Paleofantasy: What Evolution Really Tells Us about Sex, Diet, and How We Live
- 作者: Marlene Zuk
- 出版社/メーカー: W. W. Norton & Company
- 発売日: 2013/03/11
- メディア: Kindle版
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本書は進化生物学者マーレーン・ズックによる,アメリカの「安直に農業以前社会を理想とするライフスタイル運動」への批判書だ.ズックはハミルトン=ズック仮説で知られ,性淘汰や昆虫のリサーチが本職の進化生物学者だが,一面では筋金入りのフェミニストでもあり,進化心理学について基本的な学問のあり方としては認めているものの,その個別の仮説(特に性差が絡むもの)の当否については結構辛辣なコメントをよく行っている.本書でも辛口コメントがあり,進化心理学者による喧嘩腰の書評*1などもでているが,実際に読んでみるとそこは話の本筋ではない.
まずイントロダクションで本書の批判対象が特定される.それは「ヒトがある特定の時代の環境に完璧に適応していると主張し,それにあわせた様々なライフスタイルを主導する運動」だ.そしてこの前段の主張は妄想であるとする.そしてそれが本書の題名「Paleofantasy」の意味になる.主導者たち(以降パレオ派と呼ぼう)は,食事内容と肉と野菜に限ったり(パレオダイエット),マッチョな狩猟者をイメージした特殊な運動(パレオエクササイズ)を推奨する.フェミニストのズックがこの後段に敏感に反応しているのは容易に想像できる.ズックは「進化は止まっていないし,適応は妥協の固まりで完璧になっているはずはなく,またすべての適応をある年代だけ特定するのはおかしい」と主張していくことを明らかにしている.
第1章では様々なパレオ派団体の提唱内容をそのホームページ*2を示しながら紹介している.私もちょっとのぞいてみたが,なるほどイデオロギー臭が濃く,ほとんどトンデモの世界だ.「しかしこの人たちは誰も掘っ建て小屋に住もうとか,メガネやコンタクトレンズを捨てようとか主張しない」というズックのコメントは皮肉が効いていて笑える.
ここからズックはヒトの進化史を概説し,さらに狩猟採集社会,類人猿との比較,ヒューマンユニバーサルのリサーチにも言及し,結局どのような性質がいつから現れたかというのはなお明確にはわかっていないことを強調している.
第2章ではパレオ派のよくある主張「私たちは農業の発明により,適応した世界から惨めな世界に移行をさせられたのだ」に反論する.ピンカーの主張するように暴力が大幅に減っていることを押さえていて説得的だ.なお労働量が増えたことについてはやや苦しい*3.健康状態の悪化についてはしばらくして交易などにより裕福になり改善したと反論している.
そしてここでズックによる進化心理学についての辛口コメントが登場する.ズックのコメントは以下の内容だ.
- ヒトの心理傾向を考える上で進化的視点に立つこと自体に何も問題はない.
- しかし実際にはなかなか議論できていない.見たいものを見つけてそれは狩猟採集生活への適応だと結論づけてしまうことが多い.
- 特に問題だと思われるのは,私たちが更新世にスタックしているという議論は誤りだということだ.
- まず古い遺伝子と新しい環境という言い方がよくなされるが,そもそも遺伝子はカンブリア以前からあるものから現在も変化しているものまで連続している.遺伝子的に見て特に更新世が重要であるわけではない.
- チンパンジーとの分岐後の変化した遺伝子数からの議論もあるが,ある特性が生まれるかどうかは組み合わせで決まるのであって単純に数で議論できない
- 農業以降は短いという議論もあるが,進化の進み方は時間だけでは決まらない.
- アイアンズによる「適応関連環境:ARE」という提案もあるが,(それ自体に問題はないが)単純にライトの適応地形議論で十分ではないか.
- もちろん環境とのミスマッチはある.砂糖への好みは進化心理学者のいうような説明が説得的だ.しかし決してスタックしているのではない,現在でも進化しているのだ.
最初の指摘はグールドのスパンドレル的な批判で,仮説構築なら何も問題ないし,その後の検証が甘いというなら個別に議論すればいいだけだろう.
後段についてもあまりいい議論ではないように思う.
- まず進化心理学者は,ここでズックが批判するパレオ派のように「『すべて』の適応が更新世でのみ生じた」とか「その時点で適応は完璧だった」などとは主張していない.だからまさに「ミスマッチ」を主張してるのであって「スタック」を主張しているわけではない.この意味で最終段まで読むとズックはいったい進化心理学の何を批判しているのかよくわからない.
- また「ヒトの心理が更新世に形作られた」というのは全体を俯瞰したときの近似的な議論だ.それに対して「数や時間では厳密には言い切れない」という議論を行っても意味はないだろう.
