「魚類行動生態学入門」

魚類行動生態学入門

魚類行動生態学入門


本書は若手リサーチャーたちの寄稿による魚類を対象にした行動生態学のアンソロジーである.魚類の行動生態学にかかる本については1990年代にいくつかのシリーズが出されていて,なかなかの充実ぶりだった.しかし最近はその手の本が余り出なくなっていて,久々の企画ということになろう.そういう背景もあるのだろうかいずれの寄稿も力の入った充実したものになっている.


第1章は太田和孝による「シクリッドの受精を巡る雄間競争」.
まず簡単にタンガニイカ湖のシクリッドの多様な生態が紹介され,ここではオス間の配偶競争における代替戦略の進化が焦点になる.調査対象のビッタータス(Telmatochromis vittatus)には何と4種類もの代替戦略がある.彼等は別種のシクリッドが集めた貝殻の集積を巣として求愛・受精・産卵・子育て*1するが,オスには体の大きさに合わせて,通常のナワバリオス戦略,そこへ忍び込んで放精するスニーカー戦略,ナワバリを持たずにナワバリの外の(それほど集積されていない)貝殻で求愛するが特に防衛しないサテライト戦略,さらに自分ではナワバリを持たずに他オスのナワバリに押し入って強引に求愛するパイラシー戦略の4戦略タイプに分かれるのだ.
太田はこれらが頻度依存的な遺伝的多型ではなく,条件依存型多型であること,採用している戦略により精子への投資比率を変えていること*2,パイラシー戦略の成立には巣場所に適した貝殻集積場所の密度が重要であること(パイラシー戦略は巣場所を行き来するために距離が長いと捕食リスクが大きくなりすぎて,ナワバリオスになる方が有利になる)などを観察に加えて実験を行うことによって様々に実証している.
この章は何と行っても4戦略の複雑さとその戦略転換の条件がどう決まるかの詳細が面白い.できるだけ操作実験に持ち込もうとする著者の執念も印象的だ.


第2章は佐藤綾による「グッピーの配偶者選択に応じたメスの産仔数と性比調節」.

メスの選り好み,隠れた選択の理論,及びグッピーの性淘汰にかかる生態をまず概説.そしてメスに隠れた配偶者選択があるか,より魅力的なオスと配偶できたメスのグッピーは産仔数調節や性比調節を行うかということが本章のテーマとなる.最後のテーマはトリヴァース=ウィラード仮説の変奏ともいえる「魅力仮説」たる条件付き性比調節仮説の検証ということになるだろう.
佐藤は「好みのオスと配偶できたメス」と「好みでないオスと配偶せざるを得なかったメス」を実験的に操作してリサーチする.その結果,後者のメスはほとんど産仔しないことが見いだされ,「強制交尾の場合に,産仔するかどうかという形で強い隠れた配偶者選択がある」ことが明らかになった.しかし興味深いことにいったん産仔する場合には協力交尾か強制交尾かで産仔数や性比に差はなかった.次に配偶相手が魅力あるオスとそうでないオスの場合を比較すると,配偶したオスの赤いスポットの面積と産仔数,性比は相関することが確かめられた.
佐藤は性比調節に関し,オスが精子の中の染色体タイプ比率を操作することによって性比調節している可能性が排除できることも検証*3している.詰めの深さが印象的だ.


第3章は松本有記雄による「ロウソクギンポの雌のコピー戦略と雄による強制産卵」.
最初に配偶者選択(メスの選り好み)の解説*4.ロウソクギンポはオスが巣穴から求婚し,メスは求愛行動の激しいオスを選択する傾向があり,交尾後オスが卵を守る.しかし片方で,メスはすでに産卵されている巣にいるオスを選ぶ傾向もある.本章では,メスが他のメスの選択のコピー戦術を採るかどうかがテーマになる.
松本は様々な対抗仮説を考慮した操作実験をデザインし,メスが確かにコピー戦略も採用していることを実証する.またその究極因についても考察し,いくつかの仮説を検討し,オスによる育児放棄リスクの減少をあげる.またコピー戦略が他メスの産卵まで確認せずに中途半端にとどまっている理由については(実際に他メスの産卵を確認しようとする場合の)巣穴に閉じこめられてレイプされてしまうリスクの減少という説明を提示している.さらにこのようなコピー戦略の存在によって性淘汰のダイナミクス自体に何が生じるか*5も考察されている.
本章の叙述には観察,考察,検証,その失敗,別の仮説提示という松本自身の謎解き体験の流れが後付けられていて,ミステリー仕立ての面白さがうまく描かれている.上質の研究物語に仕上がっていて読んでいて大変面白い.


