東京Teen Cohortとは,東京大学・総合研究大学院大学・東京都医学総合研究所の3つの機関が連携して行う研究プロジェクト「青春期の健康・発達コホート研究」のことだ.これまであまり調査されてこなかった,10歳から20歳にかけていわゆる思春期のヒトの発達過程について長期的に追跡するコホート研究を行うもので,昨年9月からスタートしている.(参照:http://ttcp.umin.jp)
昨年のHBESJでこのプロジェクトについて聞いていたが,関連の講演会が開かれ,長谷川眞理子,山岸俊男の講演があるということで参加したものだ.なお会場は千歳烏山の烏山区民会館ホール,講演は今回コホート研究に協力する児童さんたちの親御さんをターゲットにしたものらしく,和やかな雰囲気だった.
後援会は2時から.まずプロジェクトの領域代表として笠井清登氏から挨拶があり,その後2つの講演が行われた.
特別講演1 「進化的に見たヒトの思春期の大切さ」 長谷川眞理子
思春期が波瀾万丈の時期であることはそれを経験したものは誰でもわかるが,実はそれをきちんと調査したリサーチは少ない.そこで「精神機能の自己制御理解に基づく思春期の人間形成支援額」という題目で文部科学省の新学術領域研究の科学研究費を得て,リサーチを行うこととなった.この題目はちょっと長いので「思春期の自己制御」とか「思春脳」などとも呼んでいる.
(参照:http://npsy.umin.jp/amsr/index.html なおこの領域には3つのプロジェクトがあり,A01:思春期の自己制御性の形成過程,A02:メタ認知・社会行動の発達にもとづく自己制御,A03:統合的アプローチによる自己制御の形成・修復支援となっている.長谷川はA01の計画研究代表になる)
では思春期とは何か.
典型的な哺乳類の成長段階を見ると,通常は胎児,乳児があり,離乳後はすぐおとなになり繁殖可能だ.つまり子供期や若者期,そして老年期もない.
ヒトの場合には離乳後,幼児期,子供期,思春期を経由して初めておとなになる.離乳期は(進化環境や伝統社会における場合)2歳すぎなので幼児期は2歳〜7歳ぐらいまで,子供期は7歳〜10歳(女性),12歳(男性)ぐらい,思春期は10,12歳から19,20歳ぐらいまでとなる.
この思春期の特徴としてまず思い浮かぶのは成長のスパート.身長の増加率は生後が最も高いが,急激に下がり.幼児期.子供期には安定するが,思春期にもう一度高くなる.
これはヒトだけなのか.チンパンジーなどの大型類人猿に思春期の成長スパートがあるかどうかは長年議論されていたが,最近十分証拠が集まり,大型類人猿には思春期スパートはないことがわかった.
では何故ヒトだけにあるのか.答えは脳の大きさにある.大きな脳は作るのに非常に大きなコストがかかるので,身体と一緒に大きくするよりも,まず脳を作ってから身体を作った方が有利になるのだ.(詳しい説明はなかったが,脳の方がより早期にハードウエアを作って,その上でOSやアプリを組み込んでいく優先度が高いのだろう,身体は後から大きくなっても脳に比べればリカバリーしやすいということだろう)
そういう意味でヒトの成長ステージをよく見てみよう.
- 幼児期には,身体もつくりながら,脳を大きくすること,そして言語の習得を優先していて,食事も移動も一人ではできない.
- 子供期になると脳は95%できていて身体のシステムも自立する.この頃には第1大臼歯が生え,食事や移動もほぼ大人並にできるようになる.そして基盤的な生活技術,知識,人間関係,社会関係を作る基礎を習得していく.(そういう意味で6,7歳で小学校というのは理にかなっている)
- 思春期には成長のスパートが始まり,急速に性的に成熟する.そして片方で大人の暮らしのOJTとも言える段階を過ごす.複雑な社会,経済,性的スキルの練習,配偶競争,地位競争の練習.友達ネットワークの構築,言語的により繊細なスキルの習得(他人の操作,それを防ぐアームレース)などだ.
この思春期に発達する認識については3つの特徴がある.
(1)性的認識:男,女,ジェンダー
- ホルモンが急激に分泌され,週単位で変化していく.
