「ダニ・マニア」

ダニ・マニア―チーズをつくるダニから巨大ダニまで

ダニ・マニア―チーズをつくるダニから巨大ダニまで


本書はダニ学者*1島野智之による熱く熱くダニを語った一冊.何しろ書名から「ダニ・マニア」なのだからその思い入れがよくわかる.


冒頭はいきなりフランスのチーズの表面にいてその熟成を助けるダニの話で読者をぐっとつかむ.ゆっくりカビで熟成させるタイプのチーズについてはダニがその菌糸をコントロールして熟成を助けるのだそうだ.著者はダニの分泌物も味の深みに一役買っているのではないかと書いている.
そこからダニの多様性(昆虫には及ばないにしても様々な生態に適応放散している)を紹介し,ヒトとの関わりを説明する.人に悪さをするダニはダニ全体のごく一部にすぎない.人への害は,吸血,病気の媒介,アレルゲンとなることなどが主なものだ.なおニキビダニは7割の人の顔に常駐しているそうだ.悪さはしないそうだが,その実態は知らない人にとっては衝撃的かもしれない.
続いてダニ類が含まれるクモ形綱全体を俯瞰する.クモ形綱はウミグモ綱,カブトガニ綱と近縁でダニ,クモ,サソリのほかザトウムシ,ヒヨケムシ,カニムシ,クツコムシ,コヨリムシ,ウデムシ,サソリモドキ,ヤイトムシなどが含まれるそうだ.私もそれらの動物はほとんど知らなかったが,それぞれに愛を込めた紹介が載せられていて,写真を眺めながら読むと楽しい.


そこからはダニダニダニの話になる.まず分類と系統が語られ,気管のタイプが大分類の鍵であることが説明される.ダニは大きく7グループに分かれるそうだ.このうち日本にいるのは5グループ,後半の主役ササラダニを除いた4グループの魅力がまず紹介される.
目がなく,口器を動物の体に差し込んで吸血するマダニ類は吸血後体積が100倍になることもある.トゲダニ類の中には林の土壌で線虫などを補食し第1脚がとても長くなって一種の触角になっているものもいるし,昆虫に便乗して体液や体表有機物を食べるものもいる.イトダニは糸を吐き,トゲダニはハチドリの嘴に乗って花から花に移動したり,アリの頬にくっついて食物を横取りしたりする.ケダニは赤い身体で花粉を探す.コナダニは種子につく.さらに獰猛な捕食者になったダニ,水中生活者になったダニ,同じ葉の上で何世代も過ごし社会性を進化させたダニまで紹介されていて読んでいて飽きないところだ.最後に進化史をちょっと紹介した後に本命のササラダニの話になる.


ササラダニは林床の土壌にいる分解者で動作は緩慢,落ち葉やカビが主食だ.形態も多様でヘッケルの図版にも登場する.名前は胴感毛が割った竹を束ねた「ササラ」に似ていることに由来する.
およそ土壌であればいろいろなところで採集できる.著者は銀座やトラファルガー広場でも見つけられると語り,観察方法も詳しく紹介している.
解剖学的には口器にある鋏角が特徴で,消化管は脳を貫いて後部につながり盲腸を含む形態を進化させている.目はあったりなかったりだが,あるものはおそらく補食回避に明るさの感覚を利用しているのだろう.脚についても感覚毛があり視覚なしに運動できるようになっている.
生殖方法は面白い.生息密度が低く動きが緩慢なので,オスは精包に目印を付けて放置し,メスがそれに出会うと回収するというのがデフォルトのようだ.なかなか渋いシグナル構造物を発達させている.これに性淘汰やコンフリクトがどのような影響を与えているのかは興味深いところだ.一部の種は単為生殖を行う.*2
補食回避についても詳しい.基本的に捕食者はクチクラの弱い関節部分から狙うためにそこを強化する形態が進化している.腰みののようなもの,振り袖のようなもの,うちわのようなもの,そして完全装甲形といろいろだ.行動的には穴に潜る,ジャンプするというものがある,化学的な防衛や警報システムについては著者の研究エリアでもあってかなり詳しく解説されている.南米のヤドクガエルの毒はアリ由来だと考えられてきたがどうやらダニ由来らしいそうだ.


以上これでもかこれでもかとササラダニの話が続く.これはダニ愛がなければ書ききれない本だろう.そして読んでいるとその愛がしっかり感じられる.私はダニについてあまり詳しく知らなかったこともあって,詳細な記述が大変楽しかった.





 

*1:著者自身が,自分は「ダニ学者」であると明言している.女子大学に赴任し,学生から引かれるのをおそれて微生物生態学者と名乗ることもあったそうだが,本書の出版を機会にカミングアウトを決意したそうだ

*2:なおこの有性生殖と単為生殖についての解説は長期の有利性と短期の有利性の区別が理解されていないようであまりいいものではない.本書の唯一残念なところだ.