「The Darwin Economy 」

The Darwin Economy: Liberty, Competition, and the Common Good

The Darwin Economy: Liberty, Competition, and the Common Good


これは経済学者のRobert Frankによる本である.フランクは経済学者でありながら進化生物学に造詣が深く,感情の適応的意義についてコミットメントから説明する議論を行ったことで知られる.
本書は誇示的消費と累進消費税の政策提言というべき本であり,フランクのここ10年以上の議論がベースになっている.書名の「Darwin Economy 」は,進化的な議論(ここでは誇示的消費に関しての性淘汰的な議論)も踏まえて経済学の新しいフレームを考察したいという趣旨の現れだろうが,実はそれほど進化的な議論がなされているわけではない.
本書の特徴は目下のアメリカの政治状況が色濃く反映されているところだ.特に「政府は悪であり,税は盗みだ」と強硬に主張し,共和党を振り回すリバタリアンの様々な主張には丁寧にかつ徹底的に反論している.


フランクは,まず行動経済学進化心理学的な知見が,経済学のモデルに対して突きつける問題を二つに分けている.
伝統的な経済学モデルの前提は,まず行為者が合理的なことだ.ここはすでに多くの行動経済学者が指摘している.そしてフランクはこの問題に関してはセイラーとサンステインが提唱しているナッジ的な解決でいいだろうとしている.
もう一つは(市場が効率的であるというためには)個人の効用が絶対評価できるもので,その合計が社会の効用とみなせるものだという前提だ.そしてフランクは「これは満たされていないが,経済学は無視している」*1と議論する.
成功が相対的であると集団行動問題 collective action problem が生じるのだ.具体的には誇示的消費にかかる「地位財」(フランクは大きな家,車.服,子供の学校などをあげている)はまさに性淘汰的適応度の問題で,これは周りとの比較による相対評価で価値が決まり,(本人たちにとって無駄な)アームレースとなる.そして地位財と非地位財がトレードされるとすると社会全体の効用は最大化されなくなる.


フランクが挙げる具体例は「工場の安全性は市場に任せておけばいいか」という問題だ.極端な自由主義者はそれでいいと主張する.労働者は安全で賃金が安い工場と危険で賃金が高い工場を選択できる方がいいのだと.*2
フランクは,賃金の限界部分は地位財消費に使われれ,安全は非地位財であるので,労働者は近所より相対的によい暮らしをしようと高賃金を選択するが,全員が同じ選択をすると結局地位財の効用を得られないと指摘する.(そして規制がある社会と無い社会を自由に選べるなら労働者は皆規制がある社会を選ぶだろう,つまり社会全体で効用の最大化が得られていないということになる)


フランクは要するにこれは伝統的には「外部性」を生じさせているものであり,規制などの介入が正当化される状況だという.平たくいうと相対パフォーマンスが問題になるとアームレースが生じ.それを政府が介入して抑制した方が全体の効用があがるという主張だ.マクロ的にはアームレース的な消費を下げて貯蓄率をあげた方が長期的な成長に資するという問題となる.
フランクはこの「市場の失敗」によるアームレースの弊害をいろいろとあげていて,詳細(スポーツのステロイド禍などに加え不必要に広い家,高額な子供の誕生会パーティの様子が描かれている.)はアメリカ社会のある側面をとらえていてなかなかおもしろい.
そして介入の方法としては非侵襲的にインセンティブに働きかける累進的消費税がよいとする.ここでいう累進的消費税とは直接税で,所得だけでなく,前期末の貯蓄額と今期末の貯蓄額も申告して消費額を求め,それに累進的な税率をかけるというものだ.これは高額所得者の消費の限界部分は大半が地位財であるという観察に基づいた政策だ.


フランクの累進消費税の主張のもう一つの根拠は,仮に現在財政バランスの是正の必要があるとしても(長期的にはその必要があるとしても,リーマンショック後の不況時に急いでバランスをはかるべきではない)保守派のやる「まず歳出カット」という方法は良くないというものだ.結局何をカットするかは政治力によって決まり,社会全体の効用を下げがちだ.フランクは現在ばかげたリソース配分になっているものを是正する方向のインセンティブを与えながら増収を図れるという点で累進消費税が優れているという議論をしている.


累進消費税の最大の問題は実務だ.フランクは高額所得者からゆっくり導入してもいいし,今のリーマンショックへの対応として少し先の導入を予告して駆け込み消費をさせてもいいだろうとしている.
私からみると累進消費税導入の最大の実務的な問題は,これまで所得とその結果の貯蓄を隠して脱税してきた人が,その隠し貯蓄を明るみに出すことで二重に脱税できることだと思うのだが,残念ながらその点に関するコメントはない.


