- 作者: 山内淳
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: 単行本
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本書は数理生態学者山内淳による進化生態学の入門書.副題は「数式で見る生物進化」とつけられており,適応にかかる進化理論を数式で表現しながら解説していくことが骨格になっている.
本題の数式による適応進化理論にはいる前に,まず第1章では「進化に関する基礎知識」が解説されている.普通の解説ではダーウィンから始めるところだが,本書ではまず遺伝情報の実体から始めている.歴史的物語から始めるより進化の筋道を基礎から積みあげて説明したいという趣旨だろう.いかにも理論家らしく,その順序には含蓄がある.
具体的には,染色体,DNA,アミノ酸との対応コドン表,タンパク質合成機構,減数分裂,メンデル,連鎖と組換え,主働遺伝子と量的遺伝子*1,突然変異と進む.ここで種の定義*2の問題を議論し,突然変異の固定の理論こそが進化理論の要諦であることを指摘し,その後に初めて自然淘汰と浮動*3を説明している.最後に個体群動態理論と進化理論の関係にふれているのもいかにも数理生態学者らしいところだ.
第2章からが進化理論の解説になる.
まず基礎編.適応度,トレードオフの解説と進むが,そこで突然グールドとエルドリッジの断続平衡説が取り上げられている.進化理論は基本的に漸進的な進化を前提にしているということなのだが,おそらくこの化石年代についての議論がミクロの進化動態の議論とごちゃごちゃになって誤解する人々が後を絶たないということなのだろう.
そこから適応地形を上っていくイメージ,数理モデルの役割が論じられ,その後,進化の最終状態の解析と,進化過程の解析の違いなどが説明されている.
最終状態の解析は形質値x,適応度をf(x)としてf(x)の最大値を取るxを求めることになり,以下のような形式となる.
また進化過程の解析はそのうち量的遺伝モデルが取り上げられていて,形質値x,適応度f(x),遺伝分散をG,形質値の分布は正規分布として,形質値の平均の動きは以下の形になる.
これは進化速度は遺伝分散と淘汰勾配(適応度勾配を平均適応度で相対化したもの)の積によって決まることを意味している.ここまでくると,進化速度に関するプライス方程式との関連が気になるところだが,(第5章で形式が異なるということのみ説明されるだけで)残念ながらその真の関係は解説されていない.
第3章からは各論になる.まず最適化.
行動生態学では最適採餌理論になるところだが,本書では最適資源投資が取り扱われていて,卵数と卵サイズのトレードオフにおける最適投資問題,空間的変動環境および時間的変動環境における最適投資問題が取り上げられている.
後者についてはきちんと微分方程式を解いた解は,空間変動に対しては適応度の期待値が最大の単一形質値の子を産むという解,時間変動に対しては,(一定の条件下で)ある単一の比率でそれぞれの環境に対する最適形質値を持った子を産むという解になる.後者は一般には「両賭け戦略」と呼ばれる.これは「ある比率で複数の表現型を持つ子が生まれるようにする」という「単一形質」であり,いわゆる遺伝的多型ではない.著者はこれは「環境が多様であったり,変動があったりすると多型が進化する」という説明は一般的には妥当しないことを意味すると指摘している.
確かに遺伝的多型を説明する際に単純に「不確実性のある環境に対して自分の子の遺伝的多様性を高める戦略が有利になる」という説明をよく見かけるが,一般的には期待値最大の戦略に集中した方がいいはずであり怪しい説明だと,私もいつも思っていたところだ.この説明はよくあるスロッピーな議論に鋭く警鐘を鳴らしていて小気味よい.
本書ではさらに動的最適化,表現可塑性もここで扱っている.
動的最適化についてはポントリャーギンの最大原理,ハミルトニアンによる解法を説明している.動的最大化の理論は各変数が相互に影響を与えるので複雑で,普通は解説も長くなってなかなかやっかいだが,ここでは各変数を直感的にどう捉えればいいかも解説しながらうまくコンパクトにまとめている.