第4章は門田立による「一夫多妻社会における逆方向性転換:ササラゴンベを中心に」.
最初は性転換理論の解説.体長有利性モデルの成功と,双方向転換,逆方向転換の発見という学説史に沿っている.その大本になる繁殖価で割り切れば転換が双方向でも逆転してもそれほど衝撃的な発見には思われないが,現場では結構衝撃的だったのだろう.これによりリサーチャーは単に体長を見るだけでなく繁殖価がどのように変化するのかを確認する必要に迫られることになる.ここではこれまでにわかった様々な魚類の詳細な繁殖価の状況が説明されていて詳細は面白い.本章のササラゴンベのリサーチもその文脈で行われている.
ササラゴンベはハレム型の配偶システムを持ち,メス→オス転換種とされてきた.しかし水槽実験で双方向転換が確認され,著者は野外リサーチを行うこととする.調べてみるとササラゴンベはまずメスが小さなナワバリを持ち,オスはそれを複数含むハレム型ナワバリを持つのが基本形であり,予想通りメス→オス転換するが,ハレム内のメスが死亡してナワバリオスの繁殖機会がなくなったときに隣のオスを受け入れる形でメスに転換する場合があることを見つける.著者はこれはナワバリ移動の(捕食)コストが高く,隣のナワバリ乗っ取りが難しく,さらに新規メスの加入が期待できないときに生じるのだと説明している.
基本的に繁殖価で説明可能だということだろう.この章も詳細が面白く*6,著者の研究物語としてよく書けている.また今後の課題にスニーキングオスとメスの間の性転換というテーマが指摘されているが,これも詳細は面白そうだ.


第5章は曽我部篤による「ヨウジウオ科魚類の多様な配偶システムとその進化生態的要因」.
ヨウジウオ科には魚類には珍しいモノガミー制をとる種が多い.ということでその進化生態要因を探ったもの.最初にこれまで提出されているモノガミー進化要因仮説を簡単に整理し,ヨウジウオ科魚類については,オスにある育児嚢にメスが卵を産みつけるために父性の確実性が高いことが重要であることが示唆されている.
ここからはフィールドの観察リサーチになる.イシヨウジは驚くべきことに生涯モノガミーで,毎朝ペア間で挨拶行動が見られる.著者は,進化的な生態要因として,オスは育児嚢を満たすだけの卵しか育てられないためにほかの大きなメスを探すメリットが少ないこと,メスの産卵準備期間がオスの育児期間と同じためにメスも他のオスを探すメリットがないことを挙げている.後者についてはいったんモノガミーが成立した後の適応かもしれずやや微妙だが,著者はこのメスの産卵準備期間が長いことについて卵巣構造に由来する系統的制約だと主張している.私の感想は「なお議論の余地がありそうだが,かといっていい代替説明も思い浮かばない」というものだが,卵巣構造の検討はなかなか力が入っていて面白い.


第6章は安房田智司による「共同繁殖シクリッドの配偶と子育てをめぐる同性・異性間の駆け引き」.
タンガニイカ湖に住む共同繁殖を行うシクリッドについてのリサーチ.最初にヘルパーの存在についての行動生態学の学説史が簡単に整理されている.血縁淘汰の可能性が当初追求されたが,結局要因は多様で個体利益的に説明できるケースも多いことがわかってきたという経緯だ.
魚類で共同保育が最初に報告されたのは1981年で,これまで見つかっているのはすべて「基質産卵・見張り保護型」で口内保育型のものは見つかっていない.
ここから著者によるジュリドクロミス属のシクリッド,オルナータス(Julidochromis ornatus)についてのフィールドリサーチになる.オルナータスは岩の割れ目を利用して子育てし,多様な配偶システムが混在している.最も多いのは最大個体がメス,そして大小の2匹のオスがいるという形で,オスが双方とも見張り保護を行う.著者はDNA親子判定を行い,ヘルパーとされる小さいオスも一定の受精行っていることを確かめる.そして様々な観察や実験によりオルナータスの配偶.共同飼育システムは以下のような構造であることを突き止めるのだ.

