「食べられないために」

食べられないために―― 逃げる虫、だます虫、戦う虫

食べられないために―― 逃げる虫、だます虫、戦う虫


本書は昆虫学者ウォルドバウアーによる昆虫の対捕食戦略を中心に書かれた一版向けの啓蒙書だ.彼はこのような一般向きの昆虫の本を数多く書いており,これはその最新作の邦訳ということになる.原題は「How Not To Be Eaten: The Insects Fight Back」


本書の構成としては,第1章で昆虫の占める生態的な位置,食物連鎖に関する概説がなされ,第2章で捕食者を扱った後,第3章から第10章までさまざまな対捕食者戦略を戦略ごとに解説するという形になっている.いずれにせよこの手の本はその詳細が命だ.私が面白かったエピソードをいくつか紹介しよう.

  • ハワイには待ち伏せ型捕食を行うシャクトリムシが生息する.(捕食回避戦略として進化した擬態を待ち伏せに転用した例)
  • ある種のアリは,そのために育てた真菌の菌糸体を使って大きな昆虫を捕るための罠を仕掛ける.(穴の上にふわふわの表面を作り,獲物が下へ踏み破るようにして,踏み破った足を捕らえる)
  • アナホリフクロウは糞虫を誘うための撒き餌として馬糞や牛糞を巣のまわりにばらまく.
  • スロースモス(ナマケモノガ)と呼ばれる蛾は卵からさなぎまでナマケモノの密生した毛の中で過ごす.
  • ある種のエビは腹部の終端でも光を知覚できる.これは自分の体が枯れ葉や土の中にうまく隠れているかどうかを知るのに役立つために進化したと考えられる.
  • ゴミムシダマシは哺乳類の息を感じることができ,感じると腹部の腺をむき出しにする.これは捕らえられて口に入った瞬間まずく思わせて吐き出させるための適応だと考えられる.
  • 昼飛性の蛾には,飛行能力で鳥から逃れようとするものがいる.アカオビスズメは60メートルも垂直に急上昇してキツツキをかわすことができる.
  • モズやアライグマの目と重なる横に走る黒い帯模様は,餌に眼を気づかれにくくさせるための適応ではないかという説がある.
  • 分断色の有効性は対捕食戦略としてよく主張されるが,実証実験は一度しか行われていない.そしてそれは(著者のみるところ)対照群の処理が不適切で決定的な実験とはいえない.
  • 南米のイモムシの一種は自分におおざっぱに似た形が残るように食草の葉を食い残す.(カモフラージュが成立するように能動的に環境を変える例)
  • エクアドルのカクレウロコアリは,細かい毛で泥を身にまといカタツムリ並みにゆっくり動く.人間の観察者にはまず背景と見分けがつかない.
  • ある種のバッタは鞘翅を完全にカモフラージュ用に転用し,茎から斜めにでる小枝そっくりにしている.
  • アフリカの(ヨコバイの仲間である)ハゴロモの一種は集団で穂状花序に擬態する.ちょうど穂状花序と同じように見えるように,茎の先端につぼみに似た緑色の個体が,下側には花と同じ色味のピンク色の個体が並ぶ.
  • ある種の蛾は後翅だけに鮮やかな色を持つが,それは飛んでいるときに鳥に対して鮮やかなサーチイメージを提示し,止まったときにそのサーチイメージを失わせることによって捕食を回避しているのではないかと考えられている.
  • また普段隠している鮮やかな色彩(フラッシュカラー)を突然捕食者に提示することは,捕食者をたじろがせる効果もあると考えられる.大きな目玉模様(特にそれが哺乳類の眼の擬態としてよくできていること)はこの機能により説明できると考えられる.例証もいくつかある.
  • またチョウの翅にある小さな目玉模様には鳥の攻撃を翅や尾状突起(これ自体触覚の擬態)にそらすという機能があるとも示唆されている.
  • カマキリの威嚇誇示は実際に鳥に対してひるませる効果があるようだ.
  • 昆虫の大きな群れには,捕食リスクを軽減する,配偶相手を見つける以外に,水分損失を下げるという利点もある.マツハバチの幼虫の場合には,群れの中の誰か一匹が松葉の堅い外皮を突破できれば後は同じ穴から潜り込めるという群れのメリットがある.
  • オビカレハの幼虫テンマクケムシは捕食者や寄生者の接近に対して群れ全体で一斉に激しく頭を振ることによって追い払う.
  • 獲物を麻痺させて地中のトンネルに引きずり込み幼虫の餌にするカリバチには,捕食者を惑わすためのフェイクの穴を複数掘るものが様々な属や科にまたがって存在する.
  • 戦闘用ワーカーが自爆攻撃を行うアリがいる.
  • シロハラオオヒタキモドキは,ミツバチを捕食するが,刺されるリスクを避けてオスを専門に狙う.
  • アメリカコガラはイモムシに食われた跡のある葉を目印に餌を探すが,同所的にいるイモムシは葉を刈りそろえたり,刈り落としたりして目印を減らす行動を見せる.しかし警告色を持つイモムシはこのような行動を見せない.
  • ある種のヒトリガは,超音波のクリック音を出してコウモリに対して(自分の毒の)警告シグナルを送っている.
  • フィリピンには鮮やかなテントウムシやハムシのベイツ型擬態を行うゴキブリがいる.
  • チョウの中にはメスのみがベイツ型擬態を行う種があるのは知られているが,プロメテアサンというヤママユガの一種では雌雄が逆転している.これは行動にかかる性差(オスのみがメスを探して捕食者のいる日中に飛ぶ)によるものと考えられている.
  • スカシバガの多くは,昼行性になり,カリバチやハナバチの見事なベイツ型擬態種になっている.
  • ハチに擬態するハナアブ科のアブの中には,よくみればすぐにわかるロー・フィデリティ擬態種と,専門家にも同定を間違われることがあるほど形態・行動とも完璧に似ているハイ・フィデリティ擬態種がいる.後者はおそらくほとんどの場合カリバチに間違われているのだろう.
  • ハイ・フィデリティ擬態ハナアブはハチの音響も真似る.中にはよりピッチが高い音を立てるものがある.これは捕食者への超刺激になっているのではないかと考えられる.
  • ミツバチが動物の死体から自然発生するという迷信や神話は広くみられるが,これはハイ・フィデリティ擬態種のナミハナアブの行動からきているのだろう.
  • ブラウアーは再捕獲実験でプロメテアサンの擬態効果を測定しようとして失敗した.これは対照群として黒い塗料を塗った蛾が別の毒チョウの擬態になってしまったからだと考えられる.


対捕食戦略としては,目玉模様,警告色,擬態あたりがトピックとして詳しく記述されている.目玉模様や警告色は,本当にそれが有効な対捕食戦略として機能しているのかを実証するのは結構大変なようだ.また擬態にはなお様々な面白い問題があることもわかる.*1
全体として肩の凝らない楽しい読み物としてよく書けていると思う.私も読んでいて大変楽しかった.



関連書籍


原書

How Not to Be Eaten: The Insects Fight Back

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邦訳されている同じ著者の本.本書の訳者あとがきでも嘆かれているが,著者名の日本語表記がばらばらなのが残念.

虫と文明: 螢のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード

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新・昆虫記―群れる虫たちの世界

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昆虫の四季

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*1:エピローグではその擬態の問題のうち,それが漸進的な進化で可能なのかという問題が扱われていて,グールドの反適応論的な主張に手を焼いた様子もうかがえていてちょっと面白い.