表現の可塑性については,(もし可塑性にコストがないなら)どこまでも敏感に可塑性を持つ方が有利になりそうだが,実際にはそうなっていないことが未解決の謎だと指摘し,より異なる環境に反応するほどコストがかかる場合にどうなるかが分析されている.
第4章は進化ゲーム理論とESS
まずタカハトゲームを例に取りながら進化ゲームを解説する,ここでESSとナッシュ均衡の違いを数式的に示しているのが本書らしいところだ.
一旦ナイーブグループ淘汰の誤謬を扱ってから混合戦略に進む.「混合ESSがあり,集団全体でみながそれを採用しているときには各戦略の利得は一致する」というビショップ–カニングスの定理を紹介した後で,それがESSの必要条件でしかない理由をESSとナッシュ均衡の違いとともに解説している.これによりこのESS独自の「F(X,X)=F(Y,X)の時はF(X,Y)>F(Y,Y)」という条件は負の頻度依存と関連することがわかる.
次に連続形質のESSを微分方程式を使って解説する.
まず進化の到達点の候補は,xを野生型,x’を変異型,x*を到達点候補,f(x’|x)を侵入適応度関数として次の式で表される.ここは進化の特異点と呼ばれる.
これが安定しているかどうか(進化安定性)は次の式により示される.これが成立するとこの進化の特異点は連続形質のESSとなる.
ここまでは最適化理論とよく似ていてわかりやすいところだが,本書ではさらに収束安定性の議論に進みアダプティブダイナミクスの解説を行っている.
これまでのアダプティブダイナミクスの解説では収束安定条件について以下のように説明されることが多い.まず集団の形質値と特異点の差をとおいて( x=x*+ )以下の式が成り立てば収束安定とできるとする
さらにそのためには
との積が負であればよいとし,それをに関してテイラー展開して以下の式を収束安定条件式とする.
しかしこの最終式は直感的には理解しにくい形になっている.これに対して本書では以下のような形式で説明している.
これを先ほどの進化安定性の条件式と比べると,進化安定性と収束安定性の違いが直感的に把握可能になっている.上記のよくある説明に比べて美しくすばらしい.本書はここまで説明した上で練習問題のように性比の問題を扱い,フィッシャー性比,LMCを導出して見せている.ここで単に進化安定性条件だけでなく,同時に収束安定性条件も示しているのが本書の工夫といえるだろう.
この後もう一度アダプティブダイナミクスに戻り,PIP図を説明した後,「収束安定,進化不安定の進化の特異点は同所的種分化を説明できるか」という問題を議論している.著者はディークマンとドエベリの議論を紹介し,「上記条件が同所的種分化につながるためには生殖隔離が必要だが,彼らのシミュレーションによると『アソータティブメイティングの形質が進化可能だとすると,この特異点では分岐と生殖隔離が成立する』」として好意的だが,なかなか微妙なところだろう*4.
第5章は血縁淘汰と包括適応度
血縁度,包括適応度,ハミルトン則を簡単に説明した後で昆虫の真社会性の起源を取り上げる.確かに科学史物語としてはここから始まるのだが,積み上げて理論を示すスタンスからはどうだっただろうか.
結局,真社会性が膜翅目昆虫で独立に何度も進化した理由として3/4仮説はなお有力だと思うが,それを議論するには,ワーカーが利他行為をしているのはメスだけではなく,オス,メスの両方の繁殖虫と考えるべきこと,メスの繁殖虫とは(単独交尾として)血縁度が3/4だが,オスの繁殖虫とは1/4であること,ワーカーが性比をコントロールしていること(性比がずれると利他行為の条件にも効いてくること),多数回交尾があること,ポリシングがあること(さらに性比コントロール,多数回交尾,ポリシングが真社会性進化のどの段階で生じたのか),そして血縁度rだけでなくb, cも重要であることなどを総合的に扱わなければならない.そして本書でもこのすべてをきちんと議論できてはいないようだ.もっと単純な例から始めて最後に歴史的な問題だがじつはなお複雑な問題として紹介するという方がよかったのではないだろうか.