- さらにヒトの心理は確かにチンパンジーやボノボと大きく異なっているし,農業以前に世界中に分散した中で多くの心理的なユニバーサルがある.だから更新世にその特性の大きな部分が形作られたと考えることは十分合理的に思える.
私的にはここであえて進化心理学まで揶揄する必要はなかったという感想だ.スロッピーな人たちに(そしてしばしば性差別的に)利用されやすいところについて日頃から一言あるのだろう.
第3章は速い進化について
まずズック自身のコオロギのリサーチが紹介されている.ハワイに移入されたコオロギは寄生バエが鳴き声を利用して寄生するのでわずか数十世代で鳴かなくなったそうだ.
ズックはこのように100世代以内で生じる進化を「速い進化」としていくつか例を紹介している.ガラパゴスフィンチの嘴,(捕食率に反応する)グッピーのオスの色彩変化,ズグロムシクイの越冬場所,アノールトカゲの体型,漁業規制と対象魚種の大きさなど有名な例が次々と解説されている.オーストラリアに侵入したオオヒキガエルの進化の例*4はちょっと面白かった.
第4章からは各論で,個別のパレオ派のトンデモ主張をなで切りにしていく.まずはパレオダイエットのうち酪農製品の忌避について
パレオダイエットでは酪農製品は農業以降の産物として忌避するのだそうだ.そしてズックはヒトにおける乳糖耐性の進化を丁寧に解説し,欧州に見られる乳糖耐性とアフリカのそれは独立に進化した収斂進化であること,さらにソマリアには腸内微生物の助けを借りる形のさらに独立の乳糖耐性進化があるらしいことにふれ,パレオダイエットの主張のばかばかしさを浮き立たせている.
第5章は同じくパレオダイエットの肉と穀類の扱い.パレオダイエットでは穀類を忌避し,かなり肉に比重を置いた食生活を推奨する.ズックは様々な狩猟採集民族間で肉への依存度には多様性があることをまず押さえ,さらに最近のリサーチによれば弓矢の発明後に肉食比率が上昇した形跡があり,それを信じるなら3万年より前には肉食比率はそれほど大きくなかった可能性があることを指摘している.要するに肉に偏ったパレオダイエットは根拠が薄いのだ.
また穀類についてはアミラーゼ遺伝子のコピー数に地域差があり,これはでんぷん消費への進化が生じたことを示していることも指摘し,穀類忌避にもあまり合理性のないことを示している.
第6章はパレオエクササイズ.これは特にトンデモ風で,マッチョなハンターをイメージしたエクササイズ(パワーの負荷をかけた様々な運動をランダムに行う)だ.
ズックはもちろん運動はいいことだと前置きしてから,マッチョ的なこの運動に対しフェミニストらしく思いっきり皮肉*5をとばす.その後最近支持されることの多い長距離ランナー説を紹介し,短時間のパワー負荷の運動にこだわるパレオエクササイズのトンデモ主張を批判している.*6
第7,8章は,フェミニストとしてのズックの本丸,性役割議論だ.ここでは特に何らかのパレオライフスタイル推進運動を取り上げる訳ではない.お手軽な「ポップ」進化的視点と自然主義的誤謬で性差別的な主張を行う輩が標的だ,
ズックによるとそういう主張は以下のようなものらしい.
そしてここから様々な勘違いした主張が生まれ出ることになる.ズックはモノガミーなどの配偶システムの進化的な観点からの解説を行い,ヒトの場合には,現在マン・ザ・ハンター仮説は否定されていること,基本的な子育て投資の観点からのモノガミー傾向はあるが,実際には(その他の環境要因等に応じて)ポリジニーに向けての多様性があることを指摘し,さらに,仮に事実がどうであったとしても自然主義的誤謬的に考える必要はないのだとコメントしている.
また生活史戦略としては夫や祖母を含む共同哺育により次子妊娠までの繁殖サイクルを早める方向に進化してきた可能性があることも指摘している.そして(進化的視点をとる論者が西洋風の子育てを批判して主張することの多い)添い寝やスキンシップに赤ちゃんにとっての一定の効用があることは認めるが,だからといってそれをしなかったから育たないというものでもなく,様々な赤ちゃんの育て方があってよいのだと主張している.ここはズックの女性の自由・開放の視点に立つフェミニストぶりがよくでているところだ.
第9章は「狩猟採集社会は病気フリーで農業社会は病気にまみれている」というパレオ派のプロバガンダについて.人類が過去に完璧に適応していたという誤解がこう主張させるのだ.
ズックはまず農業が実際に病気リスクを増やしている面があることは認める.土壌にふれて土壌菌に感染しやすくなるし,家畜を密に飼うことは人獣共通感染症リスクを高める*7.
