「Risk Intelligence」 第9章 自分の知っていることを知ること その2 

Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)

Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)


ここまでエヴァンズは,リスクを評価するためには,自分が知らないことについて理解しておくこと,さらに自分が知らない問題があることについて常に慎重になった方がよいことを書いてきた.リスク評価における「自分の知識についての知識」ということについては実はもうひとつ重要な問題がある.


<Unknown Knowns>


ラムズフェルドはknown knowns,known unknowns,unknown unknownsの3つについて言及した,しかし論理的には第4のカテゴリー「unknown knowns」があるはずだ.直接的には矛盾するような概念だが,それを興味深い概念として仕立て上げて指摘したのは哲学者のスラヴォイ・ジジェクだ.
彼はこれを「知っている知識の使い方がわからないこと」にあてはめた.ある知識が,今そこにある問題と関連していることがわからなければ,それを利用できない.エヴァンズはこれについて哲学者ニック・ボストロムが提示した例をあげている.

  • 「火星に生物がいるかどうか」と「人類が超銀河文明を築けるか」という問題の関連:現在周りに超文明異星人がいないのは,惑星が生まれ,そのうえで生物が進化して超銀河文明を築くまでの間に何らかのフィルター*1があるからなのかもしれない.そして火星に生物がいてそれが高等であればあるほど,そのフィルターが文明以降である可能性が高くなる.(だからボストロムは火星に生物の痕跡が発見されないことを願っているそうだ)


エヴァンズは,「RQが高い人ほど関連を見つけるのが上手くなる*2,またこれはLocal Thinking(思考があるエリア内にしか向かないこと)に陥るほど避けにくくなる」と指摘し,少しずつ心理的水平線を広げていくことは有用だろうと指摘している.


<評価のアート>


エヴァンズは,そのような関連を見つける能力の開発に役に立つ方法の1つのは「フェルミ問題」のレッスンだと指摘する.フェルミ問題とは「シカゴには何人のピアノ調律師がいるか」というような問題を指す*3
そしてこれは問題をサブ問題に分けて今ある手がかりから推測するという方法で見積もりを出せる.サブ問題にすることにより「知っていることを知らない」状態から「知っていることを知っている」状態にすることができる.エヴァンズはここでは大変丁寧にフェルミ推定のやり方を解説している.



エヴァンズは,「このレッスンにおいて『全然わかりません』というのは憎むべき答えだ.このように答える場合には2つのケースがある」と指摘する.

  • 努力が足りないケース:努力すればいい.意識して使うようにすれば少しづつ身につく.
  • 避けているケース:政治家などに見られる.これは単に無責任だ.イラク侵攻時には政治家はコストの見積もりを公言するのを避けた.そんな予想は不可能だと.しかし経済学者は2003年に簡単に1200億ドルから1兆6000億ドルと見積もっているし,それは今でも有効だ.


<推論を楽しむ>


エヴァンズは,このように世界の既知と未知の見通しをつける努力を行うための心構えを説いている.

  • 確実に知らない限り「知らない」と答えるのでは,ほとんどすべての問題に「知らない」と答えることになりかねない.そして映画「マトリックス」のように「自分が水槽の中に浮いている脳で夢を見ているだけかもしれない」ことまで考慮するならどんな質問にも「知らない」としか答えられなくなる.
  • だから私は学生には「とにかくいい推論をせよ」と強要する.しかし,いかに多くの学生が嫌がるのかは本当に印象的だ.
  • おそらくこれまでの教育で推論をもてあそぶことを戒められ,間違った答えを笑われてきたからだろう.つまり現在の教育システムはRQをはぐくむようにはなっていないのだ.
  • 推論(スペキュレーション)への嫌悪はこのような認識論だけではない.金融にもある.金融ではスペキュレーションとは投機の意味だ.多くの人はヘッジファンドなどのスペキュレーターによるリスクテイクを憎む.
  • 知識のリスクテイカーと投資のリスクテイカーをともに嫌う心理の根本には同じ憎悪があるのだろう.それはリスクを好む人と比較されると,自分の臆病さやつまらなさを非難されているように感じるからではないだろうか.しかしリスクテイカーこそ,経済を活発化させ,技術を革新させてきたのだ.先物にベットする人は,真剣なリサーチの結果をトレードとして市場に伝え,さらに量的に市場の流動性を高めることにより,価格メカニズムをよりスムーズにしているし,知識のリスクテイカーは科学を進めてきたのだ.


努力してよい推論をすることを嫌がる人が多いのはエヴァンズにとって本当に残念に思うところなのだろう.われわれの社会には,推論をもてあそぶことを忌避する要素がどのぐらいあるのだろうか.それは基本的には個人にとっても集団にとっても不利に働きそうに思われるのでなぜそうなっているのかについては興味深いところだ.
なお最後の市場のスペキュレーターの問題は,先物市場の経済的な利点を解説する際によく指摘される点だ.エヴァンズはこれを大胆な行動を行う人への憎悪の問題と捉えているが,一般的には「経済にかかるヒトの進化心理的な認知は,等価交換のゼロサム世界に大きくとらわれていて,市場経済全体のノンゼロサムが理解しにくいため,投機家の利益は不当だと考えてしまう」という点が強調されるところだ.


エヴァンズは最後に警告をおいて本書を終えている.

  • どんなに確率論をうまく操っても,成功は保証されない.保証という概念自体が確率論の世界の対極にある.
  • どんなに確率論的に合理的な決定も,偶然によって悪い結果になりうる.
  • 確率論で偶然をも支配できるように感じるのは自信過剰の現れで,それは一つの皮肉でもある.
  • すべてをコントロールすることはできない.しかし悲観することもない.いつも勝つとは限らないが,それこそベットするところなのだ.


この部分では,マキアベリが「君主論」において,人生は偶然に翻弄されることを認めつつ,慎重になるだけでなく,大胆に立ち向かう方がより幸運を導けるだろうと書いていることにも触れていてなかなか味がある.


本書は前半はRQという認知特性の解説,後半はそれを実際にあげて行くにはどうすれば良いかというハウツウが基本になっている.前半部分は,ヒトの認知特性のモザイク的な特性がまた1つ明らかにされたようでなかなか興味深い記述が多く楽しめた.後半は結局よくいろいろなことを考えて,様々な思考ドリルを行っていくことが重要だというある意味よくあるアドバイスという感じだ.しかしそれは結局(数学,将棋などのゲーム,大人になってからの外国語習得のように)進化的に適応していない認知タスクには共通の深いヒトの心理的特徴ということなのだろう.

  

 

*1:ボストロムはこれを「The Great Filter」と呼んでいる

*2:何故そうななのかについては書いてくれていない.リスクの扱いとはちょっと異なる能力のような気もするところだ

*3:物理学者エンリコ・フェルミは実際に彼のシカゴ大学の学生に対してこの「シカゴには何人のピアノ調律師がいるか」という問題を出したそうだ.それでこの種の問題はフェルミ問題と呼ばれる.またこの手の問題はマイクロソフトやゴールドマンサックスの就職面接で出されたことでも有名だ.