「シビリアンの戦争」

シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき

シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき



本書はある種の戦争開始のメカニズムについての本である.著者の三浦瑠麗は東大農学部卒業後,同じく東大の法学政治学研究科の大学院に進み,2010年に法学博士となるというちょっと変わった経歴を持ち,現在は東大政策ビジョン研究センターの特任研究員という若手研究者だ.本書はそれまでの研究成果を生かしたはじめての主著ということで気合いが入った本になっている.


問題意識としては,「これまで関東軍の独走を許した日本や多くの軍事政権の暴走の例をふまえて,一般的に『軍部は基本的に戦争をしたがり,それを抑えるためにシビリアンコントロールが重要だ』と考えられてきている.しかしイラク戦争を見るとこれは軍人がリラクタントな中,シビリアンであるブッシュ大統領が主導した戦争であり,それは通念の逆のように見える.そして同様な戦争開始決定はいくつか観察される.シビリアンが始める戦争についても考察が必要ではないか」というものであり,それをシビリアンコントロールの効いた民主制国家が主導した戦争開始事例を研究することにより探っていこうというのが本書のスタンスになる.


まず冒頭でこれまでは攻撃的な国家は非合理的だという通念から,戦争開始決定については特定の政治指導者や政権の性格に原因を帰す議論が多かったが,むしろ政治体制の構造がもたらす各主体の利害計算や動機に注目すべきだという主張を行う.これはある意味で当然の主張だろう.基本的にヒトはインセンティブに反応するのだ.
そこから軍のプロ化が進んだ民主主義国における,政府,軍,国民の各主体の相互関係,実権の所在と政治的性格の関係などを概観し,様々な戦争開始例をカテゴリー分けして説明し,プロ化した軍はしばしば戦争開始に抑制的で,戦争開始の理解にはシビリアン側の動機の解明が重要であるとまとめている.


具体的な事例としては,英国のクリミア戦争への参戦,イスラエルの第一次,第二次レバノン侵攻,英国によるフォークランド戦争,そしてブッシュ政権によるイラク戦争が取り上げられている.この事例研究の部分は,各種資料を読み込んで,政権担当者,軍部その他各主体の当時の状況,決断に至る動機がよくわかるものになっていて迫力がある.


クリミア戦争では,英国は参戦するもしないも自由だった.戦争遂行は困難で益が少ないと考えていた軍は終始抑制的で,政治家は政権を担っていた消極派と積極派に分かれて党派抗争を行っていた.そのようなときにロシア海軍によるトルコ海軍の撃滅(シノープの海戦)が英国メディアで「虐殺」として報じられると,国民と議会は「正義の戦い」に大きく傾く.政権基盤が脆弱であったアバディーン政権は政権崩壊を防ぐには開戦に踏み切るしかなくなった.


イスラエルによる1982年の第一次レバノン侵攻は,建国以来軍と良好な関係を持ち実権を握ってきた労働党からはじめて政権を奪ったリクード党政権によって進められた.ペギン政権は大イスラエル建国という歴史的偉業に目がくらみ,軍からの助言を信用せずに,状況判断を誤った.(この結果ベイルート占領とPLOの放逐には成功するが,その後の南レバノンの占領は泥沼化し,ヒズボラを生むことになる)
2006年の第二次侵攻は南レバノンから撤退後,執拗なヒズボラからの攻撃にさらされタカ派と国民の間に不満が高まっていたときに,ヒズボラによる国防軍兵2名の誘拐事件が生じる.行動しない場合の政治的リスクをおそれてオルメルト政権は空爆にゴーサインを出す.空爆では何の成果も出せず,さらに政治的な窮地に陥った政権は軍の反対を押し切って地上戦に突入する.(当時の世論調査では,国民の93%が戦争支持,73%が地上戦に賛成だった.この地上戦は軍の予想通り何の成果も得られずに泥沼化するが,国連が休戦に動いたために兵を引くことができ,1ヶ月ほどで終結した)


フォークランドでは,英国軍はここを防衛することに全く乗り気ではなかった.政権はアルゼンチンとの係争も含むコストに鑑み主権放棄することさえも検討していた.しかしアルゼンチンの独裁政権フォークランド諸島に侵攻し,投降した海兵隊員がうつ伏せに転がされる写真が英国のマスコミに流れたことで国民世論と議会は怒りで沸騰した.サッチャーは「これは非道な軍事政権に対する正義の戦いである」と最初から揺るぎない開戦の意志を持ち(当時のサッチャー政権の基盤は脆弱で実際にそうしなければ政権は崩壊していたという事情もある),軍事費のカットにあえいでいた軍は勝利が難しいとして難色を示したが強引に押し切って戦争を開始した.この戦争は英国にとってかなりリスクがあり,実際に陰惨な地上戦に移行したが,最終的にアルゼンチン軍側の志気が崩壊し勝利を得た.


