The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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長い長い暴力の減少をめぐる議論.ピンカーは最後にリフレクションという名のあとがきを置いている.
もう一度「暴力の減少傾向は,人の歴史の中で最も重要で,最も過小評価されているものだ.そのインプリケーションは信念と価値のコアに関わるものだ.」と指摘したあとで,最後に2点コメントしている.
<「現代」について>
最初のコメントは「今日の社会思想における『現代』への嫌悪」に関するものだ.
- その嫌悪は小さな共同体へのノスタルジア,サステナブルなエコ,共同体の団結,ファミリーヴァリュー,宗教の信仰,原始共産制,自然との調和などいろいろな背景があるのだろう.彼らは時計を元に戻したがる.
- そして「技術は人を不幸にした.疎外,略奪,社会病理,意味の喪失,惑星を破壊する消費者文化(McMansion*1,SUV,リアリティテレビ)を生み出したのだ」と主張する.
- エデンからの没落を嘆くことには長い歴史がある.それはハーマンにより一冊の本になっている「The Idea of Decline in Western History」
- 70年代以降,これらのノスタルジア派に対して,歴史家,統計家は反証をあげてきた.これにも様々な本がある.最新のものはマット・リドレーの「繁栄」だ.
- これらの「現代」擁護論は過去の人生がいかに物理的に悲惨だったかに重点がおかれている.ノミ・シラミ,寄生虫,糞の上で寝る,飯は単調で時に欠ける,医療はノコギリとペンチ,日の出から日の入りまで働き,冬は飢えて退屈
- しかし毎日の物理的快適さだけでなく,過去はもっと高貴なもの「知識.美.絆」も悲惨だったのだ.生まれたところから数キロ以上移動することはなかった.宇宙の広大さも,遺伝子も,ミクロの世界も知らない,物質と生命の基礎も知らない,録音された音楽,本,世界のニュース,コピーされた美術品,映画やドラマもない,子供が移動していくと二度と会えない可能性がある,もちろん孫にも.平均寿命も短い,幼児死亡率も高い,それを失う親の悲しみは深い.
- にもかかわらずノスタルジア派が持ち出すのはモラルだ.現代は暴力にまみれている,過去には,強盗,学校での乱射事件,テロの襲撃はなかった.そしてホロコースト,世界大戦,ナパーム,強制収容所,核戦争もなかったというのだ.
- そしてここにこそ本書の議論の意味がある.感傷的でない歴史,統計リテラシーが重要になるのだ.ノスタルジア派の主張は巨大な幻想なのだ.部族社会の原住民は世界大戦より大きな戦争死亡率を持っていた.中世ヨーロッパは拷問技術に優れ,30倍の殺人リスクを持ち,不貞を働いた妻は鼻を切り落とされ,コートを盗んだ7歳児は縛り首になる
- 今日のモラルである「奴隷制,戦争,拷問は悪」というのは,甘ったるい感傷主義としかあつかわれなかった.人類共通の人権という概念は理解されなかった.ジェノサイドや戦争犯罪が記録にないのは,誰もそれが問題だと考えなかったからだ.
- 2度の世界大戦からほぼ70年が経ち,それは次にくる悲劇の予兆でも,新たなスタンダードでもなかったこと,それは単にローカルのピークにすぎなかったことが明らかになった.悲劇をもたらしたイデオロギーは「現代」には染み込まず歴史のくず箱に捨てられた.
- 「現代」へ向けた力;それは理性・科学・人道主義・人権だ.
- もちろんそれは絶対に一方向に進むものでも,私たちにユートピアを約束するものでもない.しかし「現代」のもたらした最も大きな利益,健康,経験,知識,に加えて,暴力減少を大きな達成物として考えていいだろう.
この部分のピンカーの記述は熱い.統計を吟味せず,過去をきちんと論証しないいい加減な社会思想家たちへの怒りが見えるようだ.本書をここまで通読してきた読者にはこのピンカーの憤りがよくわかるだろう.
<モラルリアリズム>
2番目のコメントはモラルの本質について
- 一旦暴力減少傾向に気づくと,それが広く生じていることには本当に驚かされる.
- ジェームズ・ペインはそれを高い力,マジカルと表現し,ロバート・ライトは神の存在の証拠と考える誘惑に負けた.
- 私はそんな誘惑に簡単に屈したりはしない.でもその広さは一つのパズルであることには賛成だ.
- この方向,矢はどこからどのようにしてきたのだろうか?それはモラルリアリズムに私を導く.科学的真実があるように,モラルにも真実があるのかもしれない.
