
Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)
- 作者: Dylan Evans
- 出版社/メーカー: Free Press
- 発売日: 2012/04/17
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (21件) を見る
ヒトの認知にヒューリステックスに基づくゆがみ(バイアス)があることはよく知られている.エヴァンズはそれは確率に対してもあるのだと本章を始めている.
第4章 心のトリック
エヴァンズはこれを「同じような例を思い出せたら生起確率を高くみる,思い出せないものは低くみる.」と定義している.これによるバイアスはカーネマンによる「利用可能性バイアス」とおなじものだ.エヴァンズは以下のようにコメントしている.
- この両者には相関があるので不合理とはいえない.
- しかしマスメディアによる劇的な事件のレポートバイアス,見事なフィクションの映像により現代環境ではこのヒューリスティックは大きなバイアスを生む
- さらに単によく想起したものは確率を高くみてしまうということがある.これは記憶の改変にもつながるものだ.
エヴァンズはこのようなバイアスの存在から以下のような対処を推奨している.
- 劇的な物事についての確率見通しについては慎重に考える.
- 思い出せたものもソースをよく考える.「それは自分自身の経験だったのか」.ここで問題になるのは記憶の改変はソースの改変という形も取ることだ.これへの対処は難しいが,そのようなことも生じうるとよく言い聞かせて慎重に対処するしかない.
- 逆にイメージが浮かばないものについてもよく考える.これはリスクマネジメントにおいても重要になる.
<ウィッシュフルシンキング>
次のバイアスは,「自分が望むことが起きやすいと考えてしまう」もの.願望が信念に影響を与えるのだ.これは当然ながらRQを下げる大きな要因になる.
エヴァンズはこれは何らかの認知ヒューリスティックの副産物というより,むき出しのバイアスといった方がいいとコメントしている.
カーネマンはこの現象については「自信過剰バイアス」として一括りにし,「その場にある証拠をとりあえず使う」ヒューリスティックのために自分の「無知」について無知になり,また「簡単に因果をこじつけてしまう」ヒューリスティックと合わせて生じるのではないかと考えているようだ.確かにこのカーネマンの解釈はややこじつけ気味で,エヴァンズのように単純にヒトの心にはそうした傾向があると考えた方がいいのかもしれない.ここでエヴァンズは進化心理的な議論を行っていないが,結局これは楽観主義的なバイアスの一種で,自信過剰傾向などと合わせてそういう傾向が(進化環境において社会的に)有利であったと解釈することもできるだろう.
なお日本では(そのほかの文化でもあるのかどうかについては知らないが)「言霊信仰」があって,よくないことは口に出すべきではない(口に出すと実現してしまう)とされているので,より楽観的な言動を行うようにプレッシャーがかかり,このバイアスが強化されているような気もするところだ.
ここでエヴァンズは「鬱になると,このバイアスが消える」という説についても考察している.ここでの結論は「よく検討すると,鬱の人はそもそも物事に悲観的で,そこにこのバイアスがかかってより正確に見える」ということらしいというものだ.なおそうしたフレームでみるとむしろ鬱の人の方がバイアスが大きいという報告もあるそうだ.
このバイアスで説明できる現象にもコメントがある.
- これは経済的バブルの一つの要因.
- 空売り屋はこのバイアスを正す材料を供給してくれるのだが,一般的には嫌われる.
- 大きなプロジェクトの予算にもよく現れる.
最後に対処についても触れている.これも最初のバイアスと同じで,要するにバイアスがあることを前提にして行動するということだ.
- ある程度はシステマティックに是正可能.たとえばコストは最初の予想の倍と置くなど
<ソースの信頼性>
これは「その証拠が(もし正しいなら)何を示しているか」という問題と,「その証拠が信頼に足るものか(正しいのか)」という問題を混同しがちだというバイアスにかかるものだ.エヴァンズは「イラクの大量破壊兵器」の事例を元に詳しく説明している.
後からみるとこれはドイツに逃げ込んだあるイラク人の証言を過大視したことによっている.彼は尋問側が望むような証言をでっち上げたのだ.彼の話の信憑性については当初から疑いがあったのだが,結局政府はこれを取り上げ,国民には詳細な情報を与えなかった.一つには留保付きの情報を与えることによって国民の戦争支持が揺らぐことを抑えたのだろう.
しかし重要だったのはグリフィンとトヴェルスキーが発見した証拠の信頼性へのバイアスによるものと思われる.
ある仮説にとっての証拠の強さと信頼性は別の事柄だ.前者はその内容が対立仮説より当該仮説を支持するかどうかについてのもので,後者はそもそもその話が信頼できるかというものだ.たとえて言うなら,推薦書の中身と,誰がそれを書いたかという問題だ.
グリフィンとトヴェルスキーは人々はまず証拠の強さを考えて,その後信頼性について調整するが,通常調整は不十分だということを見つけた.さらに証拠の強さについての印象は時間が経つと薄れる.
これによりイラクの大量破壊兵器についてなぜ一人のいい加減な証言を信じたかが説明できる.
エヴァンズはこれにより「なぜ卑劣なネガティブキャンペーンが有効なのか」(スリーパー効果の謎)が説明できるとコメントしている.日本でいえば多くのトンデモ系のデマが影響力を持ち続ける現象にも絡むのだろう.