イラク戦争湾岸戦争の際にフセイン政権を崩壊させなかったことについてマスメディアは(人権という面から)おおむね批判的だったし,ブッシュ大統領は父のやり残した仕事という意識を持っていた.
9.11はブッシュ大統領にその機会を与えた.政権内にはいろいろな考えを持つものがいたが,9.11のあとチェイニーとネオコンの影響力が上昇,ラムズフェルドは軍の近代化に興味があったためハイテク戦争の実施という観点から賛成に回る.この間軍部の多数関係者はイラク侵攻,バクダッド占領は可能だが,その後の長期占領の見通しが余りに楽観的だと反対し続けた.国民は9.11の影響や,イラクからの核攻撃のリスクというプロバガンダもあり戦争に賛成し,議会の民主党などのリベラルもこれまでイラクを叩けといってきたこと,国民の戦争支持が高いことから事実上沈黙.ブッシュ政権大量破壊兵器の存在,占領後の状況について判断を誤り,開戦した.このイラク戦争の記述は資料が豊富なこともあるのだろう,4章にわたり,大変詳細に書かれている.


著者は,これらの例を見ると,軍部が正確に情勢を認識し,戦争開始に消極的であっても,シビリアンコントロールが効いているとその意見は軽視されうること,実際に自分に被害が及んだり,自らあるいは家族が出陣すると思わない国民は容易に戦争に傾く(そして基盤が脆弱な政権を動かす)ことが指摘できるとまとめている.そして一つの抑止機構としては(政治家に抑制的になってもらうことはもちろんと前置きしつつ)主権を持つ国民にステークホルダーになってもらうこと(著者はこれを「共和制」と呼んでいる)ではないかと主張し,穏やかな徴兵制の実施すら示唆して本書を終えている.


ピンカーを読んだ後本書を読んでまず感じるのは,全く統計的な議論がないことだ.本書はシビリアンコントロールの是非自体を論じているわけではないからの統計的な議論が必須とはいえないかもしれないが,やはりかなり物足りない.
そこをいったん踏み越えると,本書は「民主制がしかれシビリアンコントロールが効いている国で戦争開始決定がなされるときにはどのような状況があり得るのか」について臨場感あふれるレポートを行ってくれている本だと評価できるだろう.
そしてやはりヒトはインセンティブに反応するのだ.基盤脆弱な政治家は世論が開戦に傾くと抵抗できない.失うもののない政治家はリスクをとる.シビリアンコントロールが機能的に構築されていれば,軍人は(シビリアンに逆らっても放逐されるだけなので)最終的には政治家の判断に従う(いくらかの気骨ある軍人は辞職しているが).


では世論が開戦に傾くことはどうすれば抑止できるのか.著者は徴兵制を示唆しているが,よくいっても根拠不足だ.徴兵制があればより開戦に抑止的になるかどうかは微妙なところだろう.単なるステークホルダーは利益があると思えば開戦に賛成するかもしれない.実際に古代ローマ共和国は好戦的だった.
私には,この5つのケーススタディが示唆しているのは,ヒトの本性としての道徳心の危ない面であるように思える.150人のバンドで近隣部族と相互に襲撃しながら狩猟採集生活を送ってきた中で形成された,「報復」「正義」は現代の国際政治の中では不適応なのだ.そしてピンカーの議論をふまえれば,その解決は迂遠で難しいことかもしれないが,理性と啓蒙主義の浸透によるしかないのではないかと思う.
そしてこの生々しいケーススタディで感じるもう一つの感想は(著者は指摘していないが)自己欺瞞の恐ろしさだ.イスラエル政権とブッシュ政権がはまりこんだ自己欺瞞は本当に恐ろしい結果を引き起こしている.私たちは常にこの二つを噛みしめ続けるべきなのだろう.