本書の後半はリバタリアンへの反論になるが,その前にフランクは左派のぐずぐずの主張もたたいている.
左派は安易に競争不足などによる市場の失敗を認め,規制すべきだという議論をするが,それは突き詰めるとテーブルの上に現金が放置されているのにだれも手を出さないという主張になってしまう(つまり彼らは経済がわかっていない)のだ.フランクはこのような態度により,真の問題が見えなくなると手厳しい.
また「金持ち優遇は非倫理的」というおきまりの言い方には,規制するよりトレードを認めた方が,貧しい人にも対価が入っていいことがあるのだと反論している.*3


リバタリアンに対しては,それぞれの彼らの主張に対して丁寧に反論している.


<直接的加害行為でないものに介入するのは自由の剥奪で許されない>
リバタリアンは個人の選択を重要視するので,誇示的な消費を規制することに対して拒否するだろう.これに対しては彼らが尊敬するコースの定理の説明から始めている.

  • コースは功利的な議論を行い,市場の失敗とされる場合でも両当事者の交渉が可能なら合理的解決が可能で規制は不要だと議論した.しかしフランクによると本当のポイントはその次で,コースの議論は,交渉コストが高すぎる場合には介入が正当化されるというものだという.そして彼の功利的議論の結論は,加害が間接的であっても(問題解決コストが小さいなら)加害者は自由を享受すべきでないということになる.
  • だからコースを信奉するなら,「直接加害ではない間接加害を規制するのは自由への侵害で許されない」とは主張できなくなる.つまり地位財消費の間接加害について累進消費税というコストをかけることは十分に正当化できることになる.
  • 実際には直接加害か間接加害は明確に区別できるわけではない.
  • 具体例として自転車のヘルメット着用規制を考えよう.お馬鹿な少年たちは,規制がなければ見栄を張ってヘルメットをかぶらない.そして事故にあったときの両親の悲しみを考えてみよう.十分規制は正当化できる.


所得再配分は不公正だ>
ここのフランクの反論はいかにも経済学者風で面白い.

  • もし社会の中でどのようなグループに属するかを自由に選べるなら,平均生産性が小さなグループにあえて入って(絶対的な所得は低くなっても)相対的地位を享受しようという人が出てくるだろう.これはいわば地位財のトレードだ.そして実質的には再配分と同じだ.だから再配分が不公正だとはいえない.


<累進税率は不公正だ>

  • 民主制において多数決で物事を決めるとするなら,そしてインフラについて全員平等に負担すべきだというなら,高額所得者が望む高いインフラ水準への投資は不可能になる.そして累進的に負担することによりそうでない場合より全体の効用を増やすようなインフラ投資が可能になる.つまり累進税率は高額所得者の効用も増やしうるのだ.
  • 成功は実力だけではなく,運の要素が大きいことを認めよう.才能も努力できる能力もある意味運なのだから.そして近時の勝者総取のマーケットでは特のその傾向が高くなる.そしてそうすれば,幸運により得た高所得について累進課税することは不公正ではないと考えられるようになるだろう.


<累進消費税で人々の行動を変えようとするのは社会エンジニアリングで許されない>
そもそもすべての税,すべての規制は社会エンジニアリングだ,そして選択の自由を残し,最も非侵襲的な税による誘導が許されないと考えるのは馬鹿げている.*4


<高額所得者への課税は金の卵を生むガチョウを殺すのと同じだ>
限界税率が上がれば金持ちが働かなくなるというのは実証的な根拠がない.限界税率が少し上がったからといって儲かるトレードをやめるだろうか.
スモールビジネスの雇用が下がるというのは間違ったモデルだ.限界的な雇用はその限界利益により決まるのだ.オーナーの余裕により決まるのではない.
むしろ(勝者総取りの経済の中で)一部の職に高額所得者が集中するためにキャリア選択にゆがみが生じて全体の成長率を下げている可能性もある.


以上がフランクによるリバタリアンへの反論だ.フランクは最後にリバタリアンの主張をもう一度すべて論破して本書を終えている.


本書における累進消費税の主張そのものはフランクのこれまでの著作でも主張されていたことだ.書名にダーウィンを持ち出してはいるが,実際に進化的な議論があるわけではなく,「誇示的な消費は相対的な価値が重要になる問題で市場に任せても社会全体の善につながらない」ということが,「個体の競争が集団の善につながるとは限らない」という進化的な議論の緩いアナロジーとなっているにすぎない.(問題は進化的な視点ではなく,経済学的モデルに相対パフォーマンスの問題が組み入れられていないことだと思われる)だからこれは新しい政治的状況に合わせて書き下された本ということになる.
そして読んでいて伝わるのは,リバタリアンがいかに反知性的でムチャクチャで現在のアメリカで政治過程をゆがめているかということだ.創造論者たちの頑張りをみてもわかるが,アメリカの草の根の保守の反知性的根性というのは侮れない.


