光合成共生系,ゲノム内寄生(私たちの免疫機構の一部が元々寄生遺伝子であった可能性がある)などが取り上げられている.
第12章は性の起源,性淘汰,性的コンフリクトから生活史の進化,包括適応度までを扱う.冒頭ではカモのペニスが性的コンフリクトの産物(カモは鳥類の中ではまれなペニスの持ち主だが,それは異常に長く渦巻き型で,メスは,複雑に分岐した卵管を持ち,オスとは逆向きの螺旋になっている)であることが紹介され,性には複雑な問題があることが示唆されている.
次に性の2倍のコストの問題が取り上げられて,マラーのラチェットと対病原体の赤の女王仮説が並列に提示されて説明されている.しかし「無性生殖生物種が長期的進化的により絶滅しやすい問題」と,「なぜ有性生殖生物に無性の変異が侵入固定できないのか」と言う問題は別の問題であり,ラチェットは前者への解答であり(後者の問題に対してはナイーブグループ淘汰的誤謬になる),後者に対しては赤の女王と修正説が併存していると解説すべきだっただろう.
性淘汰に関しては配偶子の異型性から生じると解説しているが異型性自体の進化的説明には踏み込んでいない.性淘汰形質の最近のリサーチとしてはルイスによるホタルの発光パターンのリサーチ,プライクによるアカエリコクホウジャクのリサーチ,フォルスマンとハグマンによるヤドクガエルの鳴き声のリサーチが紹介されている.
ここからかなり強引に様々な行動生態学的な話題を解説していく.
配偶システムの進化に関しては一般的な解説はなく,ポリヤンドリーがメスに利益があるという記述があるだけだ.精子競争と性的コンフリクトはごく簡単に記述されている.
生活史の進化については,グッピーが補食圧に適応して繁殖時期の時期を進化させること,ハゼのオスの卵食い行動が酸素レベルへの適応としての柔軟な戦略と解釈できること,セイシェルヨシキリの性比の調節戦略(トリヴァース=ウィラード仮説の実証)などが紹介されている.ここではドゴン族の女性の子の数についてのリサーチも引用されているが,進化適応として単純に解釈できるのかどうかやや疑問だ.
最後に,ヨシキリの性比調節の前提となっているヘルパーの説明として包括適応度の簡単な解説が入り,交尾後の性的コンフリクト(ユーラシアツリスガラのメスの卵隠し行動はなかなか面白い)ゲノミックコンフリクトの簡単な解説まで行っている.
本章は本書の中で唯一不満の残る章で,紙数の関係から深い解説ができないのはやむを得ないとしても,問題がきちんと整理されていない上に解説のレベルがやや浅く,後半は詰め込みすぎかつトピックがよくわからない順序で述べられている.このあたりは私が特に興味を持っている部分なのでそう感じるのかもしれないが,残念である.
第13章は進化医学を扱う.妊娠高血圧症候群は親子コンフリクトからみると理解可能な症状だという話が前振りに使われ,医学についても進化的視点が有益であることがまず語られる.
続いてウィルスや病原菌の進化についていろいろ解説がある.ヒトに感染するウィルスの起源と系統,病原性の進化における病原体からみたトレードオフ,HIVにおいてはヒトの個体内で進化が生じること,ヒト側の対抗進化(農業以降蔓延するようになったと考えられるマラリアへの耐性,様々な感染症に対抗進化していなかった新大陸原住民がユーラシア病原体に壊滅的な被害を被ったこと),病原体の薬物耐性進化など数多くのトピックを次々に紹介する.
続いて有害な遺伝子変異が小集団で浮動により固定したと考えられる遺伝病,ガンに対する進化的な解析(抗ガン剤への耐性進化など),老化の進化的理解(ここではウィリアムズの多面的発現説とカークウッドの修復と繁殖のトレードオフ説の両方が紹介されている),性的コンフリクトに起因する症状,現代生活とのミスマッチなどの話題も解説されている.最後には哺乳類の尿酸の処理方式から生じる症状を紹介し,これが進化の歴史の中で尿酸酸化酵素が失われた結果であることを解説しながら(なぜ失われたのかについてはわかっていない.おそらく何らかのトレードオフの結果なのだろう)その失われた遺伝子を解析することにより新しい治療の道が開けるかもしれないとしてこの章を終えている.
日本においてはネッシーとウィリアムズの本の邦訳以降,進化医学の本は何冊かでているが,すべて遺伝子周りの話題中心のスコープの狭い本ばかりだった.本書のこの部分の解説はフルスコープのもので水準も高い.本書の邦訳された意義の一つだろう.
第14章は神経系と行動の進化.この最後の章はちょっと変わった主題の取り方でジンマー独特の捉え方だ.ネアンデルタール人の古代DNAとFOXP2遺伝子の話から始まり,行動も進化する表現型の一つであること*9,結局それは至近的メカニズムとしては脳の進化であること,情動も適応形質と理解できること,霊長類において脳が特に大きく進化したのは社会性と関連があること,ヒトにおいてはさらに言語,道具の広範囲な使用が可能になっていることなどを説いている.
本書は全体としては進化学の膨大な内容を最新のリサーチをふんだんに紹介しながら手際よくまとめることにおおむね成功しているといえるだろう.これは一人のサイエンスライターの仕事としては見事なものだ.また豊富な図版もあって理解しやすく読んでいて楽しい作りになっている.
日本語版はさらに各章の章末に関連したコラムがそれぞれの専門研究者から寄稿されている.このコラム群は大変水準の高いものが多く充実している.私のお気に入りは「分離後宿主殺し遺伝子」に関する小林一三のコラム,「日本列島のネズミの放散」にかかる鈴木仁のコラム,「ゾウムシとツバキにかかるアームレースの進化動態」にかかる佐々木顕のコラムだ.
参考文献リストは本書には収められていないが,何とか取り回せる本に仕上げ,価格も税前5600円と抑えるためにはやむを得なかったのだろう.邦訳情報まで追加された参考文献リストは岩波書店のWebにおいて公開されており(http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0054670/img/bunken.pdf),実用的にはこれでいいとも考えられるだろう.いずれにせよ邦訳され日本語版の出版がなされたことは大変に喜ばしいと思う.
関連書籍
原書
The Tangled Bank: An Introduction to Evolution
- 作者: Carl Zimmer
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同原書
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*1:なお学術顧問として専門研究者も4名ばかり名を連ねている.おかしな間違いがないかどうかチェックは入っているというわけだ
*2:この題はもちろんダーウィンのOriginの有名な一節に由来する.
*3:原書は2006年に改訂第2版がでている.残念ながら邦訳はされていない.
*4:この本は書籍としてはすでに出版されているが,片方でiPad向けのアプリとしても構想されており,こちらはまだ最初の章しか出されていないが,なかかな楽しい仕上がりで今後の進展が楽しみである.
*5:前著執筆の時点ではグールドは存命で,ジンマーはグールドに序言を書いてもらっている
*6:ヘビ毒タンパクは細菌感染と戦うためのβディフェンシンの遺伝子が変化したもので,途中に重複が生じ片方がクロタミン遺伝子に進化し,転写因子が変化することで毒腺で発現するようになった
*7:メイヒューによる昆虫が絶滅しにくいからという仮説が紹介されている
*8:ハチについてスズメバチと訳しているが,単独性のハチであり誤訳と思われる
*9:行動の進化の説明において土壌細菌が胞子分散のためのマウンドを作るのを例に取っているのがジンマーらしい.条件を変えて培養すると裏切り頻度が増えるそうだ