- そして平和主義者のジレンマはミステリーの解決をクリアーに見せてくれる.人はジレンマの中に生まれる.これは一つの現実なのだ.
繰り返しゲームではTFT的な解決がありうるが,自信過剰傾向はそれを妨げる.しかし人は左上に行きたい本性も持っている(同情,自制)これを言葉でコミュニケートし,合理的に理由づける.それが洗練され,蓄積される.そしてペイオフを変えて行くのだ.それは視点の転換可能性からペイオフの融合によってももたらされる(黄金律もこの一つ)
- ここには超自然の説明は不要だ.(宇宙の目的などというものを持ち出すのは,自分は特別というインフレした自意識の成せる技だ)知性は現実に対し,この過程を進めてきたのだ.暴力からの逃避は,宇宙の目的ではない,それは人の目的(Human purpose)なのだ.
- 宗教家は「人は利己的でしかあり得ないから道徳は神からもたらされなければならない」と主張する.そして本書はこの主張がいかに間違っているかを明らかにしている.人が栄え,悲劇を避ける戦略を発見するのは,誰にとっても目的でありうるのだ.それは与えられた教義に服したり,宇宙精神に融合したりするより「高貴」だ.それはゴールを,カリスマや権威でなく理性的に正当化できる.そしてデータはそれが達成可能であることを教えてくれるのだ.
このピンカーの議論も熱い.日本人読者にとっては「宗教由来ではない普遍的な道徳がある」というのはごく自然な1つの考え方だが,おそらくアメリカではこの主張は極端な文化相対主義をとるリベラルからも,道徳は宗教に由来すると考える保守派からも猛烈に反発されるものだ.実際にロバート・ライトのように最後に神を持ち出してぐちゃぐちゃになる例も多い.さすがに明確な主張として本文には持ち込めなかったのだろうが,しかしこれはピンカーの偽らざる実感なのだろう.もっとも道徳に関しては,私達の持つ直感的なモラル判断とこの理性がもたらすモラルリアリズムの相克には踏み込めなかったようで,そこはちょっと残念だ.
ピンカーは最後に過去の残虐さについて書き始めてみて初めて数字の持つ重みを感じたと書いている.その数字の背後にはそれぞれつまらない争いで命を奪われる若者,果てしない拷問に苦しみ命耐えることだけを願う人,部族襲撃に遭って夫と子供を殺され,自分がこれからいかにひどい目に遭うかを知り恐怖に打ち震える女性がいるのだ.そしてなお世界には問題が多く残っているとは言え,文明と理性と啓蒙主義はその悲劇の減少に大きく貢献したのであり,私達はそれを祝福すべきだと.
この膨大な論考を読んできて私もそう思う.他にも要因はあるのかもしれないし,それ自体にいくつか問題もあるのかもしれないが,文明と理性と啓蒙主義は,地球人類のモラルを進め,多くの場面で合理的なゲーム解を産みだして膨大な数の人生の不幸を未然に防いできたのだと.「現代への嫌悪」は間違っているのだ.
<完>
関連書籍
ピンカーが引いている「現代への嫌悪」思想の歴史を扱った書物.未読.
The Idea of Decline in Western History
- 作者: Arthur Herman
- 出版社/メーカー: Free Press
- 発売日: 1997/01/08
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マットリドレーによる現代の悲観主義に対しての批判にかかる本.原書に対する私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100925,邦訳書へのコメントはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20101020
The Rational Optimist: How Prosperity Evolves
- 作者: Matt Ridley
- 出版社/メーカー: Harper
- 発売日: 2010/05/18
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同邦訳
- 作者: マット・リドレー,Matt Ridley,柴田 裕之,大田 直子,鍛原 多惠子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/10/22
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- 作者: マット・リドレー,Matt Ridley,柴田 裕之,大田 直子,鍛原 多惠子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/10/22
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ロバート・ライトによる,途中まで面白いのに最後に「神の存在」を肯定的に議論してぐちゃぐちゃになった本.
「The Evolution of God」についての私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090920
- 作者: Robert Wright
- 出版社/メーカー: Little, Brown and Company
- 発売日: 2009/06/08
- メディア: ハードカバー
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Nonzero: The Logic of Human Destiny
- 作者: Robert Wright
- 出版社/メーカー: Pantheon
- 発売日: 2000/02/01
- メディア: ハードカバー
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*1:似たような規格で大量建築される郊外のばかでかい住宅を指すらしい