- 異性への関心,社会的性役割への同調と反発
- 異性に好かれたい,同性の仲間からは浮きたくない,ここにも葛藤がある
(2)メタ認識:大きな文脈の中で自分とは何か,何を大切なものとして何を我慢するか
- 将来と現在を比較
- 大きな目的を理解,そのための行動オプション,順序を考える
- 衝動の制御に意味を見いだす.我慢する,こつこつやる
(3)社会の中の自己認識:自信,社会関係
- 自信を持てるか,自己肯定感,将来への希望;すぐには作れない
- 仲間内の社会関係:親より優先(将来を考えれば当然)
- 片方で現在の信頼のよりどころがあるか:父母,兄弟,友人,どこで誰とどのぐらい
- 社会的文化的ニッチの構築:自分に適した世界を見つけて努力できるか
一方で思春期が不安定なのは犯罪率を見てもわかる.
犯罪率の推移グラフ:交通事故以外のすべての犯罪率のデータ.1970年代から最近まで一貫して思春期の男性に大きなピーク(女性にも小さなピーク).*1
最後はこれまでのコホート研究で得たデータの紹介
- 世田谷区,調布市,三鷹市の537世帯の10歳児が対象
- 現在性差はほとんど無し,(男子,女子)として身長(136.4,136.7)体重(31.5,30.6)握力(13.8,13.5)
- 一人っ子家庭 25%,二人 57%,
- 定期的に小遣いをもらっている 37%
- 一人部屋を持ち,そこで就寝している 17%
- 就寝時間,平日は9時台がピーク,休日は10時台がピーク,11時以降は少ない
- 起床時刻,平日は6時台と7時台,休日は7時台と8時台が多い.
- 携帯を持っている 42.3%(さらにインターネット接続が可能になっている 1.3%)
- 誰に相談するか(複数回答可) 親78% 友人42%
- 30歳までにやりたいこと(選択肢から選ぶ) 男の子 やりがいのある仕事をする21% スポーツや芸術などで充実する19% お金持ちになる17% 女の子 やりがいのある仕事をする27% 子供を持つ18% 恋人を作る,結婚する10%
これからも結果はフィードバックしますということで講演を締めくくった.
前半はヒトの生活史戦略についての考察で面白い.脳の構築とトレーニングと身体の成長にかかるリソースの最適配分スケジュール問題だとすると数理モデルも構築可能だろうか.よく見かける植物のモデルに比べてかなり複雑なことになりそうだ.
後半の生データも面白い.回答を見ていると,世田谷あたりの幾分ハイソな家庭のお坊ちゃま,お嬢ちゃまの様子が浮かび上がってきてほほえましい(定期的な小遣い制を取る家庭の比率は少し低めだろうか,それにしても就寝時間とか健康的だ).この子たちがこれから10年間波瀾万丈疾風怒濤の思春期を迎えていろいろなデータが集まることになるわけだ.楽しみだ.
次の講演は本領域研究の領域評価委員を務める山岸俊男から.こちらはこの領域のアンケート調査の結果を導入に,自らの信頼の研究のダイジェストといった内容.
特別講演2 「信頼しあう社会とは」 山岸俊男
社会心理学とは,社会のあり方とその中の人の心の関係を考えていくものだ.ある社会の仕組みはどうなっていて,その中で人はどのような心を持つようになるのかといっても言い.
今回のプロジェクトのアンケート調査で10歳児の親に「子供がどんな人生を過ごすことを望むか」を聞いたものがある.よりチャレンジングな人生と安定した人生の中でスケールを持って答えたもらうと,44%の親はよりチャレンジングな人生を望んでいることがわかった.そしてそうなるには何が大切だと思うかという問いには,「リスクを取ること」「自分の意見を持つこと」にプラス,「まわりから嫌われない」「騙されないように注意する」にマイナスの評価を行っている.
しかし片方で,日本人は国際比較において極端に「リスクを取ることを避ける」傾向があることが知られている.この間の矛盾はどう考えればいいのだろうか?
ここで学生を対象にした,リスクを取る生き方と安定した生き方へのアンケート調査の結果を見てみよう.
- どちらになりたいか リスク80%,安定20%
- 自分はどちらに近いか リスク50%,安定50%
- ほかの人はどちらに近いか リスク10%,安定90%
- 周りの人からの評価はどちらが高くなると思うか リスク20%.同じ程度20%,安定60%
つまり自分はリスクを取る人生の方がいいと思っているが,まわりから嫌われることもあるので適当なところで手を打っているらしい.
これは「リスクを取る生き方の方がいい」→「でもそれは嫌われる」→「それを表に出さないようにしよう」→「ほかの人は安定を求めているようだ」→「やはりリスクを取る人生は嫌われる」(以降ループ)という構図になっていて「社会が人々の望むあり方を否定し,それをみなで作っている」のだ.
では何故そのようになっているのだろうか?
その鍵は信頼と安心は異なるというところにある.
国ごとの調査結果を「個人主義と集団主義のスケール」と「一般的な他者への信頼」を軸にして2次元にプロットすると「個人主義的な社会ほど一般的な他者への信頼が高い」ことがわかる.
ここで他者を信頼するというのは,結局リスクを取るということだ.リスクを取るという言葉は日本ではネガティブイメージがあるが,「腹を括る」という言葉が近い.信頼とは「相手が自分を害することはない」と期待して何かの行動を起こすことだ.信頼してみれば上手くいったときにメリットが得られ,裏切られればデメリットをかぶる.信頼しなければ何も生じない.
では何故そう期待できるのか?:相手の内面性に注目して「いい人だと思う」「自分に好意を持っていると思う」のは「信頼」で,制度面に注目して「相手はそうすると損をするから」と思うのが「安心」だ.
この安心による期待について私は「針千本マシン」の例で説明している.もし「嘘をついたら針千本飲ます」マシンが装着されていれば,その人は嘘をつかないと期待できる.そしてこのような「針千本マシン」は実在する.東南アジアでは米市場はオープンな市場取引になっているが,生ゴム取引は特定のゴム園と仲買人が先祖代々取引をし,見知らぬ相手とは取引しない.これは米はその場で品質がわかるが,生ゴムはその場ではわからないので騙されるリスクがあるためだ.先祖代々システムでは一方当事者が短期的に裏切って利益を得ても,その長期継続的な関係が無くなり,評判がたって他の誰からも相手にされなくなるので損失の方が大きくなる.だから「安心」して取引できるのだ.
政府による公正な司法システムがない世界では,このような取引秩序を仲間からの排除の理論で保つシステムがしばしば形成される.中世のマグリブ商人や江戸の株仲間もそうだ.江戸の株仲間は,談合と価格つり上げの疑惑から幕府から禁止令が出され,それにより物流が止まって撤回されるという歴史を繰り返している.
そして一旦このような「安心」システムが社会に生じると,その中の人はそれに適合した心を持つようになる.他者から孤立しては生きていけないシステムなので,他者からの受け入れに敏感になるのだ.
いわば関係性に閉じ込められて新しい取引機会を持てなくなるので,このようなシステム内では取引費用が高く機会コストも大きい.そして公正な司法システムと法はこの関係性を越えた行動を可能にする.そうなると社会は個人主義的なものになる.
個人主義的な社会では,リスクテイキングで,他者一般をとりあえず信頼し,他者の内面に関心を持ち,自己の予測可能性をディスプレーするような心が適合的になる.
重要なことはこの個人主義-集団主義の対立軸は,強調的-利己的の対立軸とは独立であることだ.実際に文化差を調べると前者の対立軸で大きく異なり,後者にはあまり差が無いのだ.
以上が講演の内容だ.これは講演者の長年の主張がコアになっており,若干時間が押したが,わかりやすく説得的な見事なプレゼンだった.このプロジェクトの報告講演会は今後も開かれるのだろうか.なかなか楽しみだ.
関連書籍
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- 作者: 山岸俊男
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これは講演の中で紹介されていた.
江戸の市場経済―歴史制度分析からみた株仲間 (講談社選書メチエ)
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ホール脇の広場ではちょうど都議会議員選挙の公開討論会も開かれていた.
*1:なお最近のデータでは20歳過ぎの男性に第二の小さなピークが現れるがこれはよくわからないと説明があった.確かに謎だ,これは警察のデータなので,成年と未成年で統計への載せ方に差があるのかもしれないという感想