  • 基本的な最大メス大小オスオス型でヘルパーがいるのは,岩の割れ目の楔型を利用してメスが父性を操作できているからだと考えられる.メスは狭い場所と広い場所にそれぞれ産卵し,小さいオスにも父性認識をさせて見張り保護を誘導する.巣が楔型でなく操作が難しいとヘルパーが生じにくい.
  • また最大個体がオスであるような様々なパターンがあるのは,大きな個体はオスでもメスでも複数の巣で繁殖するために自分より小さい個体とペアになって保護を押しつけるからだと考えられる.

この章も研究物語としてよく書けている上に,オスメスのコンフリクトをめぐる状況が次々に解き明かされていて謎解きミステリーとしても大変面白い.


第7章は竹内勇一による「シクリッドの捕食被食関係における左右性の役割」.
タンガニイカ湖のシクリッドのスケールイーターに左右利きがあって頻度依存淘汰で多型が保たれているという報告は1993年の「タンガニイカ湖の魚たち」に書かれている.そしてその後それが多くの魚食性の魚類に同じような左右利きがあるという話に拡張しているということは2007年の「生態と環境」において報告されていたが,その最新状況について書かれた章になる.最初にそこまでが概説され,その後著者によるタンガニイカ湖のエビ食魚ファスキアトゥス(Neolamprologus fasciatus)についてのリサーチが紹介される.
著者はファスキアトゥスの捕食方向に左右利きがあるらしいことを観察し,行動,解剖学的特徴の頻度分布が二峰型になっていることを確かめる.また経年観測するとその頻度は4年周期で振動しているようであり,頻度依存効果という説明と整合的だ.次にその餌であるミナミヌマエビにも行動,解剖学的特徴に左右差があり二峰的な分布をしていることを発見する*7.そこから著者のリサーチは至近的メカニズムに進み,高速度撮影で襲撃時の行動を分析し,天敵から逃げる逃避行動との行動要素の共通性を見つけ,脳構造や神経構造に左右差がないことから,神経回路の上流部分で利きが決まっていると推測している.このあたりはなおリサーチ継続中ということだが,面白い進展を期待したいところだ.


第8章は竹垣毅による「適応進化を追求するための生理学」.
「至近的生理的メカニズムの詳細についてはブラックボックスでよい」と考える行動生態学者であった著者が生理的なメカニズムもリサーチ対象にするようになった経緯とその後の得られた展開の広さを書いている.それは「オスのロウソクギンポがなぜ卵保育期間中に他のメスに対して求愛行動を起こさないか」という行動生態的な疑問を解くには,ホルモンの効果にかかるトレードオフを理解するほかなかったからだそうだ.そしてその後リサーチについての視点が広がったと述懐されている.


第9章は小北智之による「行動生態ゲノミクス:適応進化の遺伝基盤を探る」,同じく行動生態学を進める上で,至近メカニズムの一つである表現型に対する遺伝的な基盤を探っていくことについての技術的な解説(用語解説付き)になっている.


第10章は桑村哲生による「行動生態学の歴史と使命」
魚類の行動生態学研究の第一人者である著者による,魚類リサーチャーからみた行動生態学の学説史と現在の課題を綴った章になっている.日本の状況の説明は中の人によるレポートとして面白い.
学説史はローレンツティンバーゲンによるエソロジーの勃興から始まる.その後ウィリアムズにより個体淘汰理論が強調され,ナイーブグループ淘汰的な曖昧な理論からの脱却がはかられ,ハミルトンの包括適応度理論によりパラダイム転換が生じた.魚類の行動生態リサーチの初期の花形は性転換現象の説明で,ギーシュリンによる1969年の体長有利性説の提唱,ロバートソンの1972年の記念碑的論文,ワーナーの数理モデル,リースほかの総説論文と続く.続いてウィルソンの「社会生物学」,ドーキンスの「利己的な遺伝子」,さらにクレブスとデイビスの教科書が出版され,行動生態学は適応理論を基盤として確固とした分野になる.
ここからは内部からみた日本の状況が語られる.1970年代の中頃に著者は大学院生だった.ウィルソンやドーキンスも読んでみたがぴんとこずに,日本ではなお幅を利かせていた種族繁栄論にとらわれていた.そして今西に影響を受けた個体識別法によるリサーチを始めたのだが,ある日,眼から鱗が落ちるように個体の適応戦略論に切り替わったそうだ.
そして日本で実際に行動生態学が主流となるのはウィルソンとドーキンスが邦訳された1980年以降だった.そこで大きな役割を果たしたのは1983年から3年間の大型プロジェクト「生物の適応戦略と社会構造」*8で,多くの研究会が開かれ,研究者の意見交換が進んだ.魚類分野では1985年にインド太平洋魚類会議が東京で開かれて海外の研究者たちとの興隆が進んだことと,1979年からのタンガニイカ湖シクリッド調査プロジェクトの影響が大きい.
著者は,現在,行動生態学が生物学の一分野としてしっかり確立していることを強調した後,リサーチエリアの移り変わりを整理している.(性淘汰,コミュニケーション,生活史は常に大きなテーマで,最近は血縁淘汰の実証が減り,個性や環境変異などのリサーチが増えている)そして今後の方向は複合的アプローチ,特に至近的メカニズムをあわせたリサーチが望まれるだろうと展望して*9締めくくっている.


本書は久しぶりに出された魚類行動生態学のアンソロジーということになるが,中身は刺激的で面白いものが多く,若手研究者の研究物語としても読ませるものに仕上がっている.魚類研究者だけでなく広く行動生態学に興味のある読者に推薦できるものだ.


関連書籍


私の書棚にある魚類の行動生態関係の本はご覧の通り.




 

*1:タンガニイカ湖のある種の巻き貝は貝を割るカニとのアームレースで非常に殻が厚く進化しており,死後の貝殻は一部のシクリッドの重要な産卵子育て場所になっている.ビッタータスでは子育てはメスのみが行う.

*2:スニーキングオス,パイラシーオスに脅かされているナワバリオスはより精子に投資している.ただし面白いことに精巣重量にではなく,精子の質(より高寿命になる)に投資しているらしい.なぜそうなのかまでは考察されていない.

*3:比較対照のオスをオスだけに見せるかメスだけに見せるかという操作によって行っている.なかなかクールな実験デザインだ.

*4:この中で「グリーンソードテールのオスの尾鰭の長さは,よい遺伝子のためではなくセンゾリーバイアスで説明できる」旨の説明があるが,これは理解しがたい.センゾリーバイアスはきっかけの議論だ.それが引き続き選択されるためにはランナウェイやよい遺伝子(ハンディキャップ)の過程が必要になるはずで,両者は排他的な説明ではない.このあたりの性淘汰理論の怪しい説明は大変残念なところだ

*5:オスの繁殖成功の分散が大きくなり,好みが安定化するだろう.さらに松本は,ロウソクギンポの場合求愛期が限られて卵保護期にはいると他のオスにチャンスが生まれるために強い性淘汰形質が進化しにくいのではないかと示唆している.これは私の直感とは逆で,数理モデルなしでは賛成しがたい議論のように思われる.またコピー戦略とレイプ戦略がアームレースの結果であるとも示唆している

*6:最後に逆方向性転換のリサーチで最も困難なことは頻度が少ないためになかなか観察できないことだとさりげなく触れているが,その苦労が忍ばれる

*7:なおエビについては左右性に遺伝的な基盤があることを確認している

*8:この成果物として全17巻の「動物 その適応戦略と社会」が刊行されている.著者は,その中で魚類を扱ったのは「魚類の性転換」1巻だけだったことを残念そうに振り返っている

*9:これらの著者の思いが,編者として本書に8,9章を加えていることにつながっているということなのだろう