「The World Until Yesterday」 第1章 友人,敵,見知らぬ人,交易者 その1 

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?


ダイアモンドのEEAへの旅.最初は彼等の世界はどのように区切られていたのかを扱う.


第1部 空間を分けてステージをセットする


第1章 友人,敵,見知らぬ人,交易者


<境界>


現代世界の住人は(様々な制限もあるが)基本的に自由に旅をすることができる.しかしこれはつい最近まで全く考えられもしなかったことなのだ.ダイアモンドはまず自分の経験を語っている.


ダイアモンドはニューギニアの鳥類の調査のためにある部落に滞在することになる.到着2日目にガイドを雇って隣の部族との境界の山の尾根に出かけた.尾根の近くでキャンプをするに当たって,彼らは武装した20人の男がいないと危険だと主張した.(結局水くみや食事の世話をする女性などを含めて単なる調査キャンプは大人数にふくれあがる)そして尾根を少し越えたフラットで水場の近くのいい感じの場所にキャンプをすることはきわめて危険だと同意しなかった.隣の部族は獰猛な悪い人々で,毒や魔術によってこの部族の人を殺すというのだ.


状況を整理するとこうなる.

  • 基本的に尾根が境界.
  • ほとんどの境界は近隣部族と同意されているが,一部係争境界がある.
  • 通過のみのための侵入は許されているが,そこで水をくんだり,食物などを取ることは固く禁じられている
  • 近隣部族とは基本的に緊張した休戦状態.時に襲撃がありうる
  • 交渉がないわけではない.通婚によって女性は移動しうる.


<相互に排他的なテリトリー>


上記は一例で,実際の境界のあり方は様々だ.厳しいものから緩いものまであるが,全く自由にテリトリーの相互利用を認めている社会は見つかっていない.ダイアモンドは厳しい例を二つあげている.

  • ダニ(ニューギニア): 境界に10メートルの塔を建てて常に見張りがいる.
  • イヌピアット(アラスカ): 許可なく入り込んだら殺される.それは獲物を追って夢中ではいってしまった場合はもちろん,アザラシを追っていて乗っていた氷が割れて漂流し,たまたま別の場所に着岸したときでも殺される.入れるのは事前に許可をもらった交易商のみ.


またダイアモンドは厳しくなる条件も整理している.

  1. 防衛(分業)可能になる人口,
  2. 自給自足できる安定したリソース
  3. 命を懸けるに足る貴重なリソース(生産力の高い畑,猟場,灌漑システム)
  4. メンバーシップが固定的


<排他的でない土地利用>


上記の条件が満たされないと境界は緩くなる.ダイアモンドはそのような例もあげている.しかし緩いとは行っても何らかの所有コンセプトがある.要するに現代社会のようなパスポートさえ見せればどこに行ってもよいという形はないのだ.

  • クン(アフリカ):そもそもどこまでがあるノアー(部族テリトリー)かが曖昧.井戸に季節性があるので相互に利用許可を与えあう.ある程度はいっていって狩猟してもかまわないが,そのノアーの人に会えば獲物は分けなければならない.それ以外の利用は事前の許可が基本.以前に許可された場合には,逆に相手から依頼されれば許可されることが強く期待される.遠く離れた部族とは相互許可しない,しても,人数を限り期間を限る.
  • ショションのグレート湾沿岸民(北米):寒く乾燥して収穫は不安定,貯蔵も難しい.基本家族単位で移動して,時に10家族程度で集まる.相互利用が基本.
  • マチゲンガ(ペルー):人口密度低い.理念的には共有だが,大家族で重なり合いながらテリトリーを持ち,重なりでは相互利用という形
  • シリオノ(ボリヴィア):60から80人のバンドで明確な境界の無いテリトリーで暮らしている.しかし狩猟の際には互いに避ける.


<友人,敵,見知らぬ人>


移動の自由がないとどうなるか.ダイアモンドは彼等は自分以外の人を「友人」「敵」「見知らぬ人」に3分するのだという.これは当たり前のようにも聞こえるが,実際にダイアモンドが言っているのは「同じバンドの人々,同盟バンドの人=知っている.すべて友人」「敵対バンドの人=基本的に知っている人ですべて敵」「遠くから来た全く知らない人」の3分と言うことだ.

  • 自分と同じバンドの人は皆名前と顔とプロフィールを熟知している.
  • 敵対バンドの人とも紛争解決の交渉や通婚の交渉があり,基本的に知り合いになる.少なくとも名前は知っている.
  • 遠くに行くのは極めて大きなリスクがあるので,全く知らない人に会うのは極めてまれになる.そして遠くから来た人はそのような大きなリスクを賭けてきているので何か重大な目的があるはずであり,まず危険な人として認識することになる.


ではこの「見知らぬ人」と遭遇したらどうなるかというところはちょっと面白い.
危険な人なのでできれば避ける.避けようもなく遭ってしまったら,会話して共通の知人を探すことになる.見つかれば敵ではないと扱えることになる.見つからないときにはどうなるか.ダイアモンドは「やあ,あえて嬉しかったよ,じゃあね」とはならないのだという.どちらかが境界侵犯しているということだからだ.それは片方が逃げて追跡になるか闘争になるしかないのだ.なお同じ大部族に属していると実際にはかなりの確率で共通の知人が見つかるらしい.


ダイアモンドが強調しているのは,このような伝統社会では「友人」の概念が現代社会とは全く異なってくるということだ.

  • 現代社会,特に西洋社会では学校や幼なじみ以外にも,個人的な興味の一致などで友人になる.なにに属しているかではなく,どんな人かで友人になれる.
  • 伝統社会では何に属しているかがすべてになる.

ダイアモンドは鳥の調査のアシスタントで雇ったニューギニアの若者の「友人」の感覚が全く西洋人のそれと異なっていて驚いた逸話を紹介している.
なおダイアモンドは,「社会がチーフドムになると知らない人はありふれてきて,知らないというだけでは脅威ではなくなる.さらにステートになるとむしろビジネス上の利益を潜在的にもたらすものになるのだ」と説明している.