「シロアリ」

シロアリ――女王様、その手がありましたか! (岩波科学ライブラリー 〈生きもの〉)

シロアリ――女王様、その手がありましたか! (岩波科学ライブラリー 〈生きもの〉)



これはシロアリの研究者松浦健二による一般向けのシロアリの生態にかかる解説書だ.松浦は「社会性昆虫の進化生物学」でもシロアリの章を執筆していて,本書は著者の研究物語に加え,そのシロアリ章の内容を一般向けにかみ砕いてわかりやすく解説したものになっている.


最初に著者がシロアリ研究者になったいきさつがかかれている.それによると著者のシロアリへの想いは小学校3年生の時に原っぱにあったベニヤ板をひっくり返したときにシロアリの巣を見つけたことに始まる.これに強烈な印象を受け,さらに小学校6年生の時に岩田久仁雄の「ハチの生活」を読んで,昆虫を支配する力の記述に感動してこの道を志すようになる.そして京都大学に進み,(周りにシロアリを研究している人がいなかったため)ほとんど独学でシロアリの研究者になったそうだ.動機づけといいその後の進路といい,運命的でもありかつ強い意志を感じさせるエピソードだ.


ここからシロアリの解説が始まる.簡単な系統樹とともに,シロアリがゴキブリの仲間であり,アリやハチとは異なるグループであることをまず説明する.だから半倍数体ではなく普通の2倍体生物であり,さらに不完全変態昆虫で,ワーカーは成体ではなく幼体であることが解説される.著者は,幼体であるのでシロアリのワーカーや兵隊はアリやハチと比べてかわいいのだと断言している.見事なシロアリ愛だ.なお日本における普通種のヤマトシロアリの各カーストのカラー写真も原寸大の影とともに付されていて把握しやすい.
このほかあまり知られていないであろうシロアリ豆知識として以下のようなことが紹介されている.いずれも興味深い.

  • ワーカーや兵アリが幼体であるので彼らは分化全能性を保っている.
  • シロアリが白いのは,朽ち木の下に巣を作ってそれを食べる生活なので,日中に外に出ないために紫外線防御を行う必要がなく,コストのかかるメラニン色素を作らないからだ.このため(分散・交尾のため巣を出て飛翔しメラニン色素を持つ)創設女王と二次女王はすぐ区別できる.(例外的に白昼外を行進するコウグンシロアリは黒い)
  • セルロースを分解するために腸内に共生微生物を持つ.下等シロアリ*1では原生生物を持ち,その中にさらに共生バクテリアがいる.高等シロアリでは直接腸内にバクテリアを持つ.
  • シロアリは,アリと異なり,水中でも水溶性の酸素を取り込んで呼吸でき1週間ほど生存できる.洪水になりやすい湿地に住むことにかかる適応ではないかと思われる.


ここからは著者のリサーチ対象である下等シロアリの一種ヤマトシロアリの生態の解説になる.
まずコロニーの創設.生殖虫はオスメスともに羽アリとして分散し,地上に降りた後に出会って巣を創設する.しかしヤマトシロアリの生殖虫の性比はメスに偏っており,あぶれたメスはメス同士でタンデム走行して巣を創設する*2.このタンデム走行が補食リスクを減らすものでハミルトンの利己的な群の実例であることは「社会性昆虫の生物学」で触れられているが,さらにその後も2匹が互いに清掃しあうことが生存にとって重要なのだそうだ.
著者は性比がメスに偏っていることは分散前のコロニー内でのLMCで説明できるのではないかと調べるが,受精嚢は空でその仮説は否定され,メスが単為生殖によってコロニーを作っているという(当時としては衝撃的な)事実を発見する.著者はメスのみ創設でも単為生殖によってコロニーが作れるので大丈夫とだけ述べている.シロアリの単為生殖はクローンではなくオートミクシスなので,少なくともワーカーや次世代繁殖虫については近交弱勢があるのだろう.ないにしても病気の耐性などの有性生殖にかかる有利性は受けられない.だからこのメスのみによるコロニー創設は条件付きの次善の策ということだろう.
なおここでは羽の脱落のメカニカルな仕組みについても解説がある.なかなか巧い仕組みだ.


