「協力と罰の生物学」

協力と罰の生物学 (岩波科学ライブラリー)

協力と罰の生物学 (岩波科学ライブラリー)


本書は岩波科学ライブラリーシリーズの一冊で,利他行動を含む協力行動の進化にかかる解説書である.著者は若手数理生物学者の大槻久.


最初に自然界には協力行動があふれていることを豊富な実例を元に解説している.しかしその前に協力を定義する際の通貨が適応度であることをしっかり断っていて渋さが感じられる.協力の実例には,バクテリアが流されてしまわないためのぬめり(バイオフィルム),粘菌の柄になる細胞,アリのワーカー,オナガのヘルパー,血を吐き戻すチスイコウモリ,群れを作る動物のアラームコール,フードコール,菌根菌その他の他種生物間の相利共生などが紹介されている.まずは背後の原理にあまりこだわらずにひたすら並べて読者の興味をつなごうというところだろう.最初に台所のぬめりを持ってくるなど,身近の例であるとともに,微生物を取り扱って意識や善意などないところでも「協力」が問題になることをわかりやすく示せていて,なかなか面白い.


第2章では進化のロジックから見たときの協力の問題点が解説される,協力には利他行為も相利協力もあるが,いずれも一方当事者が「ただ乗り」できる状況があると壊れやすい.この後実例が次々に紹介される.やはり微生物のバクテリオファージの実例*1が最初に扱われ,その後蛍光菌の浮遊体ベトベト物質,アミメアリ,アフリカミツバチのコロニーを乗っ取ったメスを単為生殖できるケープミツバチなど,ただ乗り者のために集団全体が絶滅するような例が取り上げられている.


第3章では協力が進化することを説明する理論が扱われる.ここでは明確に断っていないが,相利協力ではなく利他行為の問題が解説されている.ここは明確化しておいた方がよかったような気もするところだ.あるいは,多くの協力は「裏切りが可能である」ということをどう取り扱うかによってどちらにもフレームできるのであまり厳密に取り扱わないという著者の方針なのかもしれない,
まず(ナイーブ)グループ淘汰の誤謬を解説した後*2,血縁淘汰理論,直接互恵理論が解説される.ここで協力とただ乗りが特に問題になる状況として囚人ジレンマ状況の説明があり,その繰り返し状況の際のアクセルロッドのトーナメントとしっぺ返し戦略の説明が挟まり,最後に間接互恵理論に戻るという構成になっている.それぞれ簡潔で的確な説明ぶりがすばらしい.


第4章ではただ乗りを防ぐ方法の一つとして「罰」の問題が取り上げられる.
血縁淘汰理論は血縁個体間の利他行為的協力を見事に説明する*3.しかし互恵性による協力は後に何らかの形で見返りがあるから利他行為がペイするという状況なので,ただ乗りが可能であれば崩壊する.だからこの仕組みの詳細にはただ乗りを検知して防ぐ仕組みが必要になる.ここからまたも微生物をはじめとする実例紹介がある.
最初の大腸菌の例*4は,協力の維持の為の裏切りへの罰というより寄生体のホストに対する脅迫のような例だが裏切りを検知して罰する仕組みとしては面白い.そこから送粉者兼種子寄生者であるユッカガとユッカの共生におけるユッカ側からの罰*5,窒素固定菌へのマメ科植物側からの罰,アリのワーカー産卵に対するポリシング,掃除魚であるホンソメワケベラのペアにおけるホスト魚への裏切りへの相互監視などの面白い例が数多く紹介されている.ここも読んでいて楽しいところだ.


第5章でヒトの問題が取り扱われる.これまでの協力の問題はヒトではどうなっているのか,ヒトは実際に同種間で多くの協力を行っている.ここではまず大脳の増大についての社会脳仮説にちょっと触れた後で,血縁淘汰的行動が実際に見られること,直接互恵的な裏切り検知適応が見られること*6,間接互恵的な裏切りの検知をおそれる適応があること*7などが解説される*8
そして最後にヒトの罰行動に対する様々な知見が扱われている.まず公共財ゲームでは繰り返すと協力程度が下がるが,罰を導入すると下がりにくく,実際に参加者はコストを払っても罰したがる傾向があることが紹介される.最後の状況は,罰行動自体を利他行為を見立てることができ高次のただ乗り問題とフレームできるが,著者は実際に罰を受けた裏切り者は次回から協力に転じやすくなること(直接互恵),自分はただ乗りには罰を与えるタフガイであるという評判を形成できること(関節互恵)から説明できるだろうと解説する.そして罰を与えたことが誰にも知られることなく一度きりという設定(直接互恵でも間接互恵でも説明できない)でも罰行動が生じることについても,そのような状況は進化環境ではまれなので適切に反応できないのではないかという解釈を紹介している.
このほか罰行動には文化差があること*9,脳内の報酬回路を刺激すること,罰と報酬の効果比較*10,罰を与える人間については(タフガイという評判はあっても)利他行為をするいい評価は得られないこと*11などが紹介されている.著者は最後に罰は非常に非効率的なので,制度をうまくデザインし,罰があるぞということを周知しておいて抑止的に使うことが望ましいとコメントして本書を終えている


本書は興味深い協力というトピックについての生物学からのコンパクトな解説書として成功していると思う.広く一般読者を想定し,数式を一切使わないという制限の中で理論的な面において簡潔に要点を解説し,なにより豊富な実例を次から次へと紹介することに力を注ぎ,読んでいて楽しい本になっている.広く副読書として推薦できるだろう.



 

*1:ファージ本体を格納するために産出されるタンパク質の殻は同じ細胞内に入ったファージに共有されるので,これをより少なく作るファージはただ乗りできることになる

*2:読者対象や紙数の問題もあるからだろうが,現代的なマルチレベル淘汰的グループ淘汰の問題や,ノヴァクの筋悪な議論の問題は取り扱われていない.大槻はノヴァクの元で研究したこともあるようで,ノヴァクの筋悪論文の問題にはコメントしづらいのかもしれない

*3:大槻は明確には書いていないが,血縁淘汰が問題になる状況では,淘汰の通貨を包括適応度にするとそもそも利他行為自体が自分にとって包括適応度的に有利になる(つまりただ乗りを包括適応度的に解釈するともはやただ乗りではなくなる)と説明できる

*4:ファージに対抗するための制限酵素遺伝子がプラスミドに入ってしまったときに,自分が排除されると大腸菌自体に害が生じるようになっている

*5:種子に対して過度に産卵すると種子を落としてしまう

*6:それぞれデイリーとウィルソンの殺人研究,コスミデスのウエイソンタスク研究が紹介されている

*7:ここではベイトソンの眼の絵の効果研究が紹介されている

*8:このヒトの協力の説明の中でも相利協力と利他協力の区別はあまり厳密になされていない.

*9:著者はどう解釈すべきかについては触れていない.罰の効果はきわめて文脈依存的であることを示しているように思われる.

*10:報酬は繰り返すことにより累積的に協力を促進できるということが紹介されている.ただし報酬によって協力社会を作ろうとすると,社会がより協力的になるにつれて必要報酬額がどんどん増えていくという問題には触れていない

*11:これについては謎だとしている.著者は「罰の持つ二面性(自分が罰を与えるときには快感を覚えるのに,他人が罰を与えるのは評価しない)」と表現している,なぜなのかは確かに難しい.しかし実際に身体を張って悪に立ち向かう場合(特に罰を与える側にとっての罰のコストが大きい場合)にはいい評価が得られそうな気もするところだ.