次に個別の感染症についての歴史をみる.ズックはここで天然痘*8,結核*9,ガン*10について詳しく解説し,感染症への耐性は微妙なトレードオフの上にあり,わずかな環境変化に対して調整が生じる進化が継続している現状を具体的に描き出している.要するに過去が病気フリーだったわけではなく,トレードオフの詳細条件が変わっているのにすぎないのだ.
なおここでは高血圧,肥満などの生活習慣病については取り上げていない.パレオ派の主張に近いところがあるからということだろうが,やや片手落ちの感は否めないところだ.
第10章はヒトの進化の現在について.
最後にもう一度,人類の進化は止まっていないのでパレオ派の言い分はおかしいと強調される.
ヒトの進化は止まったという主張を行う学者もいるが,病気の重要性や,すべての女性の子供の数が同じでないことから進化は継続しているべきだと考えるべきだとズックは主張している.
あるかないかといえばその通りだろう.通常は過去に比べて速度が下がっているかどうかが議論されているところなので,やや我田引水的だが,パレオ派への攻撃としてはこれでいいということだろう.この章で読んでいて面白いのはヒトの進行中の進化についてのリサーチの紹介だ.連鎖領域のスウィープの解析から,肌の色,臭覚,神経発達,免疫にかかる遺伝子領域に淘汰がかかっていることがわかっている.ちょっと変わったところでは耳垢遺伝子にも淘汰がかかったらしい.どのような機能が問題になったのかはまだ推測の段階だが,寒冷適応が示唆されているそうだ.
というわけで本書は,「人類の進化は更新世の狩猟採集時代で止まっている」ということを前提にプロモートされている様々なトンデモ健康法をボコボコにたたく本ということになる.結構男性ハンターを強調したマッチョな主張が多いので,フェミニストのズックとしては見過ごせないということだったのだろう.日本ではあまりこの手のトンデモは見かけないので切実感はないが,なかなか向こうの事情は興味深い.返す刀で進化心理学へ中途半端な批判を行っているのはちょっと勇み足という感じでやや残念だ.とはいえズックのトンデモたたきの舌鋒は皮肉混じりのユーモアが効いて読んでいてなかなか楽しい.日本人読者として肩の力の抜いて楽しめる一冊だと思う.
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*1:/Evolutionary Psychology /11(1): 263-269,「Throwing out the mismatch baby with the paleo-bathwater」Robert O. Deaner,Benjamin M. Winegard.参照ページ:http://www.epjournal.net/articles/throwing-out-the-mismatch-baby-with-the-paleo-bathwater-a-review-of-marlene-zuk-paleofantasy-what-evolution-really-tells-us-about-sex-diet-and-how-we-live-2/
*2:Cavemanforum.com,Paleochic.com,Diabetescure.comなどが紹介されている.いずれもなかなか怪しい感じ満載だ.
*3:推定方法にいろんな批判はあるものの,初期農業社会が狩猟採集社会よりハードワークであることは認めざるを得ない.ズックは狩猟採集時代であってもヒトは類人猿に比べてはるかにハードワークだ(だから相対的には大したことない)し,もしそうならなぜパレオ派は類人猿段階を理想としないのかと皮肉っているが,基本的に労働量の面では農業社会の方が惨めだという主張を覆せてはないだろう
*4:オオヒキガエルは毒を持つため,現地のヘビはそれを襲わないように顎が小さく進化した.またオオヒキガエルは余りに爆発的に増えたので,分布地域のフロンティアでは分散能力に強い淘汰がかかり,脊椎異常のコストを払っても足が長くなる方向に進化した
*5:パワーをかける理由としてハンターは落とし穴から獲物を持ち上げるからだそうだが,ズックは,「なぜ先に獲物を分割すると思わないのだろう」とコメントし,さらに「どうせなら大工仕事でもすれば」とも書いている.
*6:パレオエクササイズには裸足で走ることにこだわる人たちもいるようだ.ズックは狩猟採集民が柔らかい地面だけを走っていたと思うのは幻想だと切って捨てている.
*7:ズックは魚を広いプールで密に飼うことのリスクを特に強調している
*8:AIDS耐性遺伝子の一つは天然痘耐性として進化してきたものらしい.これは別の種類のウィルス感染症への耐性とトレードオフということになる.
*9:結核は以前,牛の飼育により牛からヒトに感染したと考えられてきたが,遺伝子の分岐はもっと古く,どうやら過去からあったヒト結核が,人口密度上昇により強毒化したものらしい.これに対する耐性も進化しているが,これは自己免疫疾患への感受性とトレードオフになっている