「天敵なんてこわくない」

天敵なんてこわくない―虫たちの生き残り戦略

天敵なんてこわくない―虫たちの生き残り戦略


本書は昆虫生態学者の西田隆義による自らの研究物語だ.2008年の出版.八坂書房という小さめの出版会社から出されていたためか当時見逃していたのだが,昨年出版された共立出版の「行動生態学」の捕食回避の章で紹介されていたので読んでみた.


著者の最初の問題意識は個体群生態学的なもので,ある生物種の個体数変動を天敵が抑えるという現象はなぜ生じるのかというところから始まる.
数理的にはロトカ=ヴォルテラ方程式のような形で天敵は被食者の爆発的増加を抑えることができるし,有名なカナダのタイガにおけるオオヤマネコとカワリウサギのサイクル的な増減の報告もあるのだが,実はこのリサーチはその後の追跡では怪しいということになっているらしい.
そして膨大なリサーチの結果,捕食者と被食者がサイクル的に増減する現象は温帯では観察されず,観察される北極圏でもそれは天候の変動に植物資源が豊凶を起こし,草食動物が反応し,さらに捕食者が反応しているだけと解釈されるようになった.そして多くの天敵の野外調査によると一般的に捕食者は被食者の数が増えても自分が満腹になったらそれ以上は食べないのだ.*1
しかし片方で外来害虫に対して天敵を導入すると双方低密度で安定するという観察も多い.この矛盾に対して著者は,天敵は直接捕食により被食者の数を調整するのではなく,被食者の捕食回避コストを通じて被食者の数を抑えるのではないかと考えつく.これはドーキンスとクレブスによる「命ごちそう原理」による「捕食者と被食者のアームレースは被食者が常に一歩リードする形で推移するだろう」という予想とも整合的だ.そして著者の研究遍歴が始まるのだ.


著者はここで一旦読者向けに利己的遺伝子のフレームで自然淘汰を解説する.そして陥りやすい「進化の誤解」に対して,ハミルトン,トリヴァースの洞察により利他的な行動も利己的遺伝子の頻度上昇として説明できること,集団全体としてみると非合理的な結果が進化しうることをこのフレームこそがうまく説明できることなどを解説している.*2


第3章からが研究物語の本編になる.
最初はインドネシアのボゴール植物園にすむ2種のカメムシの物語だ.ともに希少種で,周りから隔離された集団を作っている.片方はダイフウシの果実を食べる植物食種,もう片方はそのカメムシのみを捕食するスペシャリストだ.様々な生態やリサーチの苦労話も紹介されるが,このあたりの熱帯の生物相の叙述は楽しい.ここでは途中から戦略変更できる場合のオスの交尾後メイトガード戦略*3や,捕食を避けるための飛翔能力が繁殖成功とトレードオフになっていることがリサーチされる.
このリサーチでは確かに捕食回避のコストは繁殖成功とのトレードオフという形でかかっていることが明らかになった.この後,著者は二種のカメムシの成虫をそれぞれ取り除く実験を行い個体数制御状況を調べようとするが,実際には餌の豊凶の方の影響が大きく整然とした結果は得られていない.このあたりは実際の野外実験の限界のリアルさが読みどころとなる.


次はミカンの外来害虫ヤノネカイガラムシと寄生蜂の話.ヤノネカイガラムシは天敵の寄生蜂を導入すると激減するが,両者とも絶滅することなく低い頻度で共存する.丁寧なリサーチの結果,カイガラムシの一部個体は寄生された既往カイガラムシの下側に潜り込むという防御を行っていること,この防御様式をとる個体の比率は寄生蜂導入地域で有意に高いことが明らかになった.この防御様式は栄養摂取に大きなコストを持つが寄生を避けることができる.著者は原産地中国において進化したこの防御戦略遺伝子が,日本侵入後何らかの利益*4により失われずに低頻度で残り,寄生蜂導入地域で自然淘汰による頻度上昇したのだろうという仮説を立てている.


3番目は日本の休耕田におけるバッタの捕食回避戦略の話だ.
湿った地域にいてカエルが天敵のトゲヒシバッタは,後ろ脚を硬直させて張り出してカエルに飲み込まれにくいような擬死をする.(この「擬死は騙し信号ではなく,その姿勢が機能的に重要」というのは著者が初めて主張したことだそうだ)
乾いた草地にいて,クモや鳥が捕食者であるバッタは,早期発見+飛び跳ねて逃げる(ハラヒシバッタ,ハネナガヒシバッタ),後ろ脚の自切(イナゴ),色彩や斑文の多型と分断色(ハラヒシバッタ)などを行う.著者はそれぞれ有効性や回避コストなどを調べて解説している*5.著者によると分断色は特に捕食者の視覚イメージの認知機構の癖をうまく利用しているものだということになる.このあたりの細かなリアリズムも読んでいて面白いところだ.


最後に著者は,このなお未完の探索行を振り返り,捕食回避コストが被食者の頻度増加を抑えている効果は確かにあるだろうが,一旦大発生してしまえばそれを抑えるのは別のメカニズムなのだろうと締めくくっている.


本書は,ある一つの大きなテーマを元に研究者が研究遍歴を積む様子,その大きな謎はすっきり解決するわけではないが,その過程で様々な詳細の理解が得られ,それが大変興味深いものであることがよくわかる本に仕上がっている.またすべての題材がオリジナルな研究であるというこだわりが本書を統一感と現実感にあふれた本にするのに大きく貢献している.やや大きめのフォントで200ページ弱と読みやすい.昆虫や進化生態に興味のある人にはお勧めである.



関連書籍


行動生態学 (シリーズ 現代の生態学 5)

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日本人著者による行動生態学の教科書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20121014




 

*1:もっとも普通は満腹になった捕食者の方が増殖率が高くなって数が増え,もう少し長いタームで見て被食者数を抑えるということが問題になっているのではないかと思われる

*2:なおここで非合理的結果について,「カブトムシなどの甲虫で親の餌供給が子供のサイズを決め,子供の最適サイズが性によって異なる場合に,子の性別がわからないときには,すべての子にオスとしてのより大きな最適サイズになる餌供給をしてしまうこと」を例にとっている.なかなかしゃれた例だが,実際にどのような餌供給をするのが親にとって最適かは,この子供のサイズ適応度曲線の形状に依存し(だから必ずオスのサイズになるとは限らない),さらにその曲線形状自体頻度依存的に決まるので進化ゲーム解析が必要になるだろう.注釈を入れておいた方がよかったように思う.

*3:最初からどうするか決めておくしかない場合は全くガードしないか全期間ガードするかのどちらかになる.途中でスイッチできる場合には様々なパラメータ依存で切り替えが生じる.

*4:著者は大発生後の過密状態で何らかの優位性があったのではないかと推測している

*5:分断色についてはカラー見開きページで「さてバッタはどこにいるでしょうクイズ」をしていて面白い.ちなみに私は1/3も見つけられなかった