次は「社会性昆虫の進化生物学」の中心テーマであるAQS*3の解説.ここで前著ではさらっと書かれていたコロニー掘り起こしの苦労話が具体的に述べられる*4.ヤマトシロアリの巣は朽ち木の下を複数結んだ複雑なもので,王室を見つけること自体なかなか難しいそうだ,それを学生をブートキャンプ的に訓練して大量に掘り起こす.その結果王室には創設王と大量の二次補充女王という組み合わせが圧倒的に多いことが判明する.そしてこの二次女王たちの遺伝子解析を行ってみると,彼女たちには王の遺伝子は含まれずすべて創設女王のオートミクシス型単為生殖による「分身」であることが見つかる.それまではハミルトン説にあるようにシロアリは創設王と創設女王が寿命を迎えるとその子供たちが二次王と二次女王になると考えられてきた.だからこれは驚きの事実だったのだ.
著者はこれを王と女王の遺伝的利益から考察し,創設女王にとっては二次女王を「分身」とすることが有利であり,王は単為生殖できないので長寿になって対抗する*5という解釈を行う.そしてなぜ女王は長寿にならないのかについては,「女王は(競争上)生産力を上げるために巨大になるか複数になるしかないが,ヤマトシロアリはコロニーを移動させるのでキノコシロアリの女王のように巨大化できず*6,複数になるしかない.そして一旦女王が(遺伝的に分身である)複数個体になれば産卵効率性に一定の閾値があってそれより低い個体は死亡した方が(女王の遺伝的利益という視点から)効率性がよいことになるからだ」と説明している.
なお著者はこのAQSシステムにおいては,時に王が死ぬことがあるのでメスの羽アリの方が価値が高くなり,繁殖虫の性比はメスに傾くことが予想され,だから性比が大きくメスに偏っているという報告のある欧州のシロアリの多くも同じAQSだろうと予測している.添えられているヤマトシロアリのグラフでは王の代替わり頻度は低く,性比が「大きく」傾くことは説明しきれないようにも思われるが,王の代替わり頻度は種によって異なるのだろう.



続いてフェロモンによる情報システムについて.
このようなシステムにおいては,単為生殖により二次女王になる個体は成体になり,交尾の結果生まれるワーカーは成体になることを抑制しなければならない.これはどのようになされているのか.
著者たちはまず揮発性の女王フェロモンを特定して,これがワーカーや次世代生殖虫の成体化を抑制することを突き止める.そしてワーカーはこの量に応じて女王に給餌して産卵数を調節する.では単為生殖の二次女王はなぜ成体になれるのか.著者たちは彼女たちがフェロモンの影響を受けないことを突き止める.そしてこれはゲノミックインプリンティングによっているのだと推測している.
なかなか見事な仕事だ.著者たちはこのフェロモン信号が「正直」な信号であるとしている.しかしなぜ正直さが保たれるのかは説明していない.コロニー内には誰を二次女王にするかについてコンフリクトがあるのではないだろうか?ワーカーから見ると女王の「分身」も交尾による姉妹も血縁度は同じく1/2かもしれないが,王から見ると全く異なるので王側のゲノミックインプリントで対抗操作する可能性が残るのではないだろうかという疑問が残るように思う.


最後にヤマトシロアリの卵に擬態して寄生する菌類が説明される.この発見物語もなかなか臨場感あふれる語り口になっている.菌類の擬態というのは生態としてはなかなか興味深いところだ.


全体としては興味深いシロアリの生態の解説と著者の研究物語がうまく組み合わされ,かつ高水準の科学的な説明が盛り込まれ,充実した読み物に仕上がっている.多くの人にお勧めしたい好著だと評価したい.



関連書籍


社会性昆虫についてのアンソロジー.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130509

社会性昆虫の進化生物学

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*1:シロアリには7科あり,シロアリ科のシロアリを高等シロアリ,その他6科のシロアリをまとめて下等シロアリと呼ぶそうだ.あまりいい名称ではないように思うが,慣行ということらしくこの呼称に従うこととする

*2:メス単独でも創設するがほとんど成功しない

*3:Asexual Queen Succession:単為生殖による女王位継承システム,本書ではこの用語自体は使われていない

*4:別のコラムではチェンソーを含む調査7つ道具が紹介されている,手斧を含む渋いリストだ.

*5:著者はこのように強い淘汰圧がかかったヤマトシロアリのオスの寿命は昆虫界で最も長いものの一つのではないかと予想している

*6:なお本章のコラムではその巨大なオオキノコシロアリの女王を食材とした料理の写真が紹介されている.香ばしくタラコのように美味とあるが,卵巣の部分を唐揚げにすると確かに美味しそうだ.