「Risk Intelligence」 第5章 群集の狂気 その2 

Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)

Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)


RQを下げてしまう社会的圧力.早く反応した方がスマートに見えてしまう問題と群集心理をあげた後,エヴァンズはリスクをコミュニケートする場合の慣習を問題にしている.


<リスクをコミュニケートする慣習的方法>


多くの場合リスクを伝える慣習的な方法は合理的な方法ではない.それは定義がはっきりしない曖昧なものであることがほとんどだ.例として以下のものがあげられている.

  • セキュリティレベルのカラーコード:イエローがレッドになると実際にどれだけリスクが増えるのか全くよくわからない.
  • ドゥームズデイクロック:そもそもこの分表示の数字が何を表しているのかはっきりしない.さらに当初は核戦争のリスクを示すというものだったが,環境問題や温暖化も取り入れて何を示しているのか全く判然としなくなった.


<イタチの言葉と曖昧な表現>


エヴァンズは父親が心臓病で亡くなったときに病院から曖昧な言葉でしか診断を説明されなかった友人の話を振っている.心臓発作専門の看護師はその友人に「his "prognosis" is "guarded."」(「予後については予断を許しません」ほどの意味だろうか)としか説明しなかったそうだ.
これは患者や家族にとって大変フラストレイティングな状況だが,実際には常に生じている.医者は数字より「言葉」で説明するのを好むというリサーチ結果もある.エヴァンズは,医者は間違えたことを後から追求されたくないという動機があるのでこうなっているものと思われるとコメントしている.


エヴァンズは,実際にリスクについてコミュニケートするなら「言葉」よりも数字の方が効果的だし,それは難しくないと強く主張している.そしてそのよい例は天気予報だ.実際に数字でコミュニケートするように強制すると彼等はすぐにそれに慣れる.
さらにエヴァンズはそもそも数字だけでよく,「言葉」による補助説明(「可能性が高い」「確からしい」など)は無くした方がよいとまで言っている.それは誤解をうむリスクをもたらすだけだというのだ.

  • 言葉による説明は,発信側,受信側がそれぞれ勝手に解釈してしまう*1.これはコミュニケーションの幻想を生む.
  • 別の場面で同じ言葉が別の意味で使われる.


これに関するひどい実例として格付会社の例をエヴァンズはあげている.

S&Pなどの格付会社は,AAA,AA+,AA,AA-,A+・・・などの記号を使ってきた.投資家はこれには(倒産確率などの)数字が背景にあると解釈してきた.しかしリーマンショックの後,格付け会社はそれは「順序的情報だ」と言い出した.控えめにいってもこれは不誠実だ.
実際にCDOの格付にかかるフォーミュラでは確率が使われていた.それらは(CDOを構成する原債権の)ポートフォリオから(当該トランシェの)デフォルト確率をシミュレート計算していたし,コーポレートの倒産確率との対比表もある.そしてそれをリーマンショック後のデフォルト実績と対比するとひどい自信過剰が現れる.
今では当時の格付会社の見通しが楽観的だったことは広く知られている,しかしこれは自信過剰だけでなく,動機もあった.投資銀行はフォーミュラの癖を利用して(売りやすい高い格付になるように)商品を組成し,さらにその中で最もいい格付けがでる会社にフィーを払う.明らかな利益相反が背後にあったのだ.

エヴァンズはこの問題への対処法も提案している.

  • まず倒産確率は数字で出させるように規制すべきだ.それにより投資家は初めて格付会社間の比較ができるようになる.
  • さらに投資銀行は職員に対してある商品の投資リスクを事前に数字で出させてその事後的なRQ成績で評価するようにすればよい.
  • 投資家は自ら投資する商品のリスクを数字で評価すべきだ.それにより初めてリスクプレミアムが妥当かどうかを判断できる.


第1点目は利益相反問題への対処にもなり得るので意味があるだろう.本来投資家がそれを要求すべきだが,投資家は格付会社に直接フィーを払うわけではないから「数字を出せ」と直接要求できないということであれば公益のために規制すべきだということになる.もっとも中短期的な倒産確率は経済状況によって変動する.だから倒産確率の絶対数字を要求するのは格付の本来の目的を越えて景気の予想まで含んでしまうので難しいだろう.(予想自体困難だし,クレジットリサーチの専門家である格付会社にエコノミックリサーチまで求め,両方の結果が混在した数字を提出させても,投資家から見ると真に利用したいクレジットリサーチの結果がつかみにくくなるし,実務的には経済指標発表ごとに改訂が必要になったりして,むしろわかりにくくなるだろう)そもそも格付があのような記号になっているのはそういう意味もあると思われる.
2点目はエヴァンズが指摘する利益相反問題には無関係なような気がする.投資銀行はすべてをわかった上で自らの利益を最大化するように合理的に行動している.職員のRQがいかに高くても問題は生じただろう.
3点目は微妙だ.投資家が本当にお馬鹿だったのならこれは意味があるだろう.しかしおそらく機関投資家の内部では似たようなエージェンシー問題があったのではないだろうか.個別のマネージャーは,長期的にヤバいかもしれないと思いつつも短期的に波に乗り遅れては解雇されてしまう.そして数年後裏目に出てもそれまでの報酬は手にした上でやめればいいだけだ.このようなインセンティブ構造があればマネージャーのRQが高くても問題は止められなかった,あるいは高いからこそ問題が生じたのだろう.


エヴァンズがあげる2番目の実務的な問題は「陪審」だ.

立証には刑事の「合理的な疑いを越える」「明確で説得的」,民事の「確率のバランスが傾く」などがある.しかしいずれもあいまいにかかれている.
リサーチによると陪審と判事の解釈は異なっている.確率にすると「合理的な疑いを越える」について,判事は89%,陪審は84%と答えるし,シミュレーションすると陪審の数字は70〜74%になる.これは法の下の平等や裁判を受ける権利に関わるゆゆしき問題だ.


陪審は84%,判事は89%の主観的確率で有罪にしていいとアンケートで答えるというのは,なかなかすごい数字だ.せめて90%を越える数字を答えて欲しいと思うのは私だけだろうか.アメリカの刑事裁判は本当に恐ろしい.日本の裁判官が刑事裁判の検事側の立証についてどの程度で良いと考えているかはよくわからないが,少なくともアンケートにはもっと高い数字を答えるのではないだろうか.


エヴァンズはこれも陪審にトレーニングを受けさせ,有罪確率を数字で答えさせて,判事がそれを平均し基準に当てはめて処理すればいいと提案している.(さらに実務家はいろいろ反発するが,合理性はないと切って捨てている)
このあたりは「無実の人に有罪宣告することはあってはならない」と規範的に考える人には越えがたい壁だろう.私自身,数字化した方がいいと理性ではわかっても100%以外の数字を正面から認めることには抵抗がある.「合理的な疑いを越えて」というのはなかなか味わいのあるやり方のような気もするところだ.


ここまで2章に渡ってエヴァンズはRQを阻害するものを見てきた.次章からはRQを高めるために使える道具ややり方を見ていくことになる.



 

*1:エヴァンズは「unlikely」という英単語がIPCCレポートでは33%未満という意味で使われているが,それは66%未満という意味で解釈されてもおかしくないと主張している論文があることを紹介している