というわけで,本書は,進化やダーウィンのことは忘れて,アメリカの政治的現状を憂いながら,所々の鋭い経済的な議論を楽しむべき本ということになるだろう.日本の政治状況とはずいぶん異なるが,頭の整理としてはいろいろと面白い議論にあふれていると思う.



関連書籍


ロバート・H・フランクの本


日常の疑問を経済学で考える

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一般人向け,学生向けの楽しい経済学の紹介書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080310


The Economic Naturalist: In Search of Explanations for Everyday Enigmas

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同原書



オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

進化心理学関連でいうと,まずはこの本.感情の適応的機能について,コミットメントの観点から鮮やかに解説した本だ.進化心理学の本でも感情の適応的機能について触れるときには必ずと言っていいほど引用される.入手困難だが,アマゾンのマーケットプレイスには何冊かあるようだ.


Passions Within Reason

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その原書



Luxury Fever: Money and Happiness in an Era of Excess

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進化心理学的知見をふまえて,派手な消費性向がヒトの心理からくる公共財問題であることを論じ,直接税としての累進型消費税を提唱している.本書の主張にかかる最初の本でもある.



What Price the Moral High Ground?: Ethical Dilemmas in Competitive Environments

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これもなかなか面白い本だった.ヒトにおいて有効な感情コミットメントは心理的な満足だけでなく,繁殖的なそして物質的な利益が生じうるものであり,経済行為を行う企業においても妥当する.つまり経済モデルにおいては狭い合理的選好モデルだけではなく,進化心理をふまえて適応的合理性を取り入れるべきであるという主張が中心.賃金がモラルによっても決まることを実証的に示したりしていて大変面白かった.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060325


このほかに邦訳されている本としては,次の本があるようだ.未読

ウィナー・テイク・オール―「ひとり勝ち」社会の到来

ウィナー・テイク・オール―「ひとり勝ち」社会の到来


原書

The Winner-Take-All Society: Why the Few at the Top Get So Much More Than the Rest of Us

The Winner-Take-All Society: Why the Few at the Top Get So Much More Than the Rest of Us




その他.いずれも未読.
人のミクロの動機が経済に与えるマクロの影響にかかる本が多い.


Principles of Microeconomics + DiscoverEcon code card

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Principles of Economics + DiscoverEcon code card

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Falling Behind: How Rising Inequality Harms the Middle Class (The Aaron Wildavsky Forum For Public Policy)

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Choosing the Right Pond: Human Behavior and the Quest for Status

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Microeconomics and Behavior (Cram101 Textbook Outlines)

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*1:なぜこの問題をほとんどの経済学者は取り上げないのか.フランクは周りに聞いてみて「階級対立をあおるのをおそれている」という意見を紹介しているが,しかしなぜ問題を指摘することが対立をあおることになるのか全く理解できないとコメントしている

*2:なおリベラルは「これは倫理的に許されない」と議論するが,フランクは誰でも安全をその他の効用とトレードしているのであり(だから自動車に乗る),左派のこの議論もおかしいとする

*3:ここではアメリカの航空券のオーバーブックについてのルールが紹介されていて面白い.アメリカでは,オーバーブックの際にオークションを行うことが条件でオーバーブックが生じる可能性のある売り方が公式に認められている.この場合オーバーブックが生じると,「その対価で次の便にしてもいいよ」という人がオーバーブック数を上回るまでオークションをすることになる.左派は最初これは金持ち優遇だと反対した.しかしよく考えてみると自分で十分と思うだけの対価を得て次の便にするのは何ら不利な扱いを受けることではない.

*4:ここでは様々な税による誘導アプローチが順番に解説されていて面白い.産業廃棄物の排出税,自動車重量税アメリカでは贅沢税という認識なのだろうか),たばこ税,酒税あたりまでは外部への間接加害でエンジニアリングの正当性を説明できる.難しいのは(肥満社会への対応として清涼飲料水にかける)砂糖税で,フランクはこれは間接加害とはいえないと認めている.(よく言われる医療費の増加は,どのみち人は病気になるのでそれほど大きいものではなく,年金財政の好転でお釣りがくる)しかしそれでも何か増収を図るならよりよい効果のあるものにかけるということで正当化できるのではないかと書いている.