続いて血縁度の正確な定義(単なる遺伝子共有確率ではなく,集団平均との相対的な値であること),プライス方程式の導出,プライス方程式を用いた血縁度の再定義,ハミルトンの1975年論文による淘汰の階層性の定式化,血縁淘汰とマルチレベルのグループ淘汰の等価性*5,血縁度の拡張*6と進む.このあたりは数理生態学の精華ともいうべきところで美しく簡潔にまとめられている.
最終2章は具体的なトピックを扱うものだが,ここでは数式はあまり登場せず,理論のエッセンスを直感的に説明することに重きが置かれる.
第6章はメスの選り好みにかかる性淘汰
ここは80年代から90年代にかけて盛り上がったトピックだ.この問題についても著者は最初学説的に始め,ダーウィンの考察,フィッシャーがランナウェイとインディケーターという二つのメカニズムがあり得ることを指摘したことをまず説明している.
ランナウェイ・メカニズムについては主働遺伝子モデル,量的遺伝子モデルそれぞれで,それは短期的には装飾と選り好み両方の形質が進化するが,もし選り好みにコストがかかると最終的には両形質ともゼロになることを説明している.なおここでポミヤンコフスキーによる「オスの装飾にかかる突然変異の方向に偏りがあれば両形質がプラスの点が平衡になりうる」というモデルを説明しているが,なぜそうなるのかについて解説がなく,理解が難しい.
インディケーター・メカニズムについては主働遺伝子モデル,量的遺伝子モデルそれぞれでどのようになるのかの結論のみ示し,以下のようにまとめられている.
- 主働遺伝子モデルでは,まずインディケーターのタイプごとに結論が異なり,「エピスタシス型は進化できない,条件依存型,暴露型は前提条件によっては進化するが,暴露型の条件の方が緩い.」ということになる.
- 量的遺伝子モデルでは「メスの選好性と生存力の遺伝相関」が「オスの装飾とメスの選好性の遺伝相関とオスの装飾と生存力の遺伝相関の積」より大きいときにのみ進化できる.(なおこの意味については直感的に理解できるように補足がある.この補足説明はなかなかわかりやすい)
この本書の説明の仕方はそれぞれの論文と学説史に沿ったものだが,控えめにいっても理解しにくいだろう.
乱暴にくくると,インディケーター型は一定の前提条件が満たされたときに進化でき,それはオスの装飾が生存力によってある程度決まっている時にそうなるということだろう.そして本当に興味深いのはどういう時にそうなるかなのではないだろうか.本書ではそこは取り扱われていない.私の理解では,それは装飾が生存力の正直なシグナルになる条件が満たされたときであり,グラフェンの数理モデルによるハンディキャップ理論こそが理解の要であるように思う.粕谷の「行動生態学入門」出版からあとの最大の理論的な進展が本書でスルーされているのは残念というほかない.またさらにないものねだりをすれば,最近の「ランナウェイとハンディキャップを統一的に理解するフレーム」についても解説してほしかったところだ.
第7章は有性生殖の進化.
有性生殖の有利さについては,系統単位でみた有利性という長期的な問題と,有性生殖集団になぜ無性個体が(2倍の利益があるにもかかわらず)侵入できないのかという短期的な問題の二つがある.これは別々の問題だ.しかし最近ごちゃまぜに解説されていた本が立て続けに出ていたのでややがっかりしていたのだが,本書ではきちんと分けて解説されている.
より興味深い問題である短期の問題について,まず環境変動では説明できないことを説明した後に,ハミルトンによる対パラサイトの赤の女王説,コンドラショフの有害突然変異効果のエピスタシス説(この直感的な説明もわかりやすくてすばらしい),ミショーによる減数分裂による染色体修復説がそれぞれ解説され,結論については進化の初期段階ではどれかが働いたかもしれないが,「有性生殖が安定的に維持されている現時点では」見極め困難だと留保している.
しかし短期の問題はまさに現時点でなぜ無性個体が侵入できないかということだからこの説明はよくわからないところだ.私の印象では基本的にこれらの仮説はそれぞれ排他的ではないのだから,現時点では環境に応じてそれぞれが効いている(だから希にセイヨウタンポポのように無性生殖集団が現れる)と考えておけばいいのではないかと思う.
以上が本書のあらましになる.本書は数理生物学の中で特に行動生態学に関連する進化ゲーム,包括適応度理論をきちんと包括的に解説しているという点で粕谷の「行動生態学入門」以来の日本語の本となる.
本書の最大の特徴は数式による解説書でありながら直感的な説明をより取り入れようとする姿勢が強いところだろう.それは入門書としての理解しやすさに大きく貢献している.また片方でいかにも数理学者らしくトピックの扱いが簡潔で美しい.それは収束安定性や動的最適化の説明の冴えや,プライス方程式と血縁度あたりの取り扱いのエレガントさにおいて感じることができる.一部わかりにくいところがあったり,ハンディキャップ理論が扱われていない不満などはあるが,進化生態分野の好著と評価できるだろう.
なおコラムで著者の敬愛する進化学者が何人か登場し*7 *8,数式に疲れたときの息抜きになっているのもちょっとおしゃれだ.
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行動生態学周りの数理解説の和書としては代表的な本.入門と名打っている割にはかなり高度な内容だが,全体を1人の著者が解説しているので統一感がある.本書はまさにこの本の後継といえるだろう.
*1:やや唐突だが,これは次章以降の理論的な取り扱いにかかる重要なところなのでここで解説しているものだ
*2:種をめぐる議論を紹介した後,「種」は「我々が自然界を取り扱いやすくするために様々な要素を組み合わせて構成した便宜上の枠組み」だと結論している.
*3:本書は基本的に適応を扱うものだが,ここで中立説のエッセンスと分子系統樹にもふれている.
*4:なおこの議論の一部で著者は「公共財ゲームにおいてだれもお金を出さない状況では,少しでも投資に回せた方がよいから自主的にお金を出す戦略が生じるかもしれない」と書いているが意味不明だ.公共財ゲームでは常にフリーライドする方が有利になる.おかしいと思って引用されているドエベリたちの論文にあたってみると,これは連続形質スノードリフトゲームを扱っているようだ.戦略は協力量xで表され,ペイオフはB(x+y)-C(x)となる.基本的には小さなxについて,B(x)-C(x)>0が前提となっており,平たくいうと相手が非協力の時に自分も非協力をとるより少し協力した方がましになる状況を想定している.(それでも非協力をブラフに使って相手の協力を引き出した方が有利になりうるのでゲームダイナミクスとしては面白くなる)だからいわゆる公共財ゲームとはペイオフ構造が異なるだろう.
*5:これについては巻末付録で丁寧に解説がある
*6:同じく巻末付録に大槻久の解説が収められている.きわめてエレガントに拡張された血縁度の解釈を説明していて見事だ
*7:そのチョイスは集団遺伝学の3賢人(フィッシャー,ホールデン,ライト),メイナード=スミス,ハミルトン,プライスとなっていて数理生態学からみた風景がわかるものになっている.
*8:メイナード=スミスのコラムでは,デネットの「ダーウィンの危険な思想」に対するメイナード=スミスの書評(Genes, Memes, & Minds: /The New York Review of Books/ Nov. 30 1995)が紹介されている.私もググって読んでみたがなるほど素晴らしい.なおここで1950年代には生物学の論文に機能的な説明があることが嫌悪されていたという回想が書かれていて,自分の鳥の飛行能力に関する論文についてのある権威ある学術誌のエディターからのコメントにも触れている.ここでそのコメント「Why don’t you cancel the d’s?」について本書では「博士号を何故辞退しなかった?」と訳しているが,これはそうではなくて,その手前のdw/dj=0という数式について「何故その(微分記号の)dを(約分して)消さないのか?」と尋ねている,つまり当時は微分記号も知らないようなエディターが権威ある学術誌にいたのだという述懐だと思われる.