
The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?
- 作者: Jared Diamond
- 出版社/メーカー: Allen Lane
- 発売日: 2012/12/31
- メディア: ハードカバー
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第5章 子供を育てる
伝統社会の戦争を扱ったあとは子育ての話になる.
<子育ての比較>
ダイアモンドは最初に5歳で自立した伝統社会の男のエピソード(その地域の厳格な子育てに嫌気がさし,自分でもっと緩い子育てをする地域の親戚のところに養子として移ることに決めたのだそうだ)を紹介し,伝統社会には子供を「自分の行動に責任が持てる」として扱い,大巾に行動の自由を認めるところがあると説明する.そのようなところでは,子供が火遊びしてもナイフをもてあそんでいても誰も注意せず,その結果多くの人はやけど跡を持っていたりするのだ.
なぜこのような多様性があるかについてダイアモンドは次のように整理している.
- 狩猟採集民の世界は基本的に平等主義.またそもそも子供が不注意で壊してしまったら大変というものが少ない.
- 周りの環境のリスクは社会によって様々でそれを反映する.
周りの環境のリスクと子供への注意の関係についてダイアモンドはいくつも例を紹介している.熱帯で毒を持った生物や大型生物がいるところでは親は子供から目を離さない.しかし砂漠地帯のように隠れた脅威があまりいない地域では基本的に放任主義になるようだ.
ここからは伝統社会の子育ての特徴の解説になる.
<年齢が多様な遊び仲間>
現代社会では子供は同じ年齢のコホートで教育を受け,遊びは同性同年齢のコホートになって行われることが普通だ.しかし小さい社会では幅広い年齢の男女入り交じった集団で遊び仲間を形成している.
ダイアモンドはこれによる影響を次のようにまとめている.
- 年少の子:社会化トレーニングになる
- 年長の子:幼い子の取り扱い方を学べる.子育ての練習になる.:実際にニューギニアでは14歳の母が全く自信を持って子育てしている.
- 婚前セックスも普遍的に生じる.彼等は男女混じった仲間を形成しているし,プライバシーがないので親のセックスを見てそれをまねするのだ.
<遊びと教育>
伝統社会の子供たちの間では大人の真似をする遊びが良く行われているそうだ.戦争ごっこ,家畜の飼育,漁,採集など.またそうでない遊びももちろんある.身近にあるもので何かを作る,とんぼ返りなどの身体を動かす遊び,虫で遊ぶなど
ダイアモンドはその特徴をこうまとめている.
- 競争や勝ち負けの欠如.むしろ分配やシェアを強調
- おもちゃは少ない,自分で作ったりせいぜい親が作るもの程度.(現代アメリカはあらゆる種類の教育玩具にあふれている)
- 教育と遊びは未分化(交通ルールなどの正式な教育による習得事項がない)
戦争ごっこを報告しながら競争や勝ち負けの欠如というのはややよくわからない記述だが,アメリカの男の子に比べるとそういう傾向があるということなのだろう.
<よその子と自分の子>
ダイアモンドはもうひとつ現代社会の子育てが伝統社会のそれと異なる点を指摘している.それは国家による介入だ.
- 現代社会においては国家は両親とは異なる関心を持って子育てに介入する.
- 国家は子供に有能で従順な市民,兵士になって欲しい.だから嬰児殺しを処罰し,教育や性的放逸について口を出す.
<現代社会にとっての示唆>
ではこのような伝統社会の子育ては現代社会の子育てにとって何らかのヒントになるのだろうか?
ダイヤモンドはまず,伝統社会の子育てがいいことばかりではないことを断っている.
- 子殺し,出産時のリスク,ナイフ遊びの容認などはおぞましい.
- 性的行為への寛容は(それがよくないことだと証明はできないが)居心地が悪い.
- 一部の人には居心地が悪いこともある.(両親と同じベッドで寝る,3歳から4歳まで授乳する,体罰を行わない)
3番目の事項はアメリカにおける一般的な感覚なのだろう.日本人としては子供が両親と一緒に寝てなんの問題があるのかとも思ってしまうが,要するに夫婦間の性交渉が子供の目に触れるかどうかという問題なのだろう.体罰についてはちょっと微妙だ.少なくとも南部諸州では家庭内の体罰に容認的だというのは読んだことがあるがブルーステートでもこんな感じなのだろうか.
取り入れてみてもいいかもしれないこととしてダイアモンドは以下をあげている.
- 運ぶときは向き合ってアイコンタクトをとりながら
- 泣き声を聞いたら素早く対応する
- より接触する
- 代理親による子育て機会を増やす
- 自分で考えた遊びを行う
- 幅広い年齢の遊び仲間
- よりひとりでいろいろな探索を行うことを認める
またあくまで印象とはしながら,伝統社会の子供の方がより感情的に安定し,自信をもち,様々なことに興味を持ち,行動が自律的であり,より多くの会話を楽しみ,社会化スキルに長け,ティーンエイジャーのアイデンティティクライシスの問題は生じない用だと語り,照明はできないがこれは子育て方法に起因するのかもしれないとコメントしている.
最後にダイアモンドはこう本章を締めくくっている.
子供の質は単なる印象だ.これらを計測するのは難しいし,子育て方法との因果の証明はもっと難しいだろう.
それでも伝統社会の子育てがただただひどいものでサイコパス量産するものでないことは確かだ.そして彼等は大きなチャレンジやリスクに立ち向かい人生を楽しむことが可能な人間を育てることに成功している.
このような子育ては10万年以上行われてきたものだ.より真剣な考慮に値するものだろうと思う.
ここでのダイアモンドによる伝統社会とアメリカ社会の比較には,大家族中心の小規模社会vs産業革命以降の核家族中心社会というところから派生するものと,西洋的な文化から派生するもの(添い寝をしない,泣いてもすぐには反応しないなど)の両方が入り交じっているような印象だ.そして前者に関係するところは日本にも当てはまるのかもしれない.とは言っても核家族中心の社会の中では,幅広い年齢の子と遊ばせるとか,代理親による子育てなどなかなか取り入れるもの難しいようにも思われるところだ.
次章